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一家を襲う死の連鎖『ケネディ家』
ところがそれから3年後の1963年11月22日に悲劇が起きてしまいます。
ケネディ大統領はテキサス州ダラスで頭部を狙撃され死亡。
ケネディ暗殺は疑惑だらけ!
ケネディ大統領の暗殺はミステリアスな点が多く、単独犯とされたオズワルドは逮捕後すぐに殺○れ、また大統領の命を奪った銃弾の軌道はかなり不自然で複数犯の可能性もあるようです(⊙_⊙')
事件の背後には、当時の副大統領ジョンソンの存在や大統領との関係の拗れから解体の危機に瀕していたCIA、さらにケネディ大統領が地球外生命体の存在を公表することを阻止するためなど噂されていますが...
その真相はいまだに明らかにはなっていません(⊙_⊙')
いずれにしてもケネディ大統領は強力な”闇の力”によって暗殺された可能性が高いでしょう👀
さらにケネディ家にまつわる忌まわしいエピソードはこの暗殺事件だけではなかったのです...
ケネディはもともとは貧しい移民だった!?
ケネディ家はアイルランドからの移民で、ジョン・F・ケネディの曾祖父パトリック・ケネディは1840年代にアイルランドを襲った大飢饉で祖国を離れることを決意し、貨物船に乗って大西洋を渡り、アメリカ東部のボストンの貧民街に移り住んだ人物です(⊙_⊙')
彼は新天地で同じアイルランド移民の女性と結婚して、5人の子供を授かる。
ところが劣悪な環境で身を粉にして働いたことから肺結核にかかり、35歳でこの世を去ってしまいます。
父を早くに亡くした息子のパトリック・J・ケネディは家族のために学校を辞めて働き、やがてアイルランド人相手の酒場を経営。
ここでアイルランド人有力者たちのつながりを作った彼はその後、上院議員に当選。
こうしてケネディ家は政界に進出していったのです。
ケネディ家に起きた悲劇!
ケネディ家の野心はパトリック・Jの子供でケネディの父ジョゼフの代で現実のものとなっていきます。
実業家として成功したジョゼフはボストン市長の娘と結婚し9人の子供をもうけ、アイルランド系として初の駐英大使に任命される。
しかし、この成功の影でいくつもの悲劇がケネディ一族に忍び寄っていた...
まず、ジョゼフが最も期待していた長男が第二次世界大戦で爆死、その遺体は家族の元に戻ることはなかった。
さらに数年後、今度は次女が飛行機事故で死亡。
精神を病んでいた長女ローズマリーはロボトミー手術を受けて廃人同然になってしまう。
など次々とケネディ一家に悲劇が起き、その中で生き残りとなったジョン・F・ケネディが父の期待を一身に受けることになったのです(⊙_⊙')
ジョンはその期待に応え下院議員、上院議員を歴任して確実にキャリアを積み重ねていき、やがて民主党の大統領候補に選ばれた彼は1960年の大統領選でニクソン候補を退け、ついにケネディ一族の悲願だったアメリカ政界のトップに立ちます。
(ジョンは弟のロバートを司法長官に任命している)
ケネディ一族の相次ぐ死!
息子の成功を誰よりも願った父のジョゼフはジョンが大統領に就任した1年後に病に倒れて言葉と体の自由を失い、息子ジョンもダラスで暗殺。
さらに弟ロバートにも兄と同じ不幸が降りかかる...
ロバートは兄の意志を継ぐために1968年の大統領選へ出馬、しかしその予備選の最中に銃撃を受けて他界。
しかも兄ジョン・F・ケネディと同じように頭部を銃撃されているのです(⊙_⊙')
恐ろしいほどの不幸の連鎖ですがこれで終わりではありません。
ジョンの3人の子供のうち、長男のパトリックは早産が原因で生後わずか2日で死亡。
三男のケネディ・ジュニアは1999年に自ら操縦する自家用機で妻と共に消息不明となり、数日後に海底で大破した飛行機の残骸と共に遺体で発見。
ロバートの子供たちも麻○中毒や事故でこの世を去っています。
このようにケネディ一族は死の連鎖で相次いで亡くなり、このことから『呪われた一族』と言われるようになったのです...
