
天才画家・フェルメールの絵を完全再現して荒稼ぎしまくったメーヘレンという画家をご存知でしょうか?
彼の贋作は贋作とは思えないほど精巧に描かれていたため、本物のフェルメールの絵だと勘違いしてとんでもない値段がつけらるようになり無名の画家だったメーヘレンは
総額64億円
を手にすることにw
しかし...
メーヘレンは大ピンチに陥ることになります。
なぜならナチスNo.2で国家元帥のゲーリングが本物のフェルメールと勘違いし14億でメーヘレンの絵を購入してしまったのですから...
というわけで今回は20世紀最大の贋作事件と言われている『メーヘレンの贋作事件』を紹介しちゃいます〜♪( ´θ`)ノ
Contents
メーヘレンはなぜ贋作を作るようになったのか?


天才贋作師ハン・ファン・メーヘレンは生涯で描いた贋作は17点で、元々は自分の作品で勝負していましたが彼の絵は全く売れなかったため、画家として食っていけず、修復の仕事で食いつないでいました(*´Д`*)

ある日のこと、メーヘレンのもとにテオという男が1枚の絵を持ってきたのです。
テオは本物のフランス・ハルスの絵と考えていたのですが、損傷が激しかったため、本物かどうか見分けることが難しく、メーヘレンに『ハルスのようなタッチで修復してくれないか?』
と頼んだんです(⊙_⊙')
(フランス・ハルスは17世紀を代表するオランダの画家で笑った人物を数多く描いたことから『笑いの画家』と呼ばれ非常に人気が高かった)
メーヘレンは学生の頃から17世紀絵画特有の色使いや描き方を研究していたので修復する自信があり、何よりもお金に困っていたのでこの依頼をOKしてしまいます。

そうして修復したのが『笑う士官』でメーヘレンはハルスのタッチを見事に再現し、テオは大満足したわけです♪( ´θ`)ノ
(この絵は現在は行方不明)

テオは当時、ハルス研究の第一人者だった美術史家『ホフステーデ・デ・フロート』にメーヘレンが修復した笑う士官を見せたところ...

と大絶賛し、本物だと認定w
そのうち、オークション会社が噂を聞きつけて購入を申し込んできたのですが、その額はなんと!?
約4500万円!!!
という値段がついてしまいました(*´Д`*)
専門家によると当時、ホステーデは見た目の印象だけで”これは本物だ”と認定し、『科学分析をするまでもなくフランス・ハルスの作品である』と信じ込んだと述べています。
『笑う士官』は再鑑定されることに!

しかし、『笑う士官』は美術史家のアブラハム・ブレディウスに再鑑定されることになります(⊙_⊙')
ブレディウスはマウリッツハイス美術館の館長を20年を務め、17世紀のオランダ絵画を長年研究していた第一人者でした。
再鑑定のためにブレディウスは
- 脱脂綿
- アルコール
を用意してアルコールを含ませた脱脂綿で『笑う士官』の表面を撫でると!?
絵の具が取れてしまったんです。
50年以上前に使用された絵の具の場合は完全に固まってしまうため、本物であれば絵の具は取れないので
つまり!!!
この『笑う士官』はニセモノと判明したわけです_:(´ཀ`」 ∠):
自分のオリジナルの作品は全く売れず、さらに修復した作品はニセモノと言われて、メーヘレンは美術界への復讐を考えるようになり、贋作を作るように...
ブレディウスへの復讐をする

画像:ウィキペディア
メーヘレンは自分を奈落の底に突き落としたブレディウスに復讐するために、彼が決して見破ることのできない贋作を作ることを決意。
また完全勝利を収めるために敢えてブレディウスの専門分野『フェルメール』で勝負したのです(*´Д`*)


この2つの作品は長い間”作者不明”とされていたのですがブレディウスが鑑定してヘルメール作品と認定されました。
つまり、メーヘレンはブレディウスに本物のフェルメール作品と認めさせれば自分の絵が『オランダの至宝』として歴史に名を刻むことになると考えたわけです(⊙_⊙')
しかしそれは300年前の絵を完全再現するという不可能への挑戦でもあったんです。
①絵の具の問題解決法

まずはアルコールテストを突破するために絵の具が50年以上経て固まったように見せる必要があったため、メーヘレンは”あるトリック”を開発したのです👀
それは顔料に液体プラスチックを混ぜるというもの。
絵の具に液体プラスチックを混ぜたもので絵を描き、完成した絵をオーブンに入れて1時間加熱することで絵の具を硬化させることに成功したのです。
②17世紀のキャンバスをどう再現した!?

