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【おじろく・おばさ】かつて寒村で実際に行われていた忌まわしき悪習...

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かつての日本の山奥にある村々では、他の地域と接点を持たずに独自の風習が生まれ、それが脈々と受け継がれていたところもありました(⊙_⊙')

その中の1つが長野県の旧神原村(現在の下伊那郡天龍村神原)。

この村では家長となる長男以外の子供を養う余裕がなかったため、長男だけが家督を相続し、次男以下や女子は、他の家の養子や嫁いだりしない限り、結婚が許されず、さらに!!!

世間との交流・交際までを禁じ生涯を通して戸主のために半強制的に労働することをしきたりにしたのです_:(´ཀ`」 ∠):

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『おじろく』と『おばさ』

後の現地調査で
おじろく・おばさの写真も掲載される

このように社会から完全に隔絶された次男以下は『おじろく』女子は『おばさ』と呼ばれ、家庭内の地位は戸主の妻子よりも低く、また戸籍簿には『厄介』と記され、他の村民との交際も許されず、村祭りの参加も認められなかったんです(⊙_⊙')

おじろく・おばさは小学校へ行く年頃になると親は畑・山仕事をさせられるようになりますが、まだ小さな子供のため、それらの仕事を嫌がることも。

そんな時、親は

『そんなことじゃ兄の手伝いはできんぞ!!』

と叱りつけ、さらに

『お前たちは将来、兄のために働くのだ』

ということも教え込んだんです(⊙_⊙')

もし、自分が子供の頃から兄のために働くことを強制されたら普通は嫌じゃないですか?

しかし、この当時のおじろく・おばさたちは

『村のしきたりだから』

なのか、素直に受け入れており、また幼少期から兄とは扱いが違うにも関わらず、親や兄を怨むことはなかったそうです(*´Д`*)

さらに親たちも

『村のしきたりに従って』

と考えていたので、おじろくやおばさに対して罪悪感を抱くようなことはなかったようです_φ( ̄ー ̄ )

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おじろく・おばさは童貞、処女のまま生涯を終えた!?

おじろく・おばさは人間関係が極端に狭かったため、よそ者が声をかけてきても返事をせず、笑うこともなければ、怒ることもなく、無愛想で趣味も持たなかったんです(⊙_⊙')

このように他人とのコミュニケーションを取ることがないため、恋愛においても縁がなく、おじろく・おばさのほとんどは童貞、処女のまま生涯を終える...

このように差◯的な扱いや人生を謳歌できないようなこの掟に嫌気が差すことはなかったのか?

これは

『村を出ることは非常に悪いことで家の掟に背くことだ』

という考えが浸透(洗脳)していたので、村を出る者はほとんどおらず、また稀に村を出て行く者もいましたが、コミュニケーション能力が低いため人付き合いが上手くできず、すぐに戻ってきたようです_φ( ̄ー ̄ )

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おじろく・おばさは分裂病に似た症状を発症していた!?

現地調査をした精神科医・近藤 廉治(こんどう れんじ)は1964年6月号『精神医学』の”未分化社会のアウトサイダー”という論文で、おじろく・おばさのように次のように語っています(⊙_⊙')

近藤 廉治
『おじろく、おばさ達は旧来の慣習のために社会から疎外されてしまった者で、 それは分裂病に非常によく似た点を持っている』

近藤 廉治
『感情が鈍く、無関心で、 無口で人嫌いで、自発性も少ない』

近藤 廉治
『しかし分裂病ほどものぐさではない。 かかる疎外者がいると、その家は富むと言われる位によく働くので、その点分裂病と違う

近藤 廉治
『しかし、自発的に働くというより、 働くのが自分の運命であると諦念しているようである』

近藤 廉治
『こんな惨めな世界に燻っているより、広い天地を見つけて行こうと志す者が稀なのは不思議であるが 田舎の農家には多かれ少なかれそういった雰囲気がある。

近藤 廉治
『悟りを開いた坊主といった面白さもないし、 ましてや寒山拾得といった文化遺産を残した者もいない』

近藤 廉治
『まことにつまらないアウトサイダーであり、 ただ精神分裂病的人間に共通するところがあるという点で興味があるだけである』

現代の神原には当然、おじろく・おばさは存在しませんが、明治5年(1872年)には人口2千人の村に190人、さらに昭和40年代に入っても3人のおじろく・おばさが生存しており、大正〜昭和まで、この悪き風習が続いていた証拠だと言えるでしょう_φ( ̄ー ̄ )

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