郵便事業からスパイに転身!?『タクシス家』
今のようにネットが普及していない中世ヨーロッパでは遠方の人々と連絡を取るのはひと苦労で、特に広大な領土を治める支配者たちは、敵国に出し抜かれために早くて確実な郵便網の整備を課題としていました(⊙_⊙')
そんな中、300年以上の間ヨーロッパで郵便事業を一手に引き受けていたのがタクシス家です。
タクシス家はもともとイタリアの貴族だったといわれていて、その後ドイツに移り住み、現在でも一族の居城はドイツの南部のレーゲンスブルクに残っています。
『そんな彼らがなぜ郵便事業に関わるようになったのか?』
タクシス家が所有し、現在も一族の末裔が暮らすレーゲンスブルク城にはたくさんの時計が飾られています。
これは彼らが部屋のあちこちに時計を置かなければならないほど、常に時間を気にしていたからなのです(⊙_⊙')
郵便網を利用したスパイ行為!
当時ヨーロッパの覇者だった神聖ローマ帝国のハプスブルク家はタクシス家に皇帝の荷物やメッセージを運ぶように協力を求めました。
こうして皇帝のお墨付きを得た『タクシス郵便』は15世紀頃からヨーロッパ大陸を駆け巡るようになったのですが、この時代における最速の乗り物は馬車で、タクシス家では1万頭以上の馬を用意して馬車を引かせ、ドイツやイタリア、時にはオランダやスペインにまで向かったのです(⊙_⊙')
タクシス家の郵便は真っ赤に塗られた馬車が目印で、やがて信頼を得ると貴族や大商人、聖職者といった各地の権力者の郵便も請け負うようになり、彼らとつながることでタクシス家は『郵便王』として勢力を伸ばし、また郵便網を独占したことで大儲けすることができたのはいうまでもありません💰
さらに!!!
タクシス家がのし上がったのは郵便事業の傍『ある副業を行っていたから』という噂があります👀
各地を自由に行き来し、土地の所有者とコネを作ることができたタクシス家はさまざまな情報を得ることが可能。
そのうち、彼らは公にできない荷物や情報を扱って『スパイの真似ごとをするようになった』と言われています。
特にロスチャイルド家と懇意していたため、ロスチャイルドの荷物に関しては便宜を図っていたという噂もあるようです。
また馬車には専用の小箱が用意されており、誰にも気づかれることなく運ぶことができたそうで、その財力や情報網とロスチャイルド家の右腕になることで、タクシス家は名実ともにヨーロッパの名家になっていったのです。
タクシス家は不動産王へと転身した!?
このような不穏な動きが警戒されたのか19世紀に入ると郵便事業の独占に待ったがかかってしまい、これはハプスブルク家の衰退も関係していると考えられています。
結局、タクシス家は300年以上関わってきた郵便事業をあっさり手放して、それと引き換えに広大な土地を手に入れます👀
この土地はその後も代々タクシス家に引き継がれて、わずか8歳でタクシス家を継いだ現当主のアルベルト・フォン・トゥルン・ウント・タクシスは『ヨーロッパでもっとも森を持っている男』といわれている大金持ち💰
この当主は1983年生まれでまだ若く、今後も祖先が郵便事業で手に入れた土地を守っていくことでしょう。
ちなみにですが現在ドイツで郵便局のシンボルマークとして使われているラッパは、タクシス家の郵便馬車が到着したときに合図として吹き鳴らしたラッパがモチーフになっています〆(・∀・@)
マルコス大統領の右腕となり財を成した『コファンコ家』
ダンディン・コファンコは20年にわたり独裁を続けたマルコス政権下で大統領の右腕と言われた男で、彼の周囲は常に黒い噂が絶えなかった...
コファンコ家は中国系の住民で、彼らの祖先は18世紀後半に中国からマニラにやって来たのです(⊙_⊙')
一族は金融業などで財を成し、製糖工場や銀行を設立していたのでダンディンが生まれた1935年にはすでに国内でも有数の大富豪になっていました。
またダンディンの祖父や叔父は国会議員や州知事だったこともあり、コファンコ家は『金』と『権力』を持ち合わせていました。
そんな環境で育ったダンディンはやがて政治を利用して成り上がることになるのですが、実はコファンコ家が1965年に大統領に就任したフェルディナンド・マルコスの名付け親で、こうして野心に燃えるダンディンとフィリピンを思いのまま操ろうとした独裁者・マルコス大統領は手を組むことになるのです...
大統領令を利用して私服を肥した!?
マルコス大統領は自分たちに都合の良い大統領令を次々に発令、またフィリピンの主要な農作物であるココナツの取引に関しては、国が徴収した金の管理を全てダンディンに一任。
ダンディンはこの金で私腹を肥したと言われていますが、当然、大統領にも何らかの見返りがあったことが想像できます(⊙_⊙')
さらに1983年にはデンディンとマルコス大統領はフィリピン最大のビールメーカー”サンミゲル社”の株を購入して筆頭株主になりました。
この時にも莫大な金が不正に動いた疑いがあり、真相を明らかにするための裁判が行われ、これはマルコス政権の負の遺産の一つとして続いたのです。
そしてフィリピン最高裁は2011年4月に政府の主張を却下したため、75歳になったダンディンの事実上の勝訴が確定。
しかし、フィリピン国民の疑惑の目は今でも向けられたままとなっています。
鉄道事業で巨万の富を手に入れた『ヴァンダービルト家』
ヴァンダービルト家はアメリカで産業革命を迎えた19世紀末に鉄道事業で巨万の富を手にした大富豪で最盛期にはニューヨークの5番街に一族の邸宅が10軒も建てられ、そのどれもが豪華で高価な美術品や調度品で埋め尽くされたのです(⊙_⊙')
しかし、ヴァンダービルト家は先祖代々にわたって上流階級に属していたわけではないのです。
19世紀後半のアメリカは政治腐敗が横行していたものの、さまざまな新興勢力や成金が登場し『金ピカ時代』と呼ばれています。
そんな中、自らが稼いだ金でのし上がったのがヴァンダービルト家で繁栄の基礎を築いたのは『提督』というニックネームで呼ばれていたコーネリアス・ヴァンダービルトで彼はたった1代で財を成し、世界一の金持ちといわれた人物なのです。
金儲けのためには手段は選ばない!
ニューヨーク湾のスタテン島で貧農の家に生まれたコーネリアスは学校嫌いで、読み書きすら満足にはできなかったようで経営哲学なども学んだことはありませんでした👀
そんな彼を突き動かしていたのは『金儲けがしたい』という野心。
コーネリアスのサクセスストーリーは17歳から始まり、母から借りた100ドルで船を購入し、運送業で驚くほど稼ぐようになります。
やがて蒸気船の航行が増える時代になると今度は蒸気船へと乗り換え、新たな航路を開拓してライバル会社を圧倒。
またコーネリアスは金のためならば手段を選ばなかったようです💰
例えばライバル会社よりも料金を低めに設定。
するとライバル会社は顧客を取られないように運賃を下げざるを得なくなる。
相手が降参するまでコーネリアスは競争の手を緩めることなく、ライバル会社を徹底的に叩き潰していきました。
また船で出される食事は腐りかけており、シーツや枕カバーも不潔、さらには船には保険さえかけなかった..
このように自分の船への投資を徹底的にケチったのです。
この辺りはロックフェラーと共通していると言えますねw
交渉相手を脅した!?
コーネリアスは70歳を目前に控えた頃に鉄道事業に乗り出す。
これは鉄道の成長に着目し、いずれ蒸気船を凌ぐ運送手段になると見越してのことで、彼はニューヨーク・ハーレム鉄道、ハドソン川鉄道、ニューヨーク・セントラル鉄道を次々と買収していくのですが、この時、ニューヨーク・セントラル鉄道はなかなか合意せず、業を煮やしたコーネリアスは『ニューヨーク・セントラル鉄道からの貨物は一切引き受けるな』と命じたのです(⊙_⊙')
これによってニューヨーク・セントラル鉄道も買収に合意することになりました。
衰退していったヴァンダービルト家
彼の跡を継いだ長男のウィリアムは事業を拡大して富をさらに増やすことの成功し、ヴァンダービルト家はアメリカンドリームを体現したような一家でした。
が!!!
その繁栄は長くは続かなかった...
ウィリアム以後、財産がどんどん分割されていき、その規模はしだいに小さくなっていったのです。
コーネリアスのひ孫の中には借金だけを残して一文無しで亡くなった者もいるんですよ👀
コーネリアスはとにかくお金を貯めることに執着しましたが、子孫にはその精神が受け継がれなかったようですね🥶
邸宅も次々と取り壊され、今では全てが近代ビルに変わっており、また現在でもヴァンダービルト家の末裔は存在していますが、富豪とは程遠い存在となっています。
ダイヤモンドを金に変える一族『オッペンハイマー家』
デビアス社は1888年に設立されたダイヤモンド採鉱会社で現在でも世界の市場の約半数を扱う、最大級のダイヤモンド企業。
このデビアス社の頂点に君臨しているのがオッペンハイマー家でその座はアーネストから息子のハリーへと受け継がれ、現在は3代目のニッキー・オッペンハイマーが会長を務めています(⊙_⊙')
かつて結婚指輪は女性の誕生石か真珠が主流でしたが今ではダイヤモンドの方が人気が高いでしょう。
この結婚指輪=ダイヤモンドのイメージを生み出したのは実はデビアス社の戦略で2代目のハリーの時代に発表された『ダイヤモンドは永遠の輝き』というキャッチコピーがきっかけとなったのです💠
広告を使ってダイヤモンドを売りまくった!
この当時のダイヤモンド業界では宣伝は『商品価値を下げる』という考えから受け入れられていませんでした。
しかしダイヤモンドの婚約指輪を普及させるためにアーネストが初めて広告を使って大々的に売り込みその結果、ダイアモンドの婚約指輪が広まっていくことになります。
ダイアモンド業界を長い間、独占状態で牛耳ってきたデビアス社ですが、デビアス社を創業したのはセシル・ローズという人物で、ローズと対立関係にあったアーネストがライバル社を飲み込んだという背景があるのです(⊙_⊙')
アーネストの策略!
アーネストはドイツ系ユダヤ人の商人の息子として生まれ、内気な少年でしたがダイヤモンドの商才には長けていました。
17歳でロンドンのダイヤモンド商社に入社するとすぐに頭角を現し、わずか数年で南アフリカのダイヤモンドの買いつけを一手に任されるように。
しかしこの頃、南アフリカのダイヤモンド鉱山はすでにローズが立ち上げたデビアス社が独占していたため、どの商社もデビアス社を通さずにはダイヤモンドを購入できなかった...
そこでアーネストはまず、金の採掘に目をつけ、南アフリカにアングロ・アメリカン社を設立すると、金の採掘で大成功を収めます。
これで得た資金をもとに、彼はダイヤモンド事業へ参入することになります。
アーネストvsセシル・ローズ!
『南アフリカはローズが完全に抑えているので勝負にはならない』と考えたアーネストは周辺諸国に狙いを定めて、独自の”ダイヤモンド・シンジゲート”を作ります。
両者が低価格競走を繰り広げたことで一時、ダイヤモンド市場は崩壊寸前状態に陥ることに。
しかし、アーネストの方が一枚上手で彼はローズと競い合う裏で南アフリカ政府に根回しをして、自分に有利な法律を成立させたのです👀
この法律によってアングロ・アメリカン社にダイヤモンド売買の絶対的な優先権が与えられた。
さらにアーネストはデビアス社の株を買い占めて、デビアスの会長の座を手に。
それ以降、デビアス社のトップにはオッペンハイマー一族が君臨し続けることになったのです〆(・∀・@)
(参考文献:本当は恐ろしい世界の名家)