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日本の鬼畜過ぎる死刑囚10選!彼らには極刑すら生ぬるい...

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日本における最も重い刑罰、それは死刑

凶悪犯罪をおかせば自らの命を持って罪を償わななければいけません。

通常、人間は頭の中で暴◯的な妄想をしていたとしても、理性によって抑制できるため、ほとんどの人は行動に起こすことはないでしょう。

しか〜し!!!

この記事では紹介するのは理性を失い、人を殺◯たことで確定死刑囚となった悪のエリートたちです!

彼らはどのような事件を起こして死刑囚となったのか?

10人の死刑囚たちの狂気に満ちた事件概要について見ていくとしましょう...

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『殺◯屋連続殺◯事件』藤井政安

藤井政安(ふじい まさやす)

1972年3月下旬、東京都練馬区で娯楽機器販売兼、高利貸しをしていた藤井政安(当時30歳)は、大田区の食品販売業Sさん(同50歳)に1ヶ月返済の約束で1,000万円を貸すんです(⊙_⊙')

しかし、Sさんは返済することができなかったため、藤井は日本刀でSさんを脅してトイチの利子(10日に1割の利子)を押しつけた、しかし...

Sさんは同年4月から3ヶ月で1,700万を返済するも、残りの274万円の支払いがどうしてもできなかった。

そこで藤井はSさんが所有する時価総額約1億円の4階建てビルを売却させ、約束手形の額面274万円を奪い取る

この恐喝事件で藤井は1973年9月1日に逮捕されるんですが、警察の取り調べで

複数の殺◯事件が発覚

することに...

藤井政安の起こした3つの殺◯事件!

1970年2月、藤井は不倫相手と結婚するために、愛人の夫(同34歳)の殺◯を従弟Fに100万円で請け負わせます(⊙_⊙')

Fは共犯Wと共に、同月13日の夜、都内の路上に停めた車内で夫の胸をナ◯フで突き刺して殺◯

また夫の遺◯は3年7ヶ月後に発見されたのでした_:(´ཀ`」 ∠):


次は1971年、藤井は暴◯団の男性(同32歳)に300万円貸していましたが返済がないので、再び従弟に

藤井
『金の隠し場所を聞き出したうえで殺◯てくれ』
   

と依頼。

FはW、U、Iと共謀して、同年10月27日の夜に神奈川県内の堆肥貯留場(たいひちょりゅうじょう)で男性を裸にして手錠をかけ、猿ぐつわをかませた状態でクロロホルムを嗅◯せた。

そして男性が失神中に土中に埋めて窒息◯させたのです。

さらに1973年には茨城県で砂利採取事業を営む男性(同39歳)に藤井は多額の金を融通しますが、返済困難になったため、男性が経営する会社を乗っ取る計画を立てます。

が!!!

男性はこれを拒否。

そのため藤井は2件目の事件共犯者Iに100万円で男性の殺○を依頼し、同年4月15日夜にIはTと共謀して、男性にクロロホルムを嗅がせ、失神したところを絞◯。

そして遺◯を土中に埋めた...

このように藤井は殺◯屋を使って金を返さない者たちを次々に殺◯せたため、この事件は『殺○屋連続殺◯事件』と呼ばれています_φ( ̄ー ̄ )

藤井は現在も死刑執行されていない!?

  • 恐喝
  • 殺◯
  • 死○遺棄

の罪で起訴された藤井は

  • 最初の被害者の母親に150万円
  • 2番目の遺児の祖母に150万円
  • 3番目の遺児に301万円

を送るなどの反省、誠意を示しました。

が!!!

