ピックアップ
太平洋戦争中に起きた悲劇『ニューギニア人肉食事件』
スポンサーリンク

太平洋戦争が始まると日本は海上にも勢力を拡大、重要拠点となった島々に多くの兵隊が動員されました(⊙_⊙')

しかし重要な戦局で連敗を重ねてしまい日本は次第に制海権を失い、孤島に多くの日本兵が取り残されたのです。

そして取り残された兵士たちはやがて飢餓に苦しむようになり、最後の手段に出る...

とこのような状況下で『ニューギニア人肉食事件』は起きたのです(⊙_⊙')

それではさっそく詳しくみていきましょう。

スポンサーリンク

日本人戦没者の6割が餓死だった!?

爆撃を受け炎上する空母『飛龍』(Wikipedia)

日中戦争・太平洋戦争で亡くなった日本人は310万人とされており、そのうち軍人・軍属の戦没者は230万人戦没者の約半数は餓死したと言われています。

自身も中隊長として中国大陸を転戦した歴史学者の藤原彰氏によると、戦死者230万人のうち6割強、140万人が戦病死であり、そのほとんどが食料が補給されないために起きた餓死だったそうです。

飢えと疲労に加えてマラリアやデング熱などの伝染病に罹って亡くなったのも広い意味では餓死といえます。

また餓死者の割合が他国の軍隊に比べると極端に高いのですが、これは日本軍は必要最低限の食糧だけを携行して、あとは現地調達して戦い続けるという傾向が強かったことと、食糧や医療品を前線の兵士に届ける重要性が日本軍には認識されてなかったことが挙げられます(⊙_⊙')

さらに陸海軍のエリート参謀は現地の惨状を無視して机上で作戦を立て、兵士たちは食糧の補給がされずに餓死していった...

日本軍に課せられた鉄の掟によって餓死地獄が...

ガダルカナル島の戦いにおいて壊滅した日本陸軍の第2師団(Wikipedia)

日本軍には捕虜となることを禁じる『戦陣訓』という掟があり、これは『生きて虜囚(りょしゅう)の辱めを受けず』というものでした。

多くの国では、戦場で勝てる見込みがなくなった場合、降伏しても不名誉なことではなく『勝ち目がなくなるまで戦い続けた名誉である』とも捉えられますが、それに対して日本の帝国軍隊は...

負けることを考えること自体が『敗北主義』と退けられ、たとえ食糧・武器がなくても死ぬまで戦い続けなければならなく、部隊が壊滅的な損害を受けて組織的戦闘を続けることができなくなれば、その後はジャングルでのゲリラ戦が展開された。

その結果、いくつもの戦場で悲惨な飢餓地獄が現出したのでした。

スポンサーリンク

オーストラリア軍が告発した『人肉食い裁判

日本兵の◯体

太平洋戦争ではフィリピン、ビルマ、ニューギニア、中部太平洋諸島、ソロモン諸島などで、それぞれ何十万という餓死者を出しました。

そのような状況なので”兵士たちは人肉を食べる”ことで生きながらえようとし、またこのような戦場は1つや2つではないようです(⊙_⊙')

しかし、人肉食について当事者たちは表立って語ることはなく、詳しい記録はほとんど残っていません。

そんな中で唯一、ニューギニアでは飢餓状態での人食が戦争犯罪として裁かれた記録が残っています。


日本軍はニューギニア島東南岸の都市でオーストラリアの防衛上の拠点となっているポートモレスビーの攻略を陸と海から目指すも失敗。

それでも日本軍は執拗にポートモレスビー攻略を試みるも、制空権を米軍に奪われ作戦はあえなく頓挫、その後も各部隊は補給部隊すら上陸できないニューギニアの密林をさまよい続けた。

結局、ニューギニア島には約20万の兵士が投入されたが、7割が戦わずしてジャングルで餓死。

日本に戻ってこられたのは1割未満だと言われています。


『人肉食い裁判』の詳細!