続いてはキャンバスですがブレディウスの目を騙すには300年前のキャンバスが必要でしたが17世紀の未使用のキャンバスなど手に入れることは不可能だったんです👀
そこでメーヘレンは17世紀に描かれた絵を購入し、元の絵を剥がして、その上から絵を描きました。
これはX線検査をされた時の対策で、もし絵を剥がさないでその上から描いた場合は検査の際に元の絵が写ってしまいフェルメールの絵ではないことがすぐにバレてしまうからです(⊙_⊙')
細部まで気を配ったメーヘレン

メーヘレンは目に見えない細部にも気を配っており、フェルメールの代表作『真珠の耳飾の少女』を拡大すると表面に無数のひび割れがあるのが確認でき、これは古い絵画特有のものでメーヘレンはここまで再現しようとしました。
ではどうやってひび割れを再現したのか?
メーヘレンは硬化する絵の具で描いた絵の表面を少しだけ曲げることで17世紀の絵画のようなひび割れを人工的に作り、そのひびに黒いインクを刷り込み、長い年月を経てひび割れに汚れが溜まったように見せたわけです(*´Д`*)
ついにフェルメールの贋作が完成する!

画像:Wikipedia
5年の歳月をかけて1937年、47歳の時についに贋作が完成。
それが”復活したキリストがエマオの村人たちと食事をする”という聖書の一場面を描いた作品
『エマオの食事』です。
この絵はイタリアに移住した裕福なオランダ人女性から預かったということにして代理人に預けられ、ブレディウスの鑑定を受けることに(*´Д`*)
ブレディウスの再鑑定の結果は!?

ブレディウスは『エマオの食事』をアルコールテストしてみると!?
絵の具は落ちなかった〜♪( ´θ`)
ということで見事、第一関門を突破!
続いては...
と行きたいところなんですがなんと!?
ブレディウスはそれ以上の科学鑑定を行わずにすぐに結果を発表してしまうんです👀
『新たに発見されたフェルメールの真作』
『特徴的で素晴らしい色彩』
『他のフェルメール作品にもない感情が最高の芸術によって表現されている』
『間違いなくフェルメールの傑作の1つだ』
と大絶賛して本物と認定したんですw
ブレディウスはなぜ科学鑑定を途中でやめたのか?

ブレディウスが途中で科学鑑定をなぜ辞めてしまったのか?
これが疑問ですよね👀
実はこれはメーヘレンの巧みな作戦の勝利と言えるもので、ブレディウスは『フェルメールの空白期間』という仮説を立てていたんです。
フェルメールは初期に宗教画を描き、ある時点から庶民の生活に注目して風俗画家へと変化していったのですが、ブレディウスはこの大きな転換期に描かれた未発見のフェルメール作品があってもおかしくない考えていました(⊙_⊙')

画像:Wikipedia
そこでメーヘレンは『エマオの食事』に
- 宗教画
- 風俗画
の両方の要素を盛り込んだわけです!


さらにメーヘレンはフェルメールの最大の特徴である左窓から光が差し込む構図を採用したり、フェルメール作品に描かれた人物を真似て描くなどをして、後の風俗画への移行を予感させるような作品に仕上げたんです(*´Д`*)
またブレディウス自身の心理面も大きく関係していて、この絵が本物であれば幻のフェルメール作品を自分が見つけたことになり、名声を手に入れられる。
だから本物であって欲しいと願うあまりに徹底した科学鑑定を行わずに早々に本物と認定してしまったのです。
そしてメーヘレンの『エマオの食事』には
約5億円
という値段がつけられ、メーヘレンは1枚の絵で億万長者になったのです_φ( ̄ー ̄ )
『エマオの食事』はゴッホなどの作品と一緒に展示された!?

メーヘレンの作品『エマオの食事』はロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館でゴッホやレンブラントの作品と並んで展示されましたw
アムステルダム国立美術館の元館長で美術史家のヘンク・ファン・オスさんは『エマオの食事』に対してこのように述べています。
『エマオの食事は』贋作としては素晴らしい出来栄えです
『メーヘレンは当時の人々が探していたフェルメールを実にフェルメールらしく描きました』
『だから当時の人々は騙されたのです』
と。
またフェルメールの新たな作品が見つかったというニュースは世界で大きな話題となりましたが、誰もが贋作だとは疑わなかったんです。
贋作に高値がつきまくる!

『エマオの食事』で5億円手に入れた後も、メーヘレンは贋作を作り続けました👀
理由は世界中のコレクターや美術館がさらなる幻のフェルメールを欲しがったからです。
そして金に糸目をつけない金持ちたちがメーヘレンの贋作をとんでもない値段で購入するように...
『キリスト頭部』は
約4億円!
さらに!!!

『ヤコブを祝福するイサク』は
約11億円!!
さらにさらに!!!

『最後の晩餐』は
約14億円!!!
というあり得ない値段で売れていき、メーヘレンは大金持ちに!
しかし、よくあるパターンで金を持ってしまってから彼の生活は一変しますw
- 酒
- モルヒネ
に溺れまくっちゃうんです(*´Д`*)
次第にメーヘレンは手が震えるようになり、モルヒネなしでは絵筆を持つことすらできなくなってしまいます(⊙_⊙')

そんな状態でしたがメーヘレンは51歳の時に『キリストと姦婦』を完成させますが、この作品は酒と薬のせいで以前のように精巧に仕上げることができなかったんです。
つまり贋作としてのクオリティが低かったんですが、この絵が大波乱を巻き起こすんですよw
ナチスのゲーリングが『キリストと姦婦』に目をつける!

なんと!?
ナチスのNo.2のヘルマン・ゲーリングが『キリストと姦婦』に目をつけるんです👀
当時、ナチスはオランダを含むヨーロッパを侵略して美術品の略奪を行なっていたのですが、ゲーリングは美術品に目がなくて『美術愛好家』と自称するほどでした。



またゲーリングの自宅には
- ゴッホ
- ルノワール
- ルーベンス
など2000点以上の絵画を所有しており、また美術の鑑識眼も相当なものだったそうです(⊙_⊙')
そしてゲーリングは美術品についてこのように述べています。


このようないわば美術品マニアのゲーリングでさえ持っていなかったのは
『フェルメールの絵』
でした。
しかしヒトラーはフェルメール2作品を所有していたため、ゲーリングはヒトラーに対して嫉妬していたようなんですw
このように喉から手が出るほどフェルメールの絵が欲しかったゲーリングでしたが『エマオの食事』のニュースを見て

と考え、彼はお抱えの美術鑑定士を使ってフェルメール作品の捜索を開始。
一方、メーヘレンはまさかゲーリングがそんなことをしているとは知らずに『キリストと姦婦』を描き上げて、知人の画商を訪ねて知人のオランダ人の富豪から売却を依頼されたとして絵を預けてしまいます(*´Д`*)
絵を見た画商は『これは未発見のフェルメールではないか?』
と驚いたんですが、不幸にもこの画商はナチスがフェルメールを探していたことを知っていたんですよ。
画商がすぐにナチスの関係者に連絡すると、ゲーリングは大喜びw
しかし、絵がベルリンに届く頃にメーヘレンは恐ろしい事態になっていることにようやく気づく...
メーヘレン最大のピンチ!

画商から絵が売れたと電話で知ったメーヘレンは大喜びで『誰が買ったのか?』と聞くと画商は
『ナチスのゲーリング元帥だ』
(゚-゚;)
(゚-゚;)
(゚-゚;)
(゚-゚;)
しかも『キリストと姦婦』で提示していた値段は
15億円
でしたw
さらに『キリストと姦婦』は出来が良くなかったため、もし偽物であることがゲーリングにバレたら死あるのみ_:(´ཀ`」 ∠):
やがてベルリンに到着したメーヘレンの絵をひと目みたゲーリングは



ゲーリングは『エマオの食事』『キリストと姦婦』のキリストの顔が同じであることに、とても関心して本物であると疑わなかったんです(⊙_⊙')
こうしてゲーリングはフェルメールの贋作を15億円で購入することになったのですが、支払いのための現金が足りずに不足分は過去オランダから奪った膨大な絵画の中から200点を充てたそうです。
念願のフェルメール(偽物)を手に入れたゲーリングは自宅の壁に誇らしげに絵を飾ることで、ようやくヒトラーへの嫉妬・対抗心を収めることができたのです( ´Д`)y━・~~
国家反逆罪でメーヘレンは逮捕された!?

1945年5月、ナチスドイツは敗北し、オランダは解放された。
一方でメーヘレンは55歳になっており、贋作で荒稼ぎしたお金で何不自由のない暮らしをしていたのです。
ところが終戦からわずか3週間後にメーヘレンの家に警察が訪ねてきて、そのまま逮捕されてしまいます(⊙_⊙')
容疑は国家反逆罪で罪状はオランダの名画フェルメールの絵をナチスに売り渡したというもの。
戦後、ナチスが略奪した約25万点の美術品は次々に回収され、ゲーリングのコレクションも当然のごとく押収されたんですが、その中にあった『キリストと姦婦』が発見されてしまいます。
そして残されていた売買記録からメーヘレンの名前が浮上したわけです(*´Д`*)
オランダの宝であるフェルメールの絵をナチスに売ったと思った国民からは非難の声が上がりメーヘレンは厳しく糾弾された...
メーヘレンの告白『私が描いた贋作だ』

逮捕から1ヶ月、黙秘を続けたメーヘレンでしたが

しかも『キリストと姦婦』だけではなくフェルメール作品として美術館に収蔵されている『エマオの食事』や『最後の晩餐』も全て自分が描いた贋作であると告白したのです!
この時、メーヘレンは全てを失うことを覚悟していました。
が!?
この告白を警察・マスコミの誰もが信じなかったんですよ(⊙_⊙')
また国民も
- 親ナチ芸術家のメーヘレン
- メーヘレンは嘘つきだ
- メーヘレンの告白を疑う
などメーヘレンを蔑み・罵倒した。
なぜならあのフェルメールの絵を無名の画家であるメーヘレンがあれほど精巧に描けるハズがないと思ったからです。
なのでメーヘレンは自分が描いたことを証明する必要があったため、監察官の目の前でフェルメールの絵を描くことにしました。
そこで描かれた絵は贋作とは思えない見事なフェルメール作品だったと言われています。
裁判ではオランダの鑑定士による鑑定結果が次のように告げられました。
『あなたの作品は素晴らしい贋作だったと申し上げねばなりません』
『それは生きている間に偉大な傑作を発見したいという美術評論家の欲望を満たすものでした』
『真実と美への私たちの探究心が私たちの目を塞ぎ、騙される結果を招いたのです』
メーヘレンの贋作は美術界がいかに脆弱な価値観の上に成り立っているかを暴き出す作品だったと最大限に評価したのです(⊙_⊙')
真実が明らかになると世間のメーヘレンの評価は一変。
売国奴から
”ナチスを手玉に取った男”
という扱いになります。
またゲーリングに『キリストと姦婦』を売った際に、ゲーリングはオランダから略奪した200点もの絵画で不足した分を支払っていますが、これが功を奏し
『略奪された絵画をニセのフェルメールで取り戻した』
と英雄扱いされるように♪( ´θ`)ノ
しかし、その後メーヘレンは絵筆を持つことはなく、判決から1ヶ月半後、心臓発作によってこの世を去ってしまい、原因は長年の酒とモルヒネの常用が原因とされています。
メーヘレンの贋作はその後どうなったの?

メーヘレンの描いた『キリストと姦婦』は現在、デ・フンダーチー美術館に展示されており、画家の名前は『ハン・ファン・メーヘレン』となっています♪( ´θ`)ノ
画家としてなかなか認められず、贋作を作り続けたメーヘレンでしたが彼の再現能力は天才的だったと思います。
だからこそ多くの人々はフェルメールの絵だと信じ込んだのです。
メーヘレンはフェルメールのように画家として多くの人に知られる画家ではありませんが、フェルメールの贋作を描いたことで歴史に名を残したのは事実でしょう〆(・∀・@)
