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イギリスの『サリン付着実験』と日本で行わた人体実験を紹介!

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サリン・ソマン・タブン・VXガスなどの神経ガスは戦時の有効な化学兵器として

ナチス・ドイツをはじめ欧米各国が開発・生産に励んでおり

日本では1995年3月20日にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生

日本だけではなく世界中に衝撃を与えました(⊙_⊙')

しかしサリンを人間に対して使用したのはオウム真理教だけではなかったんです!

1930年代後半から80年代にかけて化学兵器施設『ポートダウン』や生物兵器研究所『バイオロジカル研究所』

秘密裏にサリン付着実験が行われイギリスはこの事実を20世紀後半まで隠し続けていたのだから...


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8千人以上のボランティアが騙されて犠牲になった!

化学兵器施設”ポートダウン”の入り口
画像:wikipedia

1997年にイラン・イラク戦争や湾岸戦争で化学兵器の使用・疑惑が取り沙汰され『化学兵器禁止条約』が発効。

これにより国際連合加盟国に対し核兵器の開発・生産・貯蔵・使用とその製造施設を処分することが義務付けられます(⊙_⊙')

しかし条約に基づいて1999年にイギリス政府が『ポートダウン』を調査すると過去の人体実験の膨大なデータが見つかる

警察が実験に参加した軍人約2万人から得た証言によれば第一次世界大戦が勃発した1939年から軍による化学兵器の研究はスタートしており『治験』の謳い文句で集められた約8千人のボランティアはマスタードガスと知らされずに毒性実○に参加

さらに第二次世界大戦後の1945年〜50年にかけて約3千400人以上に対してサリンやVXガスなどの毒性実験が行われていたのです。


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サリン付着実◯で死亡した兵士”ロナルド・マディソン


ロナルド・マディソン空軍二等兵はサリン付着実験で死亡
画像:wikipedia


大半の被験者は多額の報酬を受け取っており実験内容を口外しなかったので長い間、公にならなかったが調査によって1953年に死者が出ていたことが判明

当時20歳だったロナルド・マディソン空軍二等兵は他の被験者と同様に科学者から風邪薬の効果を調べると聞かされており特に疑いもなく研究室へと足を運ぶ...

マディソン兵士は命じられるままにガスマスクをかぶり左腕を差し出すとそこに200mgほどの液体を垂らされる。

サリンでした。

サリンは一滴垂らすだけで確実に死に至ってしまう程の殺傷能力があり

当然の如くマディソン兵士に異変が起きたのです。

サリンが腕に垂らされてから20分後、マディソンは体調の不調を訴え嘔吐しながら体は激しく痙攣、その3分後には意識不明となった。

すぐに病院に搬送され解毒剤が投与されたものの実験開始からわずか45分マディソン兵士は死亡。


2006年にマディソン兵士の父親に国防省から10万ポンド(日本円で約2,000万円)の補償金が支払われました)

現在も約500人がサリンの後遺症で苦しんでいる!

マディソン兵士が犠牲となった実験は1950年代に頻繁に行われており現在もサリンの後遺症に苦しむ被験者500人が政府に訴えているようです(⊙_⊙')

60年代には実験の規模は縮小されたもののL○Dとグリコール酸塩など非軍事的化学兵器で実験は続き80年代にも神経ガスの効果を試すテストが行われていたことが判明。

被験者への聞き取り調査は5年にわたって行われ、 日人道的人体実験の全貌が明らかになったのは2004年のことです。

しかし当局は一連の実験で25件の訴訟条件を挙げましたが最終的に科学者たちは誰1人として起訴されていないのです。


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日本海軍によるトラック島事件とは!?

トラック島襲撃の様子(1944年)
画像:wikipedia

1994年1月末から7月末にかけて旧日本海軍の拠点が置かれていた西太平洋のトラック島で海軍所属の軍医らがアメリカ軍の捕虜16人を生体解○の名目で殺○。

これは『トラック島事件』と呼ばれています(⊙_⊙')

前年43年末にトラック環礁付近で米軍潜水艦が拿捕(だほ)され

約50人の米兵が捕虜になったことがこの事件のきっかけとなったのです。

当時、731部隊の石井四郎らが人体実験に基づく研究で成果を上げており海軍はこれにインスパイアされ捕虜を使った人体実○を企てる。

また、44年2月以降のトラック島に対するアメリカ軍の大規模空襲で多数の死傷者を出したため

米軍捕虜への報復感情が一気に高まったという背景もあったのです。

米兵捕虜の人体実◯がマジキチ!

