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人体実験を行なったのは731部隊だけではなかった!?

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日本軍による太平洋戦争下での人体実験を行なったことで有名な731部隊は、満州を拠点として、当時脅威となりつつあったソ連軍に対抗するため

細菌兵器の研究

を進めており、実験のために確保した中国・ソ連の人々に対してペストやチフス菌を故意に感染させ、約3,000人が犠牲となったとされています(⊙_⊙')

731部隊の人◯実験の様子

しかし、このような人体実験を行なっていたのは731部隊だけではなく、日本軍は国内外のあちこちで、狂気の人体実験を行なっていたのです...

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九州帝国大学生体解剖事件

この中の8人が被験者に選ばれた...

例えば、福岡県の九州帝国大学生体解剖事件

(現在の九州大学)

昭和20年(1945年)、大分県の山中にB -29が墜落した際に数人のアメリカ人兵士が捕らえられ、九州帝国大学に移送されます。

捕虜の中には大学病院であると聞かされて安堵の表情を浮かべた者もいましたが、彼らを待ち受けていたのは治療ではなく、代用血液開発のための人体実験だった...

そして捕虜たちは博多湾で汲んできた海水が注入され、実験の直後に死◯しています(⊙_⊙')

ここでは詳しくは書きませんが、海水を注入するだけでなく、非常に悍ましい人体実験を行なっているので、詳細を知りたい方は関連記事をチェックしてみてください✅

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フィリピン・ミンダナオ島での人体実験

731部隊の凍傷実験で両手を凍傷にされた中国人捕虜

昭和19年(1944年)、戦艦大和でフィリピンのミンダナオ島に上陸した1500人の兵士たちでしたが、その後、軍本部からの連絡が途絶え、孤立することになったのです(⊙_⊙')

すると島に住むイスラム系少数民族・モロ族のゲリラ攻撃に悩まされるようになったため、日本軍はモロ族を捕まえて捕虜にして

生◯たまま解剖

したんです_:(´ཀ`」 ∠):

表向きは『衛生兵に手術の方法を教えるため』という建前がありましたが、これらの人体実験は『極限状態で軍医が自暴自棄になり暴走したことで起こった

というのが真相のようです。

この時、実際にミンダナオ島に上陸し、人体実験の現場に居合わせた牧野明さんという方がAFPのインタビューでこの時のことを詳しく話されているので、一部引用して紹介します。

その場で斬首された捕虜もいたが、多くは人体実験用に軍医に引き渡されたという。軍医は衛生兵らに手術の方法を教える素材として捕虜を使用した。 衛生兵らが麻酔注射や酸素ガスを施すと、数秒で捕虜は気を失ったという。その後、軍医は意識のない捕虜の身体にメスを入れ、牧野さんら衛生兵の目の前で解剖を始めた。

牧野さんによれば、牧野さんの部隊が行った人体実験は、組織的なものではなく、敗戦色が濃厚となるなか自暴自棄となった軍隊による偶発的なもので、細菌を使用したり、実験データを記録したこともないという。

牧野さんのインタビュー全文はこちらから読めます_φ( ̄ー ̄ )

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海軍生体解剖事件(トラック島事件)

米空母エンタープライズ第10雷撃隊(VT-10)の
TBFアベンジャーに攻撃される天城山丸

太平洋戦争当時に日本海軍の拠点が置かれていた西太平洋のトラック島で行われていた人体実験は

『海軍生体解剖事件』

として知られており、戦後、BC級戦争犯罪裁判で裁かれています(⊙_⊙')

この事件が起きたのも1944年で、前年にトラック環礁付近で潜水艦を掌捕(だほ)し、約50人の捕虜が手に入ったことが発端に。

どうやらこの時期、731部隊が人体実験で成果を上げていたことで

『海軍も負けてられない』

と、731部隊に対抗した節があるようです。

さらに、2月から始まったアメリカ軍による大規模なトラック島空襲も、軍医たちを人体実験へと駆り立てたのでした(*´Д`*)

軍医らは半年間に渡って人体実験を繰り返しており、捕虜に止血帯を長時間装着させて死に至らしめ、それでも絶命しなかった者には四肢がもげる程のダイナマイトの爆風にあて、死○きれずに苦しんでいる捕虜たちを銃○。

またある時はブドウ球菌を注射して敗血症を引き起こさせたり、生体解剖で捕虜を殺○したり、特に実験と関係のない刺○で無抵抗の捕虜を殺◯ています_:(´ཀ`」 ∠):

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