一審の判決公判で裁判長は

裁判長
『藤井被告の反社会的性格は根強く強固なものであり 現在反省し、後悔してる点を含めても責任は極めて重大で、極刑が相当である』
   

と死刑を宣告。

またFとIにも死刑判決が下り、他の3被告には懲役刑が言い渡されます(⊙_⊙')

(その後、F、Iの両被告とも控訴審で無期懲役に減刑された)

藤井は上告しますが、最高裁は

最高裁
『報酬の支払いを約束して3人の殺◯を次々に実行させた責任は重大であり 死刑はやむを得ない
   

と訴えを棄却。

この事件は1970年代に起きましたが、藤井は2022年現在も、まだ生きており(現在80歳)再審を求め続けています_φ( ̄ー ̄ )

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『栃木・妻と知人殺◯事件』長勝久

長勝久(ちょう かつひさ)

長勝久は小学校の頃から暴◯的な性格で、高校中退後は職を転々としながら地元・栃木県の暴走族に所属していました(⊙_⊙')

そんな長が同県小山市の女性Cさんと出会ったのは1988年5月のことで、2人は同棲を経て結婚。

長はCさんの実家が経営する土建屋で働き始めるのです

が!!!

長の仕事ぶりは怠慢で、また不誠実で嫉妬深く、暴○的だったため、それに嫌気を差したCさんは11月上旬に実家へと帰ってしまいます。

長は、よりを戻すために11月19日19時頃にCさんを呼び出し、車に乗せて復縁を求めましたが、見事に拒否されます(*´Д`*)

長はCさんに男ができたと思い込み逆上し、絞◯。

(このとき長は22歳でCさんは18歳という若さでした。)

さらに長は父親に頼みこ込んでCさんの遺◯を祖父の実家の花壇に埋めるというクレイジーな行動に出たんです_:(´ཀ`」 ∠):



長の常軌を逸した行動!男性に対して...

Cさん殺◯から3ヶ月後の1989年2月、長は新しい女性と同棲を始めており、そこに栃木市の自動車部品製造会社で働いていた男性・Wさんがよく遊びに来ていたんです(⊙_⊙')

長とWさんが知り合ったのはCさん殺◯前の1988年9月頃でしたが、Wさんは気弱な性格で、長はそこにつけ込み、彼に対して日常的に

長がWさんに行った虐◯
  • 炎天下に車のトランク内に閉じ込めて熱射病にさせる
  • スプレー缶やフライパンで殴◯する
  • 肛◯に棒を突っ込む
 
 

などの常軌を逸した虐◯の数々を行っていたんです(*´Д`*)

Wさんは日に日に衰弱していきますが、長の虐◯はさらにエスカレートし、1989年11月頃、瀕◯の状態の彼に対して浴室内で何度も殴◯し、ついには死◯至らしめます。

そしてWさんの遺◯に関してもCさん同様に祖父の花壇に埋め、後に長の父親が

『Cさんの遺◯と共に焼却し、燃え残った人○を粉砕して土の中に埋めた』

というんです!!!

SHIN
『親子揃ってサイコパス過ぎる...』
   

それから7年後の1996年5月21日...

長は当時、経営した神奈川県川崎市のデ◯ヘル店の従業員2人に対して日常的な暴◯を加えていたことが発覚し、傷害罪で神奈川県警に逮捕されます。

また警察が父親や同棲していた女性に事情を聞いたところ、CさんやWさんの事件にも関与していることが発覚。

さらにCさんのものと思われる人◯が発見されたことで、同年8月19日に警察は長を再逮捕したのです。

(Wさんの人◯は見つからなかった)

長は公判で2人の殺◯を全面否認するが...

公判で長は

『物的証拠はほとんどない』
   

ことを盾に2人の殺◯を完全否認します(⊙_⊙')

しか〜し、宇都宮地裁はCさんの殺◯に関して

宇都宮地裁
『実の息子が殺◯の大罪を犯した衝撃的な事実を知った経過などを具体的に述べ 被告が『首を絞◯た』と言ったことを明確に断言した父親の証言に疑いを差し挟む余地はない』
   

とし、つまり長の父親が息子の犯行を明確に証言したのです。

そしてWさんの事件についても長に明らかな殺◯があったと述べ死刑判決を下し、また控訴審、上告審も一審判決を支持し死刑確定となりました。

が!!!

長に関してもまだ死刑執行されておらず、彼は現在も裁判のやり直しを求めているのです_φ( ̄ー ̄ )

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『東大阪集団リ◯チ殺◯事件』小林竜司

小林竜司(こばやし りゅうじ)

2006年6月15日、大阪の東大阪大学のサッカーサークルに所属するT(当時21歳)がサークル仲間F(同21歳)の彼女に好意を持ち3通のメールを送ったことで、Fは怒ってTに殴りかかります。

が!!!

Tは返り討ちにされます_:(´ཀ`」 ∠):

怒りが収まらないTは友人のI(同21歳)という人物に相談するんですが、Iは高校卒業後にゴト師(パチンコ・パチスロで不正に出玉を得る者)として生計を立てていました。

相談を受けたIはその翌日、会社員M (同21歳)など3人の友人と共にTと、彼の相談相手だったサークル仲間のS(同21歳)を公園でリ◯チ。

さらにIはバックに暴◯団員がいることを匂わせ、慰謝料50万円を2人に要求し、支払うことを約束させたんです(⊙_⊙')


しかし、これで終わらないんですよ。

Sは地元・岡山の中学の時の同級生・小林竜司(同21歳)に相談するんです!

相談を受けた小林は同じ中学時代の仲間で大阪府立大に通っていた広畑智規(同21歳)に声をかけて

仕返しの計画を立てる...

小林、広畑、16歳少年らがF、I、Mに対して凄惨なリ◯チを行う!

小林竜司

6月18日午前3時頃、Tから『50万を調達できる知人がいる』

という連絡を受けたFとIがMの運転する車で岡山インターへと向かいます。

(車内にはTとSも乗っていた)

しかし、車が到着して待ち構えていたのは

  • 小林
  • 広畑
  • 16歳の少年ら4人(小林のバイト仲間)

で、彼らはF、I、Mに殴る蹴るの暴◯を加え、さらに...

インターから50km南にある公園に連れていき

ゴルフクラブや金属バットで3人を滅◯打ち

に!!!

そして午前4時半頃、今度は小林が以前勤務していた建設会社の資材置き場がある山中に3人を連行し、16歳の少年がユンボ(油圧ショベル)で穴を掘り始める...

(この間も暴◯は続いていた)

そして小林はFを穴の前に立たせてMに

小林
『助かりたかったら石をぶ◯けてトドメを刺せ!』
   

と強要。

MはFに石を投げつけると彼は穴へと落ちてしまい、16歳の少年によって土砂を被せられて生◯埋めにされた...

この後、Mは小林に

小林
『警察に言ったら家族を皆殺◯にする!!』
   

と脅されながらも解放されています(⊙_⊙')

しかしIは無事では済まなかった...

Iは粘着テープでグルグル巻◯にされ、小林のマンションに運ばれます。

(小林は以前から暴◯団に憧れていて、Iが組の名前を騙ったことが許せなかった)

小林は知り合いの暴◯団員のに電話をかけ、Iの処分を相談、さらにIが瀕死の状態であることを伝えると

組員
『処分しちまえ』
   

と言い放った...

その言葉を聞いた小林は、再び少年たちを使って資材置き場でIを生◯埋めにして殺◯。

この事件は生存者であるMが通報したことで発覚し、すぐに小林・広畑を始め、犯行に加担した計9人が大阪府警・岡山県警の合同捜査本部に逮捕され、FとIの遺◯も発見されました。

被害者遺族『全員死刑にして欲しい』

犠牲者となった2人
画像:Twitter

公判で検察側は小林が事件を主導したとして

検察
『人間の所業とは思えない・更生の可能性は乏しく、年齢は若いが極刑で臨むほかない
   

と主張。

また被害者2人の両親ら遺族も意見陳述し

遺族
『(加害者)全員を死刑にして欲しい』
   

と述べました(⊙_⊙')

