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吉田松陰が処刑された『小塚原刑場』やその他の処刑場 収容所を紹介!
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吉田松陰が処刑された『小塚原刑場』やその他の処刑場、収容所を今回はいくつか紹介したいと思います🤩

処刑所や収容場ではどのように処刑や拷問が行われていたのか?

について早速、見ていきましょうᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ

小塚原刑場で20万人以上が処刑された!?

小塚原刑場の首切地蔵(Wikipedia)

小塚原刑場は1651年に創設されて、処刑が行われていました(⊙_⊙')

処刑方法は斬首刑が行われていましたが、明治の初期頃に西洋人から残虐と指摘されたのをきっかけに斬首は廃止されましたが小塚原刑場で処刑された人数は20万人以上と言われています😨

その中には松下村塾で多くの幕末志士を育てた『吉田松陰』も含まれていました👀

処刑された罪人の遺体は土を被せる程度にしか埋めなかった為、夏場はとんでもない腐敗臭が充満していたようです😷

その他にも野犬などが土を掘り起こして遺体を食べた為、食い千切られた遺体が散乱するという地獄絵図のような光景になったこともあるようです(⊙_⊙')



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タイバーン処刑場で行われていた公開処刑!

処刑を見物する人々を描いたウィリアム・ホガースの絵(Wikipedia)

タイバーン処刑場はイギリスのロンドンの近くにあり絞首台が設置されていて、絞首刑による処刑が行われていました👀

公開処刑は当時、民衆の娯楽の1つで楽しみにしている人も多かったのです😅

ロンドン市民は休日になるとタイバーンへと出向いては怯える囚人に罵声を浴びせました(⊙_⊙')

逆に腹を括って堂々としている囚人には拍手を送るなどして楽しんでいたようです🥶

そしてタイバーンでは死刑執行の前に死刑囚が酒場で酒を飲む権利が与えられていました〆(・∀・@)

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本物の船がそのまま監獄に!?『監獄船』

オーストラリアの監獄船『サクセス』:wikipedia

18世紀の後半、ロンドンの街では窃盗や物乞いで溢れかえっていました👀

そしてこのような者達(囚人)は船で次々とアメリカへ送り込まれていったのです🚢

しか〜し、アメリカはイギリスの囚人の受け入れを拒否する(⊙_⊙')

そこでイギリス政府はこの船をそのまま監獄にしてしまおうと考え

その結果『監獄船』が誕生したわけです
⚓️

監獄船の囚人達は灰色の囚人服を着させられ、足には枷と7キロ近い重しがつけられていました。

これでは海に飛び込んで逃げることは到底出来ないですよねw

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監獄船は劣悪な環境で看守の拷問が行われていた!?

監獄船内では発疹チフス、皮膚病、赤痢、結核が蔓延しておりこれらの病気によって多くの囚人が命を落としました(⊙_⊙')

『ジャスティシア号』では2年間で362人中176人の囚人が亡くなっており、劣悪であった事が分かりますね💦

そして監獄船の看守がやりたい放題やっていて棍棒を常に携帯していた看守は懲罰と称して

囚人達を思う存分拷問していたというから恐ろしい
...(;-_-)

監獄船はオーストラリアが新たな流刑地となった為に次第に衰退し、1858年に廃止されました〆(・∀・@)

世界遺産のロンドン塔もかつては処刑場だった!?

世界遺産のロンドン塔(Wikipedia)

現在は世界遺産に登録されているロンドン塔ですが、昔は監獄や処刑場としての顔も持っていました👀

ロンドン塔は20年の歳月をかけて作られ11世紀末に完成する...

ロンドン塔には身分の高い政治犯を収容してここで殺された王族も大勢いるんですね(⊙_⊙')

ヘンリー6世(Wikipedia)

(イングランドとフランスのヘンリー6世は1471年にロンドン塔で暗殺されている)

ヘンリー8世(wikipedia)

ヘンリー8世の2番目の妻アン・ブーリンは1536年に姦○の罪でロンドン塔で斬首されています👀

ヘンリー8世は処刑の際、首切り役人をわざわざフランスから呼び寄せている...

イングランドの処刑人は斬首の腕が未熟の者が多く、死刑囚は何度も斬り直されて地獄のような苦しみを味わうケースが多かった為に腕の良い処刑人を呼び寄せたようです〆(・∀・@)

テロリストが収容される!?『グアンタナモ米軍基地』

収容施設の1つ『キャンプ・デルタ・ワン』(Wikipedia)

キューバのグアンタナモ湾に位置するグアンタナモ米軍基地はアメリカが租借地(そしゃくち)としています(⊙_⊙')

ここにはアルカイダなどのテロリストが収容されるようになるのですが、租借地の為にアメリカの法律が適用外という事で人権侵害に当たるような拷問が繰り返されているようです💦

更にグアンタナモ米軍基地周辺には大量の地雷がある為、脱獄がより困難になっています〆(・∀・@)


グアンタナモ米軍基地での拷問の実態とは!?

少年兵を釈放するよう要求するデモの様子(Wikipedia)

それではグアンタナモ米軍基地での拷問の様子が分かるエピソードを『世界の拷問・処刑事典』より引用したいと思います〆(・∀・@)


ドイツで生まれ育ったトルコ人のムラット・クルナズさん(当時19歳)はパキスタンから帰国する際、パキスタン治安部隊に拘束され米軍に引き渡された。

そして『私はタリバンもしくはアルカイダであったが、もう戦わないことを誓う』と書かれた紙にサインするように求められた。

クルナズさんが拒否すると、今度はグアンタナモ収容所に送られて拷問の日々を送る。
世界の拷問・処刑事典

クルナズさんが収容された部屋には水の入ったバケツと空のバケツがあった。

前者が飲み水で後者がトイレだった。

グアンタナモ収容所でクルナズさんは立つことも座ることもできない不自然な姿勢を30時間もさせられる拷問を繰り返し受けた。

収容所には9歳と12歳と14歳の少年もいたとクルナズさんは証言している。

5年間拘束された後、何の説明もされないまま頭に袋を被せられて釈放された。
世界の拷問・処刑事典

オバマ大統領はこの収容所の閉鎖を公約しましたが、今でも250人が収容されたままだそうです🥶

極寒の地での強制労働!『シベリア抑留』

(NHKオンライン)

シベリア抑留とは第二次世界大戦末にソ連軍の捕虜となった日本兵や民間人がシベリアで強制労働させられたことを指します👀

実際にどれくらいの日本人が抑留されたのかは正確には分かっていないですが少なくとも57万人最大200万人という説があります(⊙_⊙')


シベリアは場所によってはマイナス70度を記録する、極寒の地でこのような環境下でろくに食事も与えられない状態で長時間の強制労働をさせられていました🥶

なお、死者数は日本側の資料で5万3000人、ロシア側で4万1000人ですが37万人という調査記録もあるようです(⊙_⊙')

シベリア抑留、強制労働の実態とは!?

舞鶴引揚記念館

強制労働者達は、シベリア鉄道の敷設、森林伐採、石炭掘りなどを強いられていました💦

夏に連れ去られた強制労働者は夏服のまま強制労働させられてる人も多かったのです。

更に強制労働者の宿舎は不衛生でノミや南京虫が湧き出たりなども日常茶飯事😱

また死者が出ると凍りついた土を掘り起こして埋葬していたようです(⊙_⊙')

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