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【マルティン・ボルマン】ヒトラーすら操ったナチス政権ナンバー2の謎!

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マルティン・ボルマン...

この名前を聞いてすぐにピンと来た人はかなりのナチスマニアと言えるでしょう(ΦωΦ)フフフ・・

というのもマルティン・ボルマンはナチス政権におけるNo.2として絶大な権力を行使した人物でありながら、その知名度は非常に低いんですよ。

しか〜し!!!

ボルマンはあのヒトラーすらも影で操っていたと言われる人物で、またナチスの戦犯を裁いたニュルンベルク国際軍事裁判で、絞首刑の判決を受けながら唯一、逮捕と死を免れた人物でもあります。

そこで今回はそ〜んな影の支配者だったマルティン・ボルマンにフォーカスし、彼の人物像やベルリン脱出後の足取りなどを紹介していくので、ぜひご堪能くださいな〆(・∀・@)

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ヒトラーはボルマンを毛嫌いしていた?

マルティン・ボルマン

ボルマンは権謀術数(けんぼうじゅっすう)を好み、他人を蹴落とす能力に長ける残虐性を有した男で、あのヒトラーでさえ彼を

と毛嫌いしていました(⊙_⊙')

しかし、ボルマンはこのようにヒトラーから毛嫌いされていたにも関わらず、ナチス政権の崩壊まで党内のNo.2の地位を堅持していたんです。

ヒトラーは

ヒトラー
『ボルマンが残忍なことはよく承知しているが彼の行うどんなことにも意義がある。ボルマンは私の命令を素早くどんな障害も乗り越えて実行するので私は全く安心していられる』
   
ヒトラー
『ボルマンの提案は完璧に計画されており、私はイエスかノーを答えるだけでいい。他の者の場合には数時間を要する文書の山も、ボルマンならば10分ほどで片付いてしまう。』
   
ヒトラー
『しかも半年前の忘れかけていた問題についても、ボルマンはたちどころに質問に答えてくれる。』
   

ボルマンのことを非常に高く評価しており、このバックボーンこそがナチス政権内で不動の地位を築けた大きな理由と言えるんです。

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ボルマンの役割

ノンフィクション作家・檜山良昭氏
引用:東京新聞 TOKYO Web

ノンフィクション作家・檜山良昭氏は『ナチス副総統ボルマンを追え:現代史の謎』の中で

と指摘しており、ボルマンが常にヒトラーの立場に立って考え、ヒトラーがいかなる決断を下すかを予想し、資料を揃えるなどの下準備を完璧に整えたうえで対したと言います(⊙_⊙')

つまりヒトラーはボルマンを毛嫌いしながらも、彼の存在なしでは政権トップとして機能を発揮しえなくなる...

という主客転倒していたと言えるでしょう。

アドルフ・ヒトラー

ヒトラーにはカリスマ性がありましたが、その一方で現実的かつ客観的思想という点が欠如していました(*´Д`*)

ナチス政権下のドイツで当時

という政治的ジョークが囁かれていましたが!?

これはその通りで、ヒトラーは客観的根拠がなくても

ヒトラー
『私の言ったことは全て事実なのだ(ΦωΦ)フフフ・・』
   

と盲信する傾向があったため、これを見越し、先回りして現実的対応を用意しておくのがボルマンの役割であり、またこれをナチス政権下で完璧に行えたのは彼だけだったのです。

ちなみに檜山氏は

檜山氏
『ヒトラーはボルマンの操り人形にすぎなかった』
   

と指摘していますが、1941年5月には総統代理本部に代わって設立された党官房の官房長官に、1943年4月には総統秘書に任命され、ドイツ敗戦の直前には副総統として、ヒトラーを左右する存在であったことは紛れもない事実なのです_φ( ̄ー ̄ )

SHIN
『次項からはベルリン脱出後の彼の足取りに迫っていくよ〜💪🤩』
   
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ベルリン脱出を試みるボルマン

1941年ベルリンにて歩くヒトラー(最前列中央)とボルマン(最前列左)

1945年5月2日午前1時30分頃、ボルマンはソ連軍の猛攻に晒されていたベルリンからの脱出を試みます(⊙_⊙')

ソ連軍の銃撃に阻まれて思うように身動きが取れない...