そして大阪地裁の出した判決は

  • 小林・・・死刑
  • 広畑・・・無期懲役
  • その他の被告・・・11〜17年の懲役刑

控訴審、上告審ともに一審判決を支持し刑が確定となりました。

この事件が異様なのは小林は元々犠牲者と面識がなく、初対面で2人を殺◯ている点ですね(*´Д`*)

お灸を据える程度の制裁ならまだしも、ここまで凄惨なことをやるのは彼が真性のキチだからとしか言えないですね_φ( ̄ー ̄ )


『光市母子殺◯事件』大月孝之

大月孝之(おおつき たかゆき)

僕は山口県出身なのですが、山口県で殺◯事件なんて滅多に起きないので今でもこの事件のことはよく覚えていますね👀

1999年4月14日14時半頃、山口県光市のアパートに住む会社員・本村洋さん宅に、当時18歳の配管工・大月孝之(旧姓・福田)が排水管の検査を装い強◯目的で侵入

そして家にいた妻・弥生さん(同23歳)に襲いかかるも、激しく抵抗されたため、両手で首を絞◯て殺◯後に姦◯。

さらに、その側で泣いていた長女・夕夏ちゃん(同11ヶ月)を床に叩きつけた後に、持っていたヒモで絞◯。

その後、事件発覚を恐れた大月は2人の遺◯を押し入れに隠し、弥生さんの財布を奪って逃走します(⊙_⊙')

しかし夫・本村さんが帰宅してすぐに遺◯を発見し、すぐさま110万通報したことで事件は発覚し、事件発生から4日後の4月18日に大月は殺○容疑で逮捕されます。

事件から13年後に死刑が確定した!

犠牲になった弥生さんと夕夏ちゃん

1999年8月11日に行われた初公判で、大月は起訴事実を認め、被告弁護人側は

弁護人
『幼少期から実母と共に実父から暴◯を受け、中学時代に実母が自◯し、父親が再婚したことで心の支えを失った。少年の内面の未熟は顕著で、18歳未満を死刑にしないという少年法の精神が適用されるべきだ』
   

と主張。

しかし検察側は

検察
『 母親の自◯と犯行は関係なく、殺◯が許されないのは小学生でもわかる。 自己の欲望と感情のおもむくまま、幸福な家庭を築いていたシフト乳児を殺◯した冷酷かつ残虐極まりない非人間的犯行。』
   

検察
『 少年犯罪の凶悪化を考慮して刑罰で知らせる必要があり、 事件の重大性を考えると極刑を持って臨むほかない
   

として死刑を求刑。

しかし、この時に下った判決は無期懲役でした(⊙_⊙')

判決理由を裁判長は

裁判長
『 犯行は身勝手、自己中心的で酌量の余地はないが、犯行当時18歳になったばっかりの少年であり、矯正教育により更生の可能性がないとは言いがたい
   

と述べたのです。



しかし一審判決後、大月は拘置所から知人に

大月
『無期はほぼ決まり、7年そこそこで地上に芽を出す』
   

という内容の手紙を複数出していたんです(*´Д`*)

刑量不当として控訴した検察側はこの手紙を

検察
『不謹慎な内容で反省が見られない』
   

と証拠品として提出します。

本村洋さん

さらに2001年12月26日に弥生さんの夫・本村洋さんが意見陳述し

本村洋さん
被告人が犯した罪は万死に値します。 いかなる判決が下されようとも、このことだけは忘れないで欲しい』
   

と強く死刑を求めますが、広島高裁は検察側の訴えを退けて、無期懲役を言い渡したのです...

が!!!

上告審で最高裁は

最高裁
『 計画性のなさや少年だったことを理由に死刑を回避した二審判決の量刑は甚だしく不当で、 破棄しなければ著しく正義に反する
   

とし、審理を高裁に差し戻すことを決定するんです!

