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28年前の酒鬼薔薇事件!?高校生首切◯殺◯事件!

それは酒鬼薔薇事件(神戸連続児童殺○事件)のが起きる28年前、1969年4月23日のこと...

神奈川県宮前区(当時)にあったサレジオ高校の裏山で、1年生の加賀美洋君(当時15歳)が惨◯死◯で発見されます(⊙_⊙')

遺◯は首と胴体が切◯されており、胸部12ヶ所、背中7ヶ所、頭部12ヶ所、顔面16ヶ所の計47ヶ所をメッタ刺◯されて即◯。

警察は、犯人が加賀美君を刺◯した後に、左手で頭部を押さえつけて、鋭利な刃物で肩から水平に頸部を切◯落としたと断定したのです。

事件はイジメの報復だった!?

授業が終わり、部活が行われていた校庭にAという生徒が左腕から血を流◯ながら現れ

A
『複数の男に襲われた。 加賀美君が血◯らけで倒れている』

と助けを求めたため、教師たちはAの言う場所に行ってみたところ、そこには血◯みれの遺○が転がっていた...

警察は最初からAを疑っていました。

というのも、目撃情報が二転三転し、内容も不確実だった為です(*´Д`*)

Aは犯人を『複数の見知らぬ男』と言い張ったものの、具体的な部分を尋ねられると『覚えていない』の一点張りで、最後には犯行を認めたのでした。

(Aのシャツと現場に落ちていたジャックナ◯フから加賀美君とAの血液が検出された)

実はAと加賀美君は中学時代からの同級生で、この事件の背景には”イジメ”があったというんです。


Aは度々、加賀美君からちょっかいを出されており、最初はAもやり返していましたが、やがて一方的にやられるようになったため、Aは加賀美君を避けるようになっていきました(⊙_⊙')

しかし2人はそれからも一緒に映画や登山に出かけることもあったため、傍から見れば仲の良い友達同士に見えていたわけです、しかし...

Aは最初から殺◯があったわけではないと述べていますが、事件について次のように供述をしています。

事件当日、現場付近で加賀美君に自慢目的でナイフを見せると、加賀美君は特に反応することなくAに対して

『やはり豚に似てるな』

と言った。

この瞬間Aの頭の中で今まで我慢してきた惨めな過去が走馬灯のように蘇り殺意が一気に湧いた

A
『爆発...はっきり口では言えない』

そしてAは狂ったように加賀美君をナイフで突◯た。

Aは事件の動機についてこのように説明し、首を切◯した理由については

A
『彼が起きて来て、 自分がやられるのが怖かったから』

と述べています。

Aは10分以上かけて加賀美君の遺◯を切◯し、さらに頭部を蹴飛ばしていることから相当な恨みの念を抱いていたことがわかります(⊙_⊙')

Aのその後

横浜家栽はAを『分裂病質の精神障害』と認めましたが『狭義の精神病者ではない』ことから『精神衛生法による強制入院』はできず、かといって任意の入院は『医療費負担』が難しいとして、栃木県の少年院に送致することを決定。

その後、Aは自○を図るなどをしたため関東医療少年院に入れられ、1975年に出所した後、大学へと進学し、弁護士になったと伝えられています(*´Д`*)

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父親をギロチン私刑に!?『京田辺警察官殺◯事件』

2007年9月18日『夫が首を切○て自◯した』という被害者の妻と思われる女性から通報が入ったため、田辺署の警察官が駆けつけると2階の寝室のベッドで息絶えている男性を発見。

(この男性は京都府警南警察署勤務の巡査部長だった)

その後、警察は1階のキッチンで血ま○れの斧を発見、そしてそばにいた16歳の次女にも返り血が付着していた為、事情を聞くと父親殺○を認めたのです(⊙_⊙')

取り調べで、少女は『以前から父親のことが嫌いだった』と供述し、さらに

次女
『 警察官だった父親は小さい頃から厳しく、何度か叩◯れたこともある。 それなのに、自分は他の女性と関係を持っていて、それが許せなかった』

と述べています。

少女の家庭では共有パソコンで、父親と女性のメールのやり取りを家族なら誰でも見られるようになっていましたが、母や姉は父親を咎めることはしなかった。

その一方で、母親は少女に父の愛○問題の悩みを相談しており、これにより少女は父への憎悪と嫌悪感を高めていったのです(*´Д`*)

