1968年5月、イングランドの北部の都市ニューカッスルにある空き家の中で4歳の男児が死○しているのが発見される。
近くに空の薬瓶が転がっていたことから、当初、薬物の誤飲による事○死と判断された。
そして同年7月、今度は3歳の男児の死◯見つかるが、この男児の首には圧痕があり、それは
子供の手によるもの。
警察の捜査の結果、犯人しか知り得ない情報を語ったメアリー・ベルが捜査線上に浮かび上がったが、驚くことにメアリーはこの時まだ11歳だった...
ということで、この記事では11歳にして連続殺○犯となり、イギリス全土を震撼させたメアリー・ベル事件を紹介したいと思います(ΦωΦ)フフフ・・
彼女はなぜ11歳にしてシリアルキラーと化したのか!?
メアリーの生い立ち〜事件の結末までを見ていくとしましょう...
Contents
メアリー・ベルの生い立ち
メアリー・ベル(メアリー・フローラー・ベル)は1957年にスコッツウッドのスラム街で生まれ、母エリザベス・ベルは、地元で有名な売○婦。
そのため、エリザベスは出稼ぎにしばしば向かい、その間、メアリーの世話は夫に任せていた。
エリザベスにとってメアリーは2番目の子供で、彼女が17歳の時に生まれる。
メアリーは自分の父親は『ウィリアム・”ビリー”・ベル』だと、信じていたが本当の父親は不明とされている。
このウィリアムは非常に暴力的な性格で、アルコール依○症、おまけに強盗で逮捕されたこともあり、ロクな奴じゃなかったんです(*´Д`*)
エリザベスにとってメアリーは望まない子供だった!
エリザベスにとってメアリーは望まぬ子供だったため、ほったらかしにされており、またメアリーの叔母、イーサ・マクリケットによると、メアリーを産んで数分後に、医局員がエリザベスの腕の中に抱かせようとしたところ
と叫んだそうです(⊙_⊙')
メアリーは
- 赤子
- 幼児
- 幼少
の全ての時代を通じて、よく怪我を負っていたのですが、家族はエリザベスがメアリーに無関心or意図的に危害を加えているor殺○うとしているのではないか?
と考えるように。
1960年頃のある時など、エリザベスはメアリーを1階の窓から落○し、またある時には無理矢理、睡○薬を飲○せたのです_:(´ཀ`」 ∠):
またエリザベスは1960年代半ば頃に、サドマゾヒズムの集まりに参加するようになり、彼女はそこで『女帝』となり、子供に対する性○虐◯を許可し、推奨していたというから恐ろしい...
メアリーの暴力的な性格
このような家庭環境ではまともに育つわけもなく、メアリーは他の子供たちと頻繁に喧嘩を繰り返し、学校の同級生や遊び仲間の首を締○て、窒○させようとしたことが何度かありました(*´Д`*)
このような暴○的な素行のため、多くの子供たちがメアリーと付き合うのをやめてしまったのです。
そんな中、メアリーは隣家に住んでいた13歳の少女、ノーマ・ジョイス・ベルと親しくなり、過ごすようになります。
(同じ名字ですが血縁関係はありません)
メアリーの同級生によると『メアリーが頭を振ったり、冷たい視線を送ったりする時に、彼女は暴力的になり、その視線が向けられている者が攻撃対象になる』
ということを理解したそうです_φ( ̄ー ̄ )
メアリーの最初の暴力事件
1968年5月11日、スコッツウッドにある聖マーガレット街道付近で、3歳の男の子が血を流○ながら彷徨っていたため、警察はその子から事情を聞いたところ
『防空壕の上でメアリーとノーマ・ベルの2人と一緒に遊んでいたら、2人のうちのどちらかに、屋根から突き落◯された』
と告げたのです(⊙_⊙')
その日の夜、この件についてメアリーとノーマは事情聴取を受けましたが、2人は
と言って、自分達には非がないことを強調したのです(*´Д`*)
しかし、砂場で遊んでいた3人の少女が絞○されそうになった件を聞かれた際、メアリーは
と否定したものの、ノーマは『メアリーが少女たちの首を締○上げようとした』ことを認め、さらに!?
と語ったんです_:(´ཀ`」 ∠):
これを聞いた警察は、この事件とメアリーの暴○的な性格を地元当局に通知しますが、メアリーとノーマは幼かったため、訓戒を受けたノミで、それ以上の措置が取られることはなかった...
メアリーによるマーティン・ブラウンの殺害
それでは前書きで書いたメアリー・ベルによる2つの殺◯事件を詳しく見ていきましょう(⊙_⊙')
1968年5月25日(メアリーが11歳の誕生日を迎える前日)、彼女は聖マーガレット街道85番地にある廃屋の2階にある寝室で、当時4歳だったマーティン・ブラウンの首を絞○て殺○しており、これはメアリー単独の犯行と考えられています。
午後3時30分頃、3人の子供たちがマーティンの遺○を発見。
(マーティンは両腕を頭上に伸ばす形で仰向けに倒れていた)
この時、マーティンの口の周りには出○と泡を吹いた跡が見られましたが、暴○を受けた形跡はありませんでした(*´Д`*)
また地元の労働者、ジョン・ホールが現場で心肺蘇生を試みますが、マーティンが息を吹き返すことはなく、無駄に終わっています。
ジョンが心肺蘇生を試みている最中に、メアリーとノーマが現場に現れますが、2人はすぐに追い出されています。
その後、2人はマーティンの叔母、リタ・フィンリイの家に向かい、扉を叩き彼女にこのように伝えます。
翌日、医師のバーナード・ナイトによってマーティンの遺○の検死が行われ、ナイトによると
とのこと。
同年6月7日に『マーティンの死○は不明』であると評決が下されました(*´Д`*)
メアリーとノーマによる保育園荒し事件
5月26日、11歳の誕生日を迎えたメアリーは、ノーマと共にウッドランド・クレッセントの近くにある保育園へ侵入し、本を引き裂き、机をひっくり返すなどの荒し行為を遂行し、最後はインクや貼り紙の絵の具を建物に塗りたくって逃亡。
翌日、保育園の職員は侵入と破壊行為の形跡を発見したため、すぐに警察に通報。
警察が現場に駆けつけると、4枚の覚書が残されていることに気づくんです(⊙_⊙')
警察はこれらを『幼稚なイタズラ』として処理。
それから3日後の5月29日、マーティンの葬儀が行われる直前、メアリーとノーマはマーティンの母・ジューンの家を訪れて『マーティンに合わせて欲しい』と頼むと、ジューンは『息子は死○でいるからもう会えないの』と答えた。
するとメアリーは
と返答したのです_:(´ཀ`」 ∠):
メアリーによるブライアン・ハウの殺害
1968年7月31日、3歳のブライアン・ハウは、自宅の外の通りで、兄弟の一人、飼い犬、メアリー・ベル、ノーマ・ベルと遊んでいました。
(この日が、ブライアンの両親が息子を見た最後の日に...)
午後になっても帰ってこないブライアンを心配し、親族や近所の住民が通りを探すも、見つからず。
そして午後11時10分、捜索隊が大きなコンクリート・ブロックの間に横たわっていたブライアンの遺○を発見した。
この時、最初に現場に到着した警察官は犯人が遺◯を隠そうとしたものの、かなり”ぎこちない”という点に気づきます(*´Д`*)
またブライアンの唇にはチアノーゼ現象(皮膚などが青紫に変色する現象)が見られ、首には打○傷と掻疵が複数あり、足元にはハサミが放置されていました。
検視官は
と結論付けており、犯人は、片手でブライアンの鼻孔を押○潰し、もう片方の手で彼の喉を握っていたことが明らかに_:(´ཀ`」 ∠):
さらに、ブライアンは絶○する前に、何度も脚を刺○れており、頭髪の一部が切り取られて、性○の一部は切断され、腹には『M』の文字を刻まれていた...
検視官は殺○の際にかかった圧力が比較的、小さかったことから犯人は別の子供であると結論づけたのです。
大規模な犯人捜索が行われる!
ブライアンの遺○が発見されたことで、大規模な犯人捜索が行われ、ノーサンバーランド全土から100人を超える刑事が捜査に加わり、8月2日までに1200人以上の子供たちに対して、当日の居場所についての聞き込みが完了しています(⊙_⊙')
そして8月1日にメアリーとノーマの2人も尋問を受けています。
というのも
という目撃情報が、すでに捜査当局にリークされていたからで、当初、2人は尋問から逃げるような態度で、供述内容には多くの矛盾点が見られたんです。
(2人は当日、ブライアンと一緒に遊んでいたことは認めるが、午後に彼の姿は見ていないと言い張った)
翌日、メアリーは再び尋問を受けた際に、
と発言し、さらに!?
と述べたのです!
その時の様子についてメアリーは
と説明。
捜査主任警部のジェイムス・ドブスンは、メアリーのこの供述で
『彼女が真犯人である』
と確信。
なぜなら、現場に置かれていたハサミの存在を知っていたのは警察と犯人だけだったからです。
ノーマ・ベルの告白
8月4日の午後、ノーマ・ベルの両親は警察に『娘がブライアン・ハウの死について何か知っているようで、告白したがっている』と連絡します(⊙_⊙')
連絡を受けたジェイムス・ドブスンはノーマ・ベルの自宅を訪問し、彼女に『何を知っているのか教えてほしい』と尋ねた。
ノーマによれば、自分はメアリーに連れられて『Tin Lizzie』へ向かい、そこでブライアンの遺◯を見せられた後に、どうやってブライアンを締め殺○たかを、メアリーは実演してみせたというんです(*´Д`*)
さらに証言は続き、メアリーはブライアンの首を楽しそうに絞○上げ、その後に、剃刀と壊れたハサミを使ってブライアンの腹に○痕を付けたと。
その後、ノーマは警察を犯行現場へと案内し、剃刀の隠し場所を明かしました。
そしてノーマがブライアンの腹部に刻○だ創傷の描画は、検視官による説明と正確に一致していたのです(⊙_⊙')
8月5日の未明、警察はメアリー・ベルの自宅を訪問。
以前の供述との矛盾を突きつけられて彼女は明かに動揺し、身構えた態度で警察に対して
と明言したのです。
同日、再びノーマは警察から尋問を受け、この時、ノーマはメアリーがブライアンを絞○した際に、現場に立ち会ったことを認めています(⊙_⊙')
それによれば、メアリーは『気が触れたかのように』ブライアンを草叢に押しやって首を絞○、その後に
と言って、その後、ノーマはメアリーとブライアンを残して現場から走り去ったのです。
メアリーとノーマの着ていた衣服の法医学的鑑定が実施され、鑑定の結果、ブライアンの遺○の表面から発見された灰色の繊維は、メアリーが所有していた毛織のドレスとぴったり一致しています_φ( ̄ー ̄ )
メアリー&ノーマの逮捕
ブライアンが地元の墓地に埋葬された1968年8月7日、メアリーとノーマは正式に告発されます。
メアリーはこれに対して
と言い、一方のノーマは泣き崩れた...
参考人立ち会いのもと、メアリーは調書を作成。
彼女はブライアンが殺○れた時に、現場にいたことは認めたものの、実際に犯行に及んだのは『ノーマ』であると主張。
またマーティン・ブラウン殺○の翌日に保育園に侵入して荒し、2人で覚書を書き殴り、それを残したことを認めたのです。
メアリー&ノーマの裁判
1968年12月5日、ニューカッスル巡回裁判所で、マーティン・ブラウンとブライアン・ハウが殺○れた事件について、メアリー・ベルとノーマ・ベルの裁判が始まりました(⊙_⊙')
(この裁判で判事を担当したのはラルフ・キューザック)
午前11時30分、裁判が開廷され、検察官のルドルフ・ライオンスによる公訴事実の読み上げが始まった。
6時間に及ぶ冒頭陳述の中で、ライオンスは
としましたが、メアリーとノーマは足並み揃えて行動し『人を殺○て得られる愉悦と気分の高揚を味わうためだけに2人の子供を殺○した』と主張し
と付け加えたのです_φ( ̄ー ̄ )
ノーマの証言
公判開始から5日目、ノーマは証言台に立ちます(*´Д`*)
彼女はマーティンとブライアン、両方の殺○について否定しましたが、反対尋問で、
- メアリーの攻撃的な傾向や子供に暴○を振るった過去がある点
- 2人の少年の殺○について話し合ったこと
を認めました。
またライオンスから『メアリーがどのようにして子供を殺○たかをノーマに対して実演してