ピックアップ
【フリッツ・ホンカ】外見のコンプレックスから娼婦をターゲットにしたシリアルキラーに!?

当サイトはプロモーションが含まれます。

スポンサーリンク

『人間は外見じゃなくて中身が大事』

と言う人がいますが、実際は外見というのは異性にアプローチする上で非常に重要な要素で、そんな綺麗事を言う人は醜い見た目の異性からガチでアプローチされたら余裕で断るハズw

なんで初っ端からこんなことを書くのかというと!?

かつてドイツに醜い見た目のせいで女性に相手にされず、最終的に娼婦を次々と殺○したシリアルキラーが存在したから...

男の名はフリッツ・ホンカ映画『屋根裏の殺○鬼 フリッツ・ホンカ』のモデルになっていますが、彼はあることが原因で醜い見た目へと変貌したので、まずはそこから見ていくとしましょう_φ( ̄ー ̄ )

スポンサーリンク

交通事故で外見のコンプレックスが決定的なものに!

フリッツ・ホンカ

フリッツ・ホンカは1935年にドイツのライプツィで10人兄弟の3人目として生まれますが、父はア○コール依存症でたびたびホンカに暴○を振るい、1946年に過度の飲酒によって死○、母は育児放棄したため、彼は児童養護施設で育てられたのです(⊙_⊙')

そしてホンカは1951年に東ドイツから西ドイツ逃亡し、その後、1956年にハンブルクで港湾労働者として働いていました。

が!!!

交通事故に遭い

鼻は潰、目は斜視

になってしまったんです( ;´Д`)

元々ホンカは身長165センチと小柄でルックスもイケてませんでしたが、この事故により彼の外見コンプレックスは決定的となり、このことが後の連続殺○の起因となるんです。


女性を誘うが全く相手にされないホンカ!

ホンカが通っていたバー『ゴールデン・グローブ』

画像:cinefil

事故翌年の1957年にホンカはインクという女性と結婚するも1960年に離婚し、後に再びインクと再婚し子供が1人生まれますが、再び離婚するんですw

このように私生活がなかなか上手くいかないことで、酒浸りになり、ホンカは父親と同じア◯コール依存症に...

しかし、警備の仕事を得ることができたため、ハンブルグのツァイス通り76番地のアパートの屋根裏部屋に住むようになります。

が!!!

この屋根裏部屋こそ、後の犯行現場となる恐怖の部屋だった...

また当時、ホンカは中高年の男女が集う『ゴールデン・グローブ』というバーに通っており、ここでドイツの代表的な酒シュナップスを浴びるように飲んでは泥酔していたわけです(*´Д`*)

そしてセ◯クス目的でさまざまな女性に声をかけ、酒を奢るも、女性たちの大半はホンカの醜いルックスを見て拒絶し、たまに誘いに乗ってくれる女性といえばと年老いた売○婦だけで、最初の被害者となるブラウナーも、そんな中の1人だったのです。

スポンサーリンク

フリッツ・ホンカの性的嗜好とブラウナーの殺害!

ホンカの部屋に置かれていた人形と大量のヌー○写真


普段のホンカは大人しい性格で男性に対しては臆病な態度で接していましたが、女性に対しては酒の力を借りて横暴な態度を取っていました(⊙_⊙')

とはいえ相手をしてくれるのは自分よりも年上で背の低い貧しい娼○だけで、彼は彼女たちといる時だけ支配欲を満たすことができた...

そんなホンカはオーラルセ○クスでしか快感を得られないという性的嗜好を持っており、さらに局部を噛○ちぎられることを極度に恐れていたため、歯のない女性ばかりを選んでいたんですw

またホンカの部屋には寂しさを埋めるかのように人形が置かれており、さらに壁には大量のヌー○写真が貼られていました( ゚д゚)

そんな部屋にゴールデン・グローブで釣った娼◯を連れ込んでは行為に及んでいたわけですが、最初の犠牲者となったブラウナーはホンカが望んだオーラルセ○クスを拒んだために殺○てしまったのです_:(´ཀ`」 ∠):

スポンサーリンク

娼◯が相次いで犠牲に!

犠牲となった4人の娼◯

左からゲルトラウト・ブラウナー、アンナ・ビューシェル、
フリーダ・ロブリック、ルース・シュルト


ブラウナーの殺○から4年後の1974年にホンカは54歳のアンナ・ビューシェルを絞◯し、遺○を細かく切り刻み壁の奥へ隠匿し、さらに同年12月には当時57歳のフリーダ・ロブリックを部屋で殺◯、翌年1975年には52歳のルース・シュルトを殺○し、両○房を切◯した...

この3人はいずれもゴールデン・グローブで知り合った売○婦でした(*´Д`*)

しかし、犯行は明るみにならなかったんです!

というのも、被害者が売○を働いていたことで、身内が失踪届けを出さなかったからです。

またアパート住民の間では異臭騒ぎが起きていたものの、それも警察の耳に入ることはなかった...

アパートのボヤで事件発覚!

公判時のフリッツ・ホンカ


事件が発覚したのは偶然でした(⊙_⊙')

1975年7月17日にホンカの住むアパートの2階でボヤが発生し、通報を受けて現場に駆けつけた消防隊が上階を捜索した際にとんでもないものを見つけ仰天することに!

それは屋根裏部屋にあった

女性4人の遺◯

で、1体は完全に死◯化(しろうか)し、2体は頭と手が切○され、さらにもう1体はバラバラに切○刻まれて、部屋の隅に積み上げられていたのです(*´Д`*)

この時、ホンカは留守にしていましたが、この日のうちに逮捕されており、取り調べでは素直に自供。

当時の西ドイツでは1949年に死刑制度が廃止されていたため、検察はフリッツ・ホンカに終身刑を求刑しましたが、1976年12月20日に下された判決は1件の殺○と3件の過失致死罪による懲役15年という非常に軽いものでした。

その後、ホンカは精神医療刑務所に送られ、1993年に出所し、その後はピーター・イェンセンに名前を変え、1998年10月19日に63歳で亡くなっています_φ( ̄ー ̄ )

屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ
敗戦がまだ尾を引いていた1970年代ドイツ、ハンブルク。安アパートの屋根裏部屋に住むフリッツ・ホンカは、夜な夜な寂しい男と女が集るバー“ゴールデン・グローブ”で酒をあおっていた。彼がカウンターに座る女に声を掛けても、いつも顔をしかめられるだけ。一見、無害そうに見えるフリッツの狂気に気づく常連客は誰ひとりいなかった……

新着記事
レビュー
人物
事件/事故/戦争
コロナ関連記事
コロナ対策グッズ
ウイルス/細菌
拷問/処刑/歴史/
スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事