少女は犯行の5日前の9月13日にホームセンターで手斧を購入していますが、手斧を選んだ理由について

次女
『ギロチンにしてやろうと思った』

と述べています_:(´ཀ`」 ∠):

これについて一部のメディアではアニメの影響を指摘、また少女はゴスロリに傾倒していたことから、その連想から中世の拷◯器具『ギロチン』を思いついたのだろうと分析する専門家もいました。

2008年1月23日、京都家栽で中等少年院送致・保護処分が決定し、裁判長は

『 犯行は残忍で計画的。しかし、女性関係を隠さなかった父親や悩みを告げていた母親も、少女の心理を考えなかった面がある。 謝罪の気持ちもあり、家族の処罰感情も強くないため構成の余地あり』
裁判長

としています(*´Д`*)

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中野富士見中学いじめ自○事件

鹿川君の遺書

『家の人、そして友達へ。
突然姿を消して申し訳ありません。

(原因について)くわしいことについては●●や●●に
聞けば分かると思う。

俺だってまだ死◯たくない。
だけどこのままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ。

ただ俺が死○だからって他のヤツが犠牲になったんじゃ
意味ないじゃないか。

だから、君達もバカな事をするのはやめてくれ、
最後のお願いだ。

昭和六十一年二月一日 鹿川裕史』

前日に東京の家を出た鹿川君は、上野から夜行列車に乗り、岩手県盛岡駅の駅ビル地下のトイレで首を吊○ている状態で発見され、床にはデパートの袋に鉛筆で書かれたこの遺書がありました(⊙_⊙')

中学2年の時、鹿川君はイジメグループからイジメられるようになり、顔に落書きされ、その状態で廊下を歩かされたり、夜の公園で石の滑り台を裸で腹這いで滑らされるなどの酷いイジメを受け続けていたのです...

葬式ごっこ

葬式ごっこで使われた色紙

その中でも最も酷いのが

葬式ごっこ

ある日、黒板の前に鹿川君の机が置かれ、そこにはミカンや飴玉や遺影に見立てられた彼の写真と牛乳ビンに差した花が置かれたのです。

さらにその横には

『鹿川君へ さようなら 〇〇とクラス一同より 

『バーカ』『いなくなって良かった』『ざまあみろ』』

と書かれた色紙も置かれ、それを見た鹿川くんは『なんだ、これ!』と言って最初こそ笑っていたものの、やがて笑みは消え黙り込んでしまった...

鹿川君は色紙を家に持って帰って家族にこう言ったのです。

鹿川君
『これ見てどう思う? ここに先生も書いているんだよ』

信じられないことにそこには

4人の教師の寄せ書きもあった

のです...

教師らは保身のために生徒に口止め工作をしていた!

鹿川裕史君

この教師達は後に『ドッキリだから』とイジメグループに言われたため色紙に記載したと釈明します。

が!!!

鹿川君の自◯後に担任教師らが保身のために生徒に口止め工作をしていた事が発覚したんです(⊙_⊙')

結局、担任教師は別の問題で免職となり、校長と教師2人も自主退職しています。

同年4月、警視庁はイジメに加担していた少年16名を傷◯及び暴◯容疑で書類送検し、6月には鹿川君の遺族が遺書で名指しされた少年2名とその両親、都・区に対して損害賠償請求を起こし、少年2人に保護観察処分が下ります。

1994年に東京高裁はイジメを認めますが

『自◯との因果関係は不明』

としたうえで、被告側に1150万円の賠償命令を下しています。

16歳男子、◯慰行為を母親に見られて殺◯!

1930年6月26日、16歳の少年が自○行為をしていたところを母親に見つかり叱られ、就寝中の母親を帯びで絞◯するという事件が発生し、さらに30日には妹までも絞◯

7月2日に知人宅に侵入して暴れたところを逮捕され、翌日に死◯が発見されるわけですが、その間、少年はエド・ゲインのように腐○した母と妹の死○と一緒に暮らしていたんですよ_:(´ཀ`」 ∠):

この少年は無口で、中学では友人もできず、さらに過度の勉強によってノイローゼになり事件の前年に転校したものの退学しています。

また取り調べ中に警官に殴◯かかるなどの異常な暴○・凶暴性を見せることもあったようです。

精神鑑定の結果、心神喪失状態と診断され、8月1日に不起訴処分となっています(*´Д`*)

8歳が盲目の叔母を殺◯

1951年6月6日、愛媛県で男子(当時8歳)が同居中の叔母を殺◯。

豆の収穫を言いつけられた少年は、これを叔母にやらせようとしますが、叔母は年寄りでさらに盲目だったため、なかなか終わらず。

これに腹を立て、青竹で頭を叩き撲◯。

さらに父親も

父親
『叔母が行方不明になった』

と嘘の届けを行い、息子の罪を隠蔽するために、死◯を袋に入れて海に捨てていたのです_φ( ̄ー ̄ )

中2女子、殺虫剤で家族毒○を謀る!

1944年7月29日、福岡県で中2女子が家族7人を毒○するために、夕食に殺虫剤の亜ヒ酸を混◯させる。

これによって10歳と6歳の妹が死◯父と母、姉2人は寝込みはしたものの、命は取り留め、祖母はたまたま食べていませんでした。

そして中2女子も当然食べていなかったため、疑われて、すぐに自供します(⊙_⊙')

女子はバレー部に入っていましたが、部活で遅くなる度に厳しい母から『遊んでいたのだろう』と叱られていたため、取り調べで

女子
『こんなことでは一家皆殺○にした方がよいと考えた』

と笑顔で話したそうです(*´Д`*)

14歳が強○隠蔽で幼女惨◯

幼年倶楽部

1932年4月7日、大阪府の荒物商宅で、従業員の14歳の少年が、この家の長女の小2女子(8歳)を殺○したことを、その日の夜に自白。

少年は少女にせがまれ『幼年倶楽部』を読んでいる最中にレ◯プしようとしたものの少女が『お母さんにいってやる』と言ったため激怒し、首を絞◯て殺◯うとしたのです(⊙_⊙')

しかし、少女が暴れるのでなかなか上手くいかず、そこで少年はそばにあった火鉢で真っ赤に焼けていた火箸を喉に突◯立てて殺◯。

また息を吹き返す事を恐れて、近くにあった割烹着でさらに首を絞○、もう1本の火箸を胸に突き刺してから、コテで頭をメッタ打◯に...

さらにさらに!!!

この少年は侵入者の犯行に見せかけるために窓ガラスを割り、事件に驚くフリをして新聞記者の取材にも応じていたのです(*´Д`*)


中1幼女強◯殺◯未遂事件!

1958年6月19日、福島県相馬市で中1男子(当時13歳)が登校中の小3女子(同3歳)を縄で縛○て山林に連れ込み、右眼球を完全に潰◯ほどに何度も殴◯、前歯5本を折◯などの重傷を負わせた上でレ◯プした。

女子の帰ってこないことを心配し、村総出で捜索すると意識不明で倒れていた少女を発見。

犯行後に中1男子は汽車で宮城県へと逃走をしていましたが、翌日に捕まっています。

また少女は

少女
『左目も強◯されて、 潰◯れると思って死◯だフリをした』

と話しています(⊙_⊙')

男子が通っていた中学校の校長によると、少年には知的障害があり、変◯的な行動が目立つようになっていたと述べています(*´Д`*)

(普段は温厚な性格だったそうです)

3歳女子2人による乳児殺○

1975年4月11日、大阪府岸和田市で民家に侵入した3歳女子2人が、2階で寝ていた生後17ヶ月の乳児を階段を引きずって下し、家の前の路上で裸のまま転◯して遊び嬲り殺○た。

(乳児は頭蓋骨陥没骨折により、病院で死◯)

2人はままごと遊びの人形にしようしたと考えられています...

同級生に体操用マットをかぶせ大勢で暴◯!

1985年9月20日、茨城県東茨城郡茨城町の小学校での昼休みに小5男子10人が、同級生を無理矢理体育館に連れ込んで体操用マットをかぶせ、2m近い柵から全員で飛び降り踏みつけていたところ、異常な悲鳴を上げたために病院に運ばれます(⊙_⊙')

この男子は背骨が曲がり1ヶ月の入院を余儀なくされ、さらには深刻な後遺症が残ったというんです。

しかし、これだけの被害があったにも関わらず、学校側は

『遊んでいる最中の事故』

として片付け、警察には届けなかったんです_:(´ཀ`」 ∠):

さらに、町の教育委員長は被害男子の両親に

教育委員長
『 事件を公表したら、中学卒業まで5年あるお宅の息子は 友達から指1本触れられなくなる』

脅○て通報を阻止するなど、事件を隠蔽しようとしたのです_φ( ̄ー ̄ )

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