トラック島襲撃で沈んだ富士川丸
画像:wikipedia

最初の事件は同年1月30日に起きた。

トラック島にある海軍所属病院の軍医らが8人の捕虜を軍から譲り受け彼らを4人2組に分ける

止血帯を長時間当てる実験とブドウ球菌を注射して敗血症を発症させる生体実◯を行ったのです(⊙_⊙')

その結果、止血帯実験の4人のうち2人が死○。

生き残った2人は診療所の裏の丘へ運ばれダイナマイトの幕風を当てる『爆風実験』の被○者とされることに...

2人は爆風により四肢が吹き飛ぶも死亡しなかったため軍医らがその場で絞○。

一方、ブドウ球菌の4人は全員が死○。

止血実験で命を落とした2人を含めた6人の遺体は病院に運ばれて解◯され このうち4人の頭部が切○され頭蓋骨は標本として軍医学校に送られたのです。

3月にも同じ軍医が別の4人の捕虜を生体解剖のうえ殺○し、6月には別の軍医らが捕虜の1人の胸部、腹部、陰○を切開した後に下士官に命じて斬首させ別の捕虜1人も殺○された。

さらに7月にも捕虜2人を病院の裏の丘に連行し下士らに槍や銃剣で刺突させて殺○するなど731部隊にも負けないマジキチ行為を行っていたのです(⊙_⊙')

関係者たちは戦後47年に開かれた『BC級戦争犯罪裁判』で裁かれていますが

直接実験を行った 組のうち3人は判決の前に自◯。

裁判では2人に絞首刑、24人に終身刑・有期系が言い渡されました。

被験者8人が死亡!『新潟大学ツツガムシ人体実験』

実験の指導者 桂重鴻教授

戦後、日本で行われた人体実験で『ツツガムシ実験』というのがあります👀

ツツガムシ病はツツガムシというダニの幼虫が媒介する感染症で重症化すると多臓器不全で死に至ることもある危険な病気。

現在では抗菌薬がありますがかつては不治の病と恐れられていたのです(⊙_⊙')

新潟大学の内科医・桂重鴻教授は治療法を見つけ出そうと1952年から55年にかけ私立新潟精○病院に入院していた149人の患者にツツガムシ病の病原菌を注○。

発熱したところで当時日本では輸入も使用も許可されていなかった薬を投与し、一部の患者の皮膚を剥○で研究材料とした。

実験では8人が死○、1人が自○する結果となり1957年の国会でも取り上げられましたが

最終的に桂教授への 厳重注意のみで事件は収束したのです。

患者の食べ物に医師が菌を混入!?『千葉大学腸チフス事件』

事件を報じる当時の新聞

1966年4月千葉大医学部附属病院の男性医師(当時42歳)が食べ物にチフス菌を混入

患者を発病させる実○を行ったとして傷害罪で逮捕されました(⊙_⊙')

前年から日本各地で多数のチフス菌患者が発生したのですが

この医師が派遣された病院で感染者が出ることに疑問を感じた捜査当局が医師の身辺調査を行ったところ...

上司に『 試験管に培養金を入れず流し台に置いたことがある。これがカステラに付着して発病者を出した。申し訳ない』との手紙を渡していたことが発覚します。

そこで医師を傷害罪で逮捕し取り調べを行うと『チフス菌の研究のためカステラやジュース、バナナなどにチフス菌を混入させ人○実験を行った』と犯行自供。

72年に開かれた裁判では医師の自供通りの方法で実験したもののチフスを発病させる事は不可能だったとして判決は無罪。

しかし、76年の控訴審で東京高裁は一審の無罪を破棄し『 自白は一貫性があり十分に信用できる』『 犯行動機は以上正確に潜在的な不安などがミックスしたもの』として懲役6年を言い渡した。

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