ピックアップ
エレファント・マンと呼ばれた男『ジョゼフ・メリック』の壮絶な人生!!!
スポンサーリンク

映画『エレファント・マン』のモデルとなったジョゼフ・メリック。

彼はその特異な見た目のせいで、好奇の目に晒され普通の人と同じような人生は送れませんでした👀

今回はエレファント・マンと呼ばれた男 ジョゼフ・メリックの壮絶な人生を紹介していきます〆(・∀・@)


ジョゼフ・メリックはプロテウス症候群だった!?

ジョゼフ・メリック(Wikipedia)

画像の通り、ジョゼフ・メリックの体は極度の変形、そして骨が隆起していますよね👀

これは『プロテウス症候群』が原因と考えられています。

プロテウス症候群はギリシャ神話に登場する姿を変えられる海神 プローテウスに由来しており皮膚や骨の腫瘍が出来る病気でこれまでに世界中でわずか200例しか症例がない『奇病』なんです(現在は約120名がプロテウス症候群を抱えている)

プロテウス症候群は進行性の疾患で『出生時は外見上の異変がなく、小児期に症状が現れる』という特徴があります(⊙_⊙')

そしてジョゼフ・メリックも小児期に明らかな身体の異変が起きる...

スポンサーリンク

ジョゼフ・メリックの体に最初の異変が起きる!

ジョゼフ・メリック:FIND A GRAVE https://www.findagrave.com/memorial/7339523/joseph-carey-merrick

生後21ヶ月頃にジョゼフに最初の異変が起きてしまいます👀

口の下付近に硬い腫れ物が現れ、この腫れ物が数ヶ月後には右頬まで拡がってしまいます🥶

そして成長するにつれ症状はさらに悪化し、額には骨の瘤(こぶ)が出現し、皮膚は緩み右手と両足は異様なまでに肥大してしまいました(⊙_⊙')

ジョゼフの体は左腕以外のほとんどの皮膚、骨格に変形が起こり彼が亡くなるまで進行していくことに...
スポンサーリンク

容姿のせいで苦難の日々を送るジョゼフ・メリック

ジョゼフ・メリック

12歳で公立学校を卒業した後、ジョゼフは葉巻を製造するメッサーズ・フリーマンズ葉巻製造会社に就職します👀

しかし右腕の変形が進行していき、それが原因で会社を辞める事に...

会社を辞めたジョセフは父親の支援で行商人の資格を取得し、父の衣料品店の商品である靴下や手袋などを売り歩いたのです(⊙_⊙')

しかし、営業活動は容姿のせいで困難を極めることになります💦

ジョゼフが街頭に立つだけでパニックが起きるなどの騒動もあり、結局、ジョゼフは行商人の資格を剥奪されることに🥶(可哀想過ぎるw)


スポンサーリンク

17歳でレスター・ユニオン救貧院に入る!

オーガスタス・プーギン設計の「コントラスティッド・レジデンセス・フォー・ザ・プアー」:(Wikipedia)

ジョゼフ・メリックは『容姿や身体面の機能の問題でどうしても仕事に支障が出てしまい働けない』と感じて

レスター市救貧委員会に出頭し、就労不能を理由に申し立てをするんです👀

この申し立ては受理されて、1879年12月に17歳でレスター・ユニオン救貧院に入ることになります(⊙_⊙')

(それまでは叔父の家に住んでいた)

レスター・ユニオン救貧院も安息の地ではなかった!?

セント・パンクラス救貧院の女性収容者たちの食事風景(Wikipedia)

レスター・ユニオン救貧院に入ったジョゼフですが、ココも安息の地とはならなかったのです(⊙_⊙')

レスター・ユニオン救貧院は1838年に当初は400人の貧困者を収容する計画の下設立された施設でした👀

しかし、後年に不況の影響で多くの失業者、貧困者が生まれることに...

その結果、1851年には1000人を収容可能な規模に拡張されました。

ジョゼフが入所した時は身寄りのない老人、孤児、身体障害者、知的障害者、精神障害者、etc...

など928名が収容されていました。


救貧院はクリスマス以外では食事も粗末で、就寝時は部屋を施錠されるなど刑務所みたいな感じだったんです。

規則違反をした者には食事制限や恩典の取り消し、監禁なども行われ、悪質な違反の場合は本当に刑務所送りにされたようです(⊙_⊙')

このような環境に耐えきれなくなったジョゼフは翌年の3月にレスター・ユニオン救貧院を退所することに...

退所して、仕事を探す為に2日間街を彷徨いますが、結果はやはりダメで再び救貧院に戻るハメに。

エレファント・マンの誕生!ジョゼフ・メリック、見世物小屋で働くことに!

ジョゼフ・メリックが出演する見世物興行が催されていた建物。(Wikipedia)

1884年にジョゼフにとっての転機が起きます👀

ジョゼフは22歳の時に『奇形者を出演させる興行師兼コメディアンのサム・トー』の存在を知り、自分の病気の事などをつづった手紙をサム・トーに送ります📩

トーはジョゼフと面会して、彼を見世物興行の世界に入れることを決めます💡

こうしてジョゼフは『エレファント・マン』のキャッチフレーズで見世物小屋で働く事となりました〆(・∀・@)

フレデリック・トレヴェス医師と出会う!

ロンドンのホワイトチャペル・ロードで見世物興行が催されていた建物の向かい側にロンドン病院がありました🏥

ロンドン病院の外科医・フレデリック・トレヴェスはジョゼフに興味を持って、自ら診断することに。

トレヴェスはこの年の12月にロンドン病理学会でジョゼフの症例を報告しています。

しかしジョゼフトレヴェスは単なる医師と患者ではなく『友人』と呼べる間柄になっていきます(⊙_⊙')

見世物小屋でようやく活躍の場を手にしたジョゼフでしたが再び窮地に立たされます💦

それを救ってくれたのがフレデリック・トレヴェス医師でした🤩

見世物小屋から見限られたジョゼフ!ロンドン病院に保護される!?

ジョゼフが看護婦たちと作り、ケンドールに贈ったボール紙製のマインツ大聖堂の模型(Wikipedia)

この頃より、見世物小屋を公序良俗に反するとしてジョゼフの出演する小屋にも警察から閉鎖命令が下されることに👀

見世物小屋のマネジメント団のメンバーのノーマンは都市部での興行継続を断念し、イギリス国内の地方小都市を転々としますが、社会情勢の影響で不振続きになります(⊙_⊙')

そしてノーマンはジョゼフの興行権をオーストラリア人興行師に売却します💦

更に悲劇は続き、オーストラリア人興行師はジョゼフの商品価値を見限り、ジョゼフの貯えを強奪し

ベルギー・ブリュッセルで彼を放棄する
んです🥶

異国の地で貯えを奪われ、捨てられたジョゼフは身の回りにある僅かな品を質に入れなんとかロンドンにたどり着きました。

ロンドンに着いたジョゼフはトレヴェス医師の名刺を頼りに保護を要請し『ロンドン病院』に収容されることになりました〆(・∀・@)

病院に収容されたジョゼフはトレヴェス医師に心を開く

病院収容当初は他人に対して警戒心を抱いていたジョゼフでしたが次第に打ち解けることに。

特にトレヴェス医師は1日に1度は必ずジョゼフの部屋を訪れるようにし、日曜日は数時間共に過ごすことで

ジョゼフはトレヴェスに心を開くようになります👀

トレヴェス医師は当初、ジョゼフを重度の知的障害者と考えていましたが、ジョゼフと接する内にジョゼフの知能は健常者と何ら変わらないことに気づき当初の考えを改めることに。


ジョゼフ・メリック の突然死!

ジョゼフ・メリック の遺骨のレプリカ Japanese Class.jphttps://japaneseclass.jp/img/ジョゼフ・メリック

1890年4月11日にジョゼフは27歳で『突然死』する。

研修医が、ベッドに仰向けに寝た姿勢で亡くなっていたジョゼフを発見します(⊙_⊙')

自殺説なども浮上しましたが、死因は『頸椎の脱臼』もしくは『窒息死』による自然死とされています。

ディスカバリーチャンネルが2011年に制作した『蘇るエレファントマン』で彼の骨格標本を詳細に検査したところ、頚椎が脱臼し、絶命したとの結果となりました。

プロテウス症候群によりその容姿が好奇の目に晒され続けたジョゼフは死を持って、その苦しみから開放されたのかも知れません(⊙_⊙')

スポンサーリンク

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事