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【船坂弘】米兵が恐れた!?異次元の生命力で『不死身の分隊長』と呼ばれた日本兵の話!
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第二次世界大戦中のアンガウル島の戦いにおいて1万人のアメリカ兵に対して、たった1人で突撃したにも拘らず生き残り、米兵を畏怖させたターミネーターのような日本兵が存在します(⊙_⊙')

彼の名前は

船坂弘(ふなさか ひろし)

若干23歳の軍曹でした。

船坂は栃木県で生まれ、幼い頃から文武両道で、昭和16年(1941年)に現役入隊した後も、剣道・銃剣術・射撃の腕に優れ、配属された満州・斉斉哈爾(チチハル)第219部隊では

『射撃徽章(さしょう)と銃剣術徽章の2つを同時に授けられたのは、あとにも先にも船坂だけだ』

と称されるほど優秀だったのです(*´Д`*)

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不利な戦いを余儀なくされたアンガウル島の戦い!

舩坂 弘
画像:Wikipedia

そんな船坂がアンガウル島に着任したのは、昭和19年4月のこと。

当時、アンガウル島を守っていた日本兵は1400人程度だったのに対し、アメリカ軍は約2万2千人の大部隊で、圧倒的不利な状況下での戦いを余儀なくされたんです(*´Д`*)

そして当然の如く、中隊は壊滅状態に...

しか〜し、このような絶体絶命の危機的状態でも船坂だけは獅子奮迅の戦功を立てるんです!

船坂は擲弾筒(てきだんとう)の筒身が真っ赤になるまで打ち続けて、米兵を足止めし、残存兵と共に北西の洞窟に立てこもり、ゲリラ戦へと持ち込むんですが!?

この時、船坂はアメリカ兵を1人で100人以上倒したと言われていますw

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重症を負って絶対絶命の船坂だったが!?

アメリカ海軍によるアンガウル島への上陸準備
画像:Wikipedia

ゲリラ戦3日目、船坂は左大腿部に銃弾を受けて、軍医が

『手の施しようがない』

と諦めるほどの重傷を負ってしまったため、自決用の手榴弾を渡されたのです。

船坂は日章旗を負傷した左足に縛って止血し、夜通し這って味方の洞窟へと辿りつくんですが、驚くことに!?

翌日には歩けるようになっていた

というんですw

また後に船坂は

船坂弘
生まれつき傷が治りやすい体質であったことに助けられたようだ

と回想していますが、完全に特異体質ですね( ゚д゚)

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手榴弾で自決を決意する船坂!

アンガウルの戦いにおける日本軍の陣地とアメリカ軍の侵攻図
画像:wikipedia

しかし船坂はその後、左足の傷が化膿してウジが湧き、さらには腹部にも銃弾を受けたため、這うことしかできなくなっていたのです_:(´ཀ`」 ∠):

そして

船坂弘
このままウジに食われて死○のなら...

と、自決を選ぶんですが、手榴弾が不発でまたしても生き残るんです(*´Д`*)

船坂弘
まだ死○せてもらえないのか...?

なかなか死◯ないことを嘆いた船坂でしたが、とんでもない決意をするんです!

それは

1万人の米兵の元へ、単身で乗り込む

というも...

もはやゾンビ!?船坂弘の異次元の生命力!!

船坂はこの時、すでに大小24ヶ所の傷を負っていましたが、自らの体に手榴弾6発をくくりつけて、拳銃1丁を持って3日間寝ずに這って進み、ついに4日目に米軍指揮所テントのすぐ側へと到着します。

(信じられない体力w)

敵の指揮官たちが続々とジープで集まるのを確認して、最後の力を振り絞って茂みの中から立ち上がる船坂!!!

が!?

米兵たちはボロボロでまるでゾンビのような船坂を目の当たりにして、しばらく呆気に取られていたそうですw

しかし、どんなにボロボロでも敵兵が目の前に現れたのですから、当然、米兵は何もしないわけがありません(*´Д`*)

結局、船坂は左頸部、つまり首を撃○れて倒れる...

さすがの船坂も首を撃たれたのだから、これで死○だと思いますよね!?

実際に船坂は米軍の遺○安置所に運ばれているので、少なくとも首を撃◯れた時は死○でいたハズです!

が!!!

それから3日後、遺○安置所で

船坂弘は息を吹き返した

んです( ゚д゚)

(この人完全にゾンビw )

この生命力と1万人の米兵の元に単身で乗り込む勇気・不屈の闘志に対して、敵さえも

『勇敢なる兵士』

として称された船坂は、その後、終戦まで捕虜としてグアム、ハワイ、サンフランシスコ、テキサスを転々とし、昭和21年(1946年)に故郷の土を踏んだのです♪( ´θ`)ノ


不死身の分隊長が残した遺産『大盛堂書店』

大盛堂書店
画像:大盛堂書店FBより

船坂の家族はアンガウル島守備隊は全員玉砕したと知らされて、戦死広報も受け取っていたため、息子の墓を建て、仏壇に位牌も置いていたようです(⊙_⊙')

帰ってきた船坂がまず初めにやったのは『船坂弘之墓』と書かれた墓標を自らの手で抜いたことでした。

それでも村の人々は、船坂が生きていることが信じられず『幽霊ではないか!?』

と疑い恐れたという逸話がありますw

その後、船坂は渋谷駅前に『大盛堂書店』を開き、書店経営の傍ら、自らの経験を記した書籍を何冊も出版しました。

船坂さんは2006年2月11日に85歳で亡くなられましたが、大盛堂書店はこれからも多くの人々に愛され続けられる、不死身の分隊長が残した大きな遺産と言えるでしょう_φ( ̄ー ̄ )

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