そんな状況だったもののドイツ軍の戦車が運良く出現したため、ボルマンはベルリン脱出を図る市民と一緒になって戦車の周辺を走り、戦車と共に進みます。

しかし、ドイツ軍戦車はシュプレー川にかかるヴァイデンダマー橋を渡り、ソ連軍の対戦車陣を突破しますが、慈善病院に到着した辺りでソ連兵士のバズーカ砲攻撃を受けて大爆発し、この爆発にボルマンも巻き込まれてしまいます。

生きているボルマンの姿が確認されたのはココまでで、後は

目撃者
『死○を見た』
   
目撃者
『ベルリン市内を移動していた』
   

など証言者によって目撃情報はまちまちで一貫性を欠いており、戦後間もなくは彼の安否は分からない状態でした。

アドルフ・アイヒマンの証言

ナチス親衛隊中佐、アドルフ・アイヒマン

しかし1960年5月に身柄をイスラエル当局に拘束されたアドルフ・アイヒマンがボルマンの生存について証言します(⊙_⊙')

潜伏先について一切口を割らなかったアイヒマンでしたが自身の裁判進行中に1通の電報が届き、その内容は

『勇気を出せ ボルマン』

で、イスラエルの筆跡鑑定家がこれを調べたところ

という鑑定結果が出たのです。

ボルマンはアルゼンチンに潜伏した!

1941年、マリボルにてヒトラー(中央)とボルマン(ヒトラーの後ろ)

ボルマンの潜伏先として確実視されているのは南米で、第二次世界大戦中、南米には親ナチ的国家が複数あり、ヨーロッパのカトリック教会組織を通じて多くの元ナチス高官がヨーロッパ脱出後に身を潜めていました。

そしてアルゼンチン海軍情報部がエジディという神父から入手した証言からボルマンが同様のつてでアルゼンチンに逃亡したことが分かっており、また近年まで南アメリカでは↓のようなボルマンの目撃情報が数多く存在していたのです。


ボルマンの目撃情報

1938年9月6日、ヒトラー(左端)に従って歩くヘス(手前)とボルマン(奥)。

1960年7月、西ドイツのミュウヘンに住んでいるボルマンの妻・ゲルダの両親のもとを南米から来たという2人が訪れ『ボルマンは生きている』と告げた。

1961年1月、アドルフ・アイヒマンの次男・ホルストがアルゼンチンの首都ブエノスアイレスなどで何度もボルマンに会ったと証言。

1964年5月にボルマンの弟と自称する人物から『ボルマンは南アメリカの奥地のマットグロッソで生きている』との証言があった。

1965年3月、逮捕された元SS隊員が『ボルマンはブラジル某所で、ボディガードに守られて潜伏中』と証言した。

1966年末、ナチス戦犯逃亡者を追及しているイスラエル人のシモン・ヴィーゼンタールが『ボルマンはアルゼンチンとチリとの国境地帯に潜伏している』旨を今までの情報を統合して発表。

1967年、元武装SS隊員が『ボルマンの潜伏地はパラグアイ内のドイツ人植民区で、ボルマン自身はボディーガードに厳重に守られている』と証言。

ココで挙げたのはほんの一部ですが、これらの情報からボルマンが南米に潜伏していた可能性は激高と言えます_φ( ̄ー ̄ )

ボルマンは潜伏先で何をしていたのか?

最前列左からオットー・ディートリヒ、ヴィルヘルム・カイテル元帥、ヒトラー、アルフレート・ヨードル将軍、ボルマン。

1900年に生まれたボルマンは既に亡くなっているはずですが、潜伏先で何をしていのでしょうか?

残念ながらその答えを知る術はありません。

しかし、ベルリン生まれのジャーナリスト、ヨアヒム・フェストが

ヨアヒム・フェスト
『彼は常に権力の肩書ではなく、権力そのものを追及した。(中略)だから、注目を浴びることなく、常に寡黙だった。ひたすら粘り強く、一歩ずつ登っていった』
   

と評している通り、ボルマンはあのヒトラーすらも操った権力欲の権化で、そんな彼が逃亡中とはいえ、平凡な余生を過ごしたとは考えにくく、裏で何かを画策していた可能性は高いでしょう。

もしかしたら現在世界で起きている事件の中には、無名の権力者マルティン・ボルマンの遺志を引き継ぐ者たちによって引き起こされているものもあるのかもしれない...

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