1943年7月ニューギニア島におけるオーストラリアの奇襲部隊(Wikipedia)

戦犯裁判はオーストラリア軍によって、ニューギニア島のウエワクで行われ、被告となった中将の容疑は昭和20年7月19日、ウエワクに近い密林で陣地攻防戦のあと『遺棄されたオーストラリア兵の遺体から肉を切り取って食○た』というもの。

その日、オーストラリア軍との戦闘でこの中将の部下27名が戦死。

中将は『オーストラリア兵に対して私は敵意に満ちていた』と答えています(⊙_⊙')

さらに中将は次のように裁判で語りました。


『私は攻撃のあと豪州兵の○体に近づき、着物を剥ぎ取った。

武器を磨くのに布が欲しかったので、私は衣服を切った。

私が○体を切ってから約2時間後、我々は豪州兵の人肉を食○た。』

『私は体が非常に弱っており、
非常に空腹で体力を取り戻したかった。

また、その○体は多数の私の部下が戦争中に倒れたことを思い出させ、私は復讐したかった。』

『私はそれ以前に人肉を食○たことはありません。

人肉を食○た時に悪いことだという気持ちはなかった』

と。

また中将は人肉を食○たのは、この1件だけだと証言、しかしオーストラリア軍の将兵は日本軍が何度も敵の人肉を食○ていたと告発。

判決は当初、死刑とされましたが、その後、懲役5年に減刑されています。



中将の嘘真実

マリアナ沖海戦にて攻撃を受ける空母『瑞鶴』と2隻の駆逐艦(Wikipedia)

裁判から17年後、中将は聞き取り調査に応じて、人肉食事件を自分ひとりでやったのは嘘だと告白。

(戦闘翌日)わたしは中隊本部ならびに隣接部隊の要請にって、食用のため部下の下士官1名、兵士2名に命じて死○を解剖し、小隊全員、中隊本部および隣接部隊に分配させ、自らも食した』

つまり人肉食は軍によって組織的に行われていたことを中将は告白したのです(⊙_⊙')


『トンボ、セミ、カマキリ、ミミズなど生きているものはなんでも食べた』と語る中将は『豪州兵や敵性土○は食○ても良いと聞いていた』とも語っています。

ニューギニアの日本軍は『人肉(敵は除外)を人肉と知りつつ食したるは者は死刑に処す』という指令を出しており、敵兵の人肉を食○ることは事実上認められていたということです。

スポンサーリンク

日本兵同士による共食いもあった!?

地獄の日本兵/飯田進

ニューギニア戦線を経験した飯田進氏が著した『地獄の日本兵』にはある兵士の手記が紹介されています。

見ている前で次々と兵士たちは斃(たお)れていった。

力がつき果てたのか、杖をついて樹に寄りかかっている者が次第に崩れ落ち、そのまま口を少し動かしたまま死んで行くのだ。』

そのようにして斃れていった同胞が、一夜も立たないうちに、太腿や内蔵部が切○取られている。

その無惨な姿を見て、目の前が真っ暗になった』

いかに餓死しようとも、今まで共に苦労を重ねてきた仲間の肉まで剥○取ることは、いまの今まで考えたこともなかった。

背中が急に悪寒がして震えてきた。

俺もこんな姿になるのか...』

飯田氏は戦後、収容所の中で日本兵同士による共食いの話を何度も耳にしたそうです(⊙_⊙')

人肉食はニューギニアだけでなく、ガダルカナル島やフィリピン、グアムでも彷徨する部隊での人肉食の証言が残っており、なかには『民間人の母娘を○して食○た』という話まであります。

兵士たちを人肉食にまで追い込んだのは戦闘を優先し、部隊の維持に必要な補給を軽視した参謀の責任で、兵士を人間扱いしない作戦が人肉事件を引き起こしたのではないでしょうか...


新着記事
スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事