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【大分一家6人殺傷事件】犯人の少年は覗きと下着泥棒がバレて暴走した!?

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思春期の少年なら誰もが異性への興味に駆り立てられるものですが、それが行き過ぎて覗き・下着泥棒という犯罪を起こしたことがきっかけで殺傷事件へと発展した事件があります。

それが2000年8年14日午前2時50分頃に大分県大野郡野津町(現在の臼杵市(うすきしし))で発生した

大分一家6人殺傷事件

で、犯人は当時15歳の少年Aでした(⊙_⊙')

事件の舞台となった野津町は静かな山林の集落なのですが、この閉鎖的な土地だからこそ起きたとも言える事件なんです。

少年Aはなぜ一家6人を殺◯する事件を起こしたのか?

さっそく事件の概要を見ていくとしましょう...

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事件前、集落で下着泥棒・覗き被害が多発

事件の舞台となった被害者宅

事件当日、Iさん(65歳)宅の敷地内に侵入したAは農機具小屋で消灯を息を殺◯て待っていた...

なぜか?

少し時計の針を戻してみましょう。

事件の前日8月13日、IさんはAの自宅に怒鳴り込んで母親に”Aが風呂場を覗いた”ことを注意したんです(⊙_⊙')

さらにその1週間前の8月6日にもIさんは同様の内容で怒鳴り込んでおり

Aは母親から”覗き”の件を問い詰められますが否定し、父親からは

Aの父親
『今度何かあったら真っ先に疑われるから気をつけろ』
   

と釘を刺された矢先に2度目の怒鳴り込みがあったわけです。

大分県野津町では春先頃より

  • 下着が盗まれる
  • 風呂を覗かれる

という被害が続発しており、被害に遭うのは16歳の長女がいるIさん宅とAの顔見知りの女子中学生がいる2軒

『Aが犯人だ』

集落内で噂になっていたんです(*´Д`*)

皆、Aの犯行と知りつつも、以前と同じように彼に接していたわけです。

が!!!

これが逆にAのプライドを傷つけたのかもしれない...

それまでもAは何度か不審行動で見咎められたことがあったものの、現行犯で押さえられたことはなかったため、彼は隠し通せると鷹をくくっていたわけです。

しかし、Iさんの2度目の怒鳴り込みによってAは追い込まれてしまう。

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Aは覗きの一件でIさんから無視されるように

Aが侵入ルートにしたIさん宅の風呂場の窓

Aは小学5年生の頃から新聞配達のアルバイトをしており、配達先の中にはIさん宅もあり普通に挨拶をし合う仲で、またAの父親とIさんは釣り仲間だったこともあり家族ぐるみの付き合いだったんです、以前は...

しかし覗きの一件があってからというもの、AがIさんに挨拶しても露骨に無視されるようになったというんです(⊙_⊙')

そして2度目の怒鳴り込みがあった日のこと。

Aは自宅倉庫の片付けを頼まれ、そこで偶然、兄のサバイバルナイフ(刃渡り11センチ)を見つけ、自室に持ち帰り砥石で研いだ後に畳や柱などを試し切りするうちに

A
『偶然ナイフを見つけ、一家を殺◯うと考えた』
   

と供述しています。

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Iさん一家を皆殺◯にしようとしていたA

Iさん一家の通夜の様子

事件当日、自宅を出てから約1時間が経過したところでようやくIさん宅の電気が消えたためAはゆっくりと小屋から出て風呂場へと向かった...

風呂場の窓を金槌で割って侵入すると、Aは母屋から続く階段を駆け上がる。

Iさん宅は妻S子さん(66歳)夫婦が寝る母屋と娘のT子さん(41歳)とその長男(13歳)次男(11歳)そして長女(16歳)が寝る離れが階段でつながっていた。

Aはまず

寝ていた長男をサバイバルナイフでメッタ刺◯

にし、それに気づいて逃げようとした

次男の胸を一突◯

にした。

さらに!!!

T子さんと長女の背中にナ◯フを突◯立てる!

その結果、S子さん、T子さん、長男はほぼ即◯Iさんは頬を刺◯、刃 の先が脳に達する重傷を負う。

(次男と長女も重傷)

犯行後、AはIさん宅の電話線を引きちぎって自宅に戻ると、軽油の入ったポリタンクを持ち出してIさん宅に軽油をまいて火をつけた。

しかし、火は玄関の一部を焼いただけで消えてしまった。

Aは『一家全員を皆殺◯にした』と思っていましたが、実は重傷を負いながらも長女が携帯電話から110番通報をしていたんです(⊙_⊙')

そして午前4時、Aの自宅に捜査員が訪れ、その際にAは

A
『家におったよ。どこにも出てない』
   

と平然と答え、任意同行に応じ、三重署(大分県)に向かう警察車両の中でAは突然、犯行を認め、午前6時、Aは殺○・殺◯未遂容疑で緊急逮捕されます。

Aの犯行動機

Aを護送するワゴン車

動機についてAは

A
『覗きは濡れ衣でプライドを傷つけられた』
   

というのが彼の言い分でしたが(*´Д`*)

逮捕後にAは侵入と下着泥棒には認めたものの、覗きに関しては↑のように否定しており、その後も認めたという報道はされていません。

おそらくAにとっては殺◯犯よりも覗き・下着泥棒というレッテルを貼られることの方が屈辱だったのかもしれませんね。

Iさんから怒鳴り込まれ家族や集落の人たちに恥ずべき犯罪が知れ渡ったことがA本人が述べたようにプライドを傷つけられ、それが憎悪となり暴走してしまったのでしょう。

昭和13年に岡山県で起きた津山事件の犯人・都井睦雄も集落という小さなコミュニティの中で結核が原因で無視され続けたことで暴走し33人を殺◯し、最後は自◯して人生に幕を閉じていますが...

閉鎖的環境が2つの事件が起きた要因の1つと言えるのかもしれません。

Aの幼少期〜中学時代、そして...

事件を報じる朝日新聞

Aは共働きの両親、5歳上で会社員の兄、祖母の5人家族で幼少期は両親が家を空けることが多くAは夕食をひとりで食べていた(カップラーメン)時期があったそうです(⊙_⊙')

彼は格闘ゲームやホラー映画好きで、授業で習ったCGに興味を持ったことからコンピューターグラフィック科がある大分市内の県立高校への進学を希望しますが家族に反対され普通高校に進学。

入学後は野球部に入部しますがすぐの退部し、その頃からAは生活態度が乱れていきます。

Aは10人ほどの不良グループと行動するようになると、髪を染め、ピアスもするようになりますが、イジメられていた時期もあり5月には家族を通じて学校に退学を申し入れています。

しかし学校を休みがちになったAの自宅に担任が何度も訪問し話し合った結果、彼は退学を思い止まります。

が!!!

そんな最中に集落内では下着泥棒が多発するように...

Iさん宅などで下着が繰り返し盗まれ、時には切り裂かれた下着が室内に放置されていることやポ◯ノ雑誌が道端に散乱していたこともあった為、被害に遭った家では警戒を強めていました。

そのような中でAはI戸締りを確認していたIさんに見つかり、持っていた脚立(覗きをするための)を置いて逃げ去っており、これが1度目の注意につながったわけです(*´Д`*)

事件から約10日後の8月25日にAが同居していた祖母が亡くなり、その通夜の席でAの両親は初めて住民の前に姿を現して泣きながら頭を下げ謝罪をします。

そして12月26日、大分家裁の最終審判で

『重症の小児期発症型行為障害』

という精神鑑定の結果を考慮し、長期間にわたり専門的な治療と教育を行う必要があると認定されたAは医療少年院送致とする保護処分が決定しました_φ( ̄ー ̄ )

 
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