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麻酔なしで行われていた拷問レベルの手術・治療法を紹介!
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僕は10年ぐらい前に首のリンパ節が卵大に腫れ上がってしまったんですよ(⊙_⊙')

当然、病院に行ったのですが色々検査しても原因が分からなくて首を切開してリンパを摘出し良性か悪性を調べることになったのですが首に麻酔を打たれて死ぬほど痛かったんですw

麻酔を打ってからすぐに感覚が麻痺して何も感じなくなり無事にリンパの摘出手術を終えました。(検査の結果良性でしたw)

このように現代では必ず麻酔を打ってから手術開始となるので無痛で手術を受けることができますよね?

しか〜し!!!

麻酔がなかった時代は麻酔なしでの治療や手術が当たり前だったんです🥶

想像しただけで発狂するレベルですよねw

今回はかつて行われていた拷問レベルの手術・治療法や今では考えられないような治療法などを紹介していきます〆(・∀・@)

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麻酔がなかった時代の『麻酔法』

ロンドン病院には今も記念として『手術の鐘』という鐘が保存されいます。

19世紀以前の話ですが、 いざ手術を始めるという時にこの鐘を鳴らしたそうです(⊙_⊙')

なぜ鐘を鳴らすのか?

それは病院内で手の空いている人間を集めて患者を押さえつけるためなのです。

麻酔のない時代なのでロープで患者を縛って手術台に固定しても痛みのあまりに暴れ出してしまうので何人かで押さえつけて手術・治療を行っていたということです🥶

しかし麻酔が全くなかったというわけでもないんですよ👀

マンドラゴラ草やア○ン・アルコ○ルなどを麻酔として使用していました。

また殴っ○り、首を絞○て気絶させる方法もあったようです(麻酔ではない気がするw)

麻酔の代用として葉巻も使用されていたのですがこれがかなりヤバいんです!

葉巻をア○ルに差し込みニコチンの作用で筋肉が弛緩した隙に手術をやってしまおうというものだったんですw

エーテル麻酔が発見されるが...

脳外科手術で使用されていた手術器具

1846年にボストンの歯科医師ウィリアム・モートンによってエーテル麻酔が発見されます💡

エーテル麻酔を使用した手術を最初に受けたのはギルバート・アボットという青年で顎にできた血管腫を痛みもなく切除することに成功し、所要時間はわずか25分でした。

こうして近代外科手術は広まっていったのですがこの便利な麻酔も万能ではなかったのです。

なんでも手術中に患者の意識が戻ってしまうことがあったようなのです(⊙_⊙')

つまり...

手術中に体は動かない(動かせない)のに医者が自分の体について話していることや、肌が下げたり、メスで切開される音だけが聞こえてくる。

ということが起きていたようです...

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早業手術で注目された”ロバート・リストン”

ロバート・リストン
画像:wikipedia

1840年代初頭のイギリス・ロンドンの外科医ロバート・リストンは早技手術で注目されていた医師でした。

(麻酔がない時代では手術が長引くことは患者にとってこの上なく苦痛のことなので、できる限り早く手術を終わらせて欲しいと当然思いますよねw)

痛みを和らげるためにラム酒を飲んで泥酔したり、ア○ンを吸って意識を朦朧とさせるという策や布でグルグル巻きにした木を噛み締めてひたすら痛みに耐えるしかなかったのですから(⊙_⊙')

そんな時代において、リストン医師の驚異的なスピードはありがたかったんです。

リストン医師の手術がどれだけ早かったかというと約20kgもの陰○う腫瘍切除を4分、大腿切○手術は2分半というスピードで行っていたのです!

ただし、麻酔なしなのでこの数分が地獄の苦しみであったことは言うまでもないでしょう😅

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『煮立て油』で傷口の消毒をしていた!?

16世紀のヨーロッパの病院は拷問部屋の代名詞のようなものでした。

例えば、兵士が砲○を受けて重傷を負い病院に担ぎ込まれた場合は麻酔なしで傷口をいじくり回されることになるからです🥶

しかし傷口をいじくられるぐらいならまだマシな方で当時の医者たちはもっと壮絶なヤバい治療を行っています(⊙_⊙')

それは煮立てた古い油を傷口にたっぷりと注いで患者を絶叫させるというもの。

これは砲○によって受けた傷は火薬の毒に侵されていると信じられていたためで傷口を消毒できるのはよく熱した解毒剤入りのニワトコ(スイカズラ科の落葉低木)の油しかないと思われていたからです。



医師アンブロワーズ・パレによって新しい治療法が発見される!

アンブロワーズ・パレ
画像:wikipedia

1536年にフランソワ一世とカール5世の戦いが起きて戦場に赴いた(おもむいた)医師アンブロワーズ・パレが偶然新しい治療法を発見するんです👀

この時、負傷した兵士の数が思ったよりも多くてパレは熱した油を使い切ってしまった...

そこで彼は卵黄とバラ油とテレピン油を混ぜて作った塗り薬を代用品として使ってみることに。

すると!?

熱した油を塗られた兵士は傷口が腫れ上がり、痛みで夜も眠れなかったのに対して代用品を塗った兵士は腫れも痛みもなかったのですᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ

以来、残酷な治療法は少しずつ見直されることになっていきました〆(・∀・@)


苦痛と悲鳴!?『焼きごて止血(焼灼止血法)』

焼灼止血法の焼きごて
画像:wikipedia

アンブロワーズ・パレは先ほどの治療法以外にも苦痛と悲鳴の拷問治療から患者を救ったことがあります👀

麻酔のなかったこの時代、砲○で受けた傷には煮立った油、切○手術のあとの止血や消毒には焼きごてを...

というのが傷口の治癒のための常識的な処置でした(⊙_⊙')

外科医たちは手術の痛みに追い打ちをかけるように真っ赤に焼けた鉄の棒を患者の患部に押し当○ていたのです🥶

切断ほどの大きな怪我でなくても傷口に焼きごてを当てる治療は日常的に行われていた)

しかしパレはこの非人道的な治療法をやめて、一部の医師が行っていた方法に切り替えることにしたのです。

その方法とは切断手術のあと、傷口の血管を糸で縛って止血する方法パレの教え子や文献によって、この方法が次第に焼きごてに取って代わるようになっていきました〆(・∀・@)

ルイ14世の歯の治療!健康な歯を全て抜く!?

ルイ14世の肖像画
画像:wikipedia

”太陽王Wと呼ばれたルイ14世の歯の治療がこれまたマジキチなので紹介しますw

歯の治療と聞くと”虫歯の治療”をイメージしますがルイ14世の場合は虫歯でもない健康な歯の抜歯を行っています🥶

これはルイ14世の侍医(じい)だったドクトル・ダカンが進言したことで”歯が健康であるうちに全て抜くことが国王の務めだとw

これはダカンが”歯が人間に死をもたらす病の巣である”と信じていたからです🥶

当初、ルイ14世は抜歯することを猛烈に嫌がったのですが病気にはなりたくないと思いしぶしぶ承知したのです。

ドクトル・ダカンの手術は完全に拷問w

ドクトル・ダカンは健康な歯と一緒にルイ14世の下顎を打ち砕○、さらに上顎の歯を抜くときには大部分の口蓋(上顎)まで取り除○てしまったのです💦

しかもこれを麻酔なしで行ったので完全に拷問ですね🥶

手術後1ヶ月の間に下顎はなんとかくっ付いたのですが上顎は穴のような”くぼみ”になってしまいました。

ダカンはその間、ルイ14世の口蓋のくぼみを殺菌するために熱した鉄の棒で14回も焼かねばならなかったそうです。

(焼かねばならなかったというかダカンのせいですよねw)

その後、歯がなくなったルイ14世は噛むことができなくなったため、10時間以上かけて煮込んだアヒル・うさぎ・七面鳥などしか食べれなくなってしまいました。

英国王/チャールズ2世への奇抜な治療法!

チャールズ2世
画像:wikipedia

1685年2月にイギリス国王チャールズ2世が危篤状態に陥る。

恐らく腎不全のために死亡したと思われていますがこの時に行われた数々の処置は現代の医学水準から見ればほとんど無意味なものばかりだったようです(⊙_⊙')

チャールズ2世はまず血を抜かれ、次にアンチモン(レアメタルの一種)とキュラソーを混ぜた催吐剤(さいとざい)さらに硫黄塩を入れたシャクヤク水を飲まされました。

それからアオイの葉、スミレ、砂糖大根、カミツレ(キク科の植物)ウイキョウ、亜麻の種子、シナモン、カルダモン、サフラン、サボテンに寄生する虫、アロエの混合液で2時間ごとに浣腸がなされました。

他にもわけの分からない薬が投与され続けたのです...

しかし国王の発作はいよいよ激しくなりました。

すると今度は頭髪を剃り、熱い発泡剤が塗り付けられます。

このあと、偶然にも国王の意識が戻るんですがこれで医師たちは効果があると確信してしまいますw

国王の意識が戻ったことで医師たちの治療はさらに奇抜に!?

意を強くした医師たちはさらに奇抜な治療法を行います💦

ハンミョウの粉末を含んだ火傷するほど熱い膏薬(こうやく)が体に塗られ、さらに両足の裏にはタールとハトのフンまで塗りつけられたのです。

患者が回復に向かったと確信した彼らはブラックチェリー、ラベンダー、真珠粉末と白砂糖キャンディなどなど考えられる限りの発作予防の手を尽くしたのです。

しかし国王は再び発作を起こしてしまい、結局集中治療が始まってから5日目にチャールズ2世は絶命してしまいます。

現代の医学から見れば無意味なことをしていたのかもですが当時の医師たちは国王を本気で救おうとしていたことは間違いないでしょう〆(・∀・@)

中世で行われていた瀉血(しゃけつ

中世ヨーロッパの瀉血(wikipedia)

中世ではほとんどの病気が腐敗した血液によって引き起こされると考えられていました(⊙_⊙')

そのため、最も効果的な治療法は瀉血(しゃけつ)であると考えられていたのです。

瀉血とは体内から血液を抜○ことで中世では風邪・結核・虫歯などの治療のために患者の体内から血を抜きまくっていました。

またこの時代では『人間は1日に3ℓ〜4ℓの血を抜い◯も命に別状はない』というほど瀉血の効能が信じられていたのです。

肺炎を患っていた哲学者のデカルトは血を抜かれたために、一週間後に命を落としています。

このように瀉血によって多くの人が命を落としており、あの天才音楽家のモーツァルトも瀉血が原因で亡くなっています。

ヒルを使った瀉血法!

瀉血の様子(wikipedia)

瀉血は衛生面にも問題があり、ランセットと呼ばれる瀉血用の針はほとんど血を拭われることがなく錆びたまま使用されていたのです🥶

そこでブルセという医師がヒルを使った瀉血法を考案。

この医師は胃腸炎、糖尿病、心臓病、などの患者に対してもヒル治療を行っていました。

その結果、1834年にはフランスだけでも約8,000万匹のヒルが瀉血目的で消費されたようです。

今では考えられませんがこの当時はこれが最先端の医療だったのです〆(・∀・@)



ワシントン大統領の死因は瀉血!?

ジョージ・ワシントン(wikipedia )

1799年12月のある朝、風邪気味だったワシントンでしたが農場を見回るために馬で出かけていました(⊙_⊙')

その途中、雨から雪に天候が崩れ、帰宅したワシントンの体は芯まで冷え切ってしまう。

悪寒が走り、翌朝には喉が痛みだすなど完全に風邪の症状でした。

しかし、ワシントンはその次の日も外出したため、状態はさらに悪化。

夜には呼吸困難に陥り、夫人は医者を呼ぶことに。

医者が到着するまでの間、ワシントンは症状を改善させようと瀉血をやり始めるのですが当然の如く症状は悪くなっていきます。

さらに医者が到着すると、その医者の処置もまた瀉血

喉の腫れは強力な薬で焼き切ろうとしましたが、この処置でワシントンは危うく窒息死するところでした。

(この間も瀉血は続けられている)

ワシントンはますます衰弱。

新たに2人の医師が呼ばれ、3人で治療法を思案しましたが結論はやはり”瀉血”でした🥶

この時ワシントン大統領は自らの死を予感し、遺言状を確認し秘書に事後の指示をしたあと、静かに亡くなりました。

死因は風邪ではなく瀉血。

4回にわたる瀉血で抜かれた血の量は約1.9ℓだったそうです。

中世ヨーロッパでは輸血の時に羊の血を使用していた!?

輸血(wikipedia )

17世紀中頃にヨーロッパで輸血らしきものが始まりました。

しかし、現在のような輸血を行えるようになるまでには長く悲惨な道のりがあったのです...

例えば、1667年に約250gの血を輸血されたフランスの少年は腕が異常に高熱に。

また翌年、輸血を3回施された男性は苦しんだ挙句、死でしまいました(⊙_⊙')

これらの原因は”血の種類の違い”で輸血が始まった当時、なんと輸血には羊の血が使われていたのです🥶

当然、羊の血での輸血は失敗率が高く、フランスでは17世紀末に輸血が禁止に。

人間に人間の血を輸血するようになったのは1800年代になってからで安全に輸血できるようになったのは1900年以降のことです。

世界最古の整形手術!?インド式鼻整形手術!

整形手術といえば”イケメンや美女に変貌するために行う手術”というイメージがありますが元々はもっと深刻な理由から整形手術は生まれたようです(⊙_⊙')

整形手術の起源は紀元前8世紀のインドまでさかのぼります。

当時のインドでは淫○な娘や浮気をした妻の鼻は法律で切り落としていいことになっていて敵国の人間や罪人も鼻を切られるのが普通だった

なので鼻がない人が珍しくなかったんです🥶

最初のうちは切り取られた鼻をすぐにくっつけていたのですが、そのうち切り取った鼻は火で焼ことに。

こうなると、もう元の状態に戻せないですよね👀

そこで、医者に頼んで、鼻を復元する手術をしてもらうことになるんです。

まず、手術の前に鼻の型紙を作り、それを逆三角形の位置にして額に押し当て、額から鼻の形の皮膚を剥ぎ取る。

眉間の部分だけ皮膚をつなげておいて、そこで剥がした皮膚を上下逆さまにひっくり返して、鼻の部分を縫いつけるという方法でした(⊙_⊙')

(下の部分に2本の管を入れれば、鼻の穴もちゃんと作られる。)

これが世界最古の整形手術”インド式鼻整形手術法”です〆(・∀・@)

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