その結果、広島高裁は

広島高裁
『殺◯はなく傷害致死にとどめるべき』
   

という弁護側の主張を退け

死刑を宣告

上告審もこれを支持し、大月の死刑は確定

(犯行から13年後に死刑が確定した)

その後、大月と弁護団は再審請求して特別抗告審まで争いますが、最高裁は2020年12月にこれを棄却。

さらに第二次再審請求も2022年3月31日付けで広島高裁に退けられています_φ( ̄ー ̄ )

『大阪ドラム缶遺◯事件』鈴木勝明

鈴木勝明(すずき かつあき)

2004年12月3日、大阪府堺市の建設作業員・鈴木勝明(当時37歳)は和泉市の元カーペット製造業販売者社長宅で、元社長・浅井健治さん(同74歳)と妻・きよさん(同73歳)の頭部を鈍器で殴◯して殺◯し、ロレックス2個と車(計240万円相当)を奪って逃走します(⊙_⊙')

(遺◯を車のトランクに入れたまま逃走した)

犯行から4日後の同月7日に鈴木は阪南市の貸ガレージを借りて、勝明さんの携帯から

『夫婦で金沢の温泉にいるから心配しなくていい』

というメールを親族に送信しています。

その後、ホームセンターでドラム缶を購入して、2人の遺◯をノコギリでバラバラにしてドラム缶に詰め込んで、厳重に密閉し放置したんです_:(´ཀ`」 ∠):

犯行の動機と鈴木の逮捕

鈴木は2003年9月に泉南市の建設会社に入社し、2004年1〜2月まで浅井さんの会社事務所の新築工事現場で働いていましたが、その後、金銭トラブルが理由で解雇されてしまいます(⊙_⊙')

当時、鈴木は消費者金融などに数百万の借金があったため、鈴木さん宅に強盗目的で押し入ったわけです。

事件後、鈴木はガレージの1ヶ月分の賃料を払った後、シャッターの鍵を返却せずに管理人と連絡を絶ったため、その後の5年間は誰もガレージを使っていませんでした。

しか〜し、2009年11月25日に新しい借主が決まったため、管理人がシャッターを開けたことで

遺◯が発見

されました。

すぐに捜査線上に鈴木が浮かび、27日に浅井さん宅からロレックス・車を盗んだ窃盗容疑で逮捕されます。

が!!!

鈴木は殺◯の関与を否認し、さらに

鈴木
『連絡先は知らないが、ヤミ金の知人2人が殺◯した』
   

と主張したんですよ(*´Д`*)

物的証拠がなかったため、捜査は難航しますが、大阪府警は状況証拠から鈴木の単独犯行と断定し、12月3日に強盗殺○容疑で再逮捕したのです。

鈴木は無罪を主張する!しかし...

2013年5月20日に行われた初公判で鈴木は

鈴木
『絶対にしていない。別の2人が殺◯したと思う』
   

と男性2人の名前を挙げて無罪を主張します。

しか〜し、検察側は

検察
『 被告は遺◯が見つかったガレージの借り主で、 夫婦が殺◯された直後に元社長の腕時計を質屋で監禁していた』
   

と指摘し、さらに

検察
『 被告が寛容を主張する別人は存在せず、 鈴木被告が借金返済のため単独で夫婦を殺◯した
   

と主張したんです(⊙_⊙')

これに対し弁護側は

弁護人
『 真犯人は2人の男と思われる』
   

と訴え、『事件後に府警が採取した血痕を鑑定せずに紛失し、さらに取り調べ中に警察が怒鳴るなどの違法捜査が行われていた』

と公訴棄却を求め、さらに

弁護人
『 直接証拠はなく、 疑わしいと言うだけで犯人と決めつけないでほしい』
   

と裁判員に呼びかけたました。

が!!!

大阪地裁の出した結論は当然ながら

死刑

で、裁判長は

裁判長
『 遺◯遺棄の方法は凄惨で犯人でなければ知らない手口。 鈴木被告が犯人でないという説明は、もはやできない』
   

と判決理由を説明。

それでも無罪を主張する鈴木はその後、高裁、最高裁に訴えますが棄却され、確定死刑囚として大阪拘置所に収監されました_φ( ̄ー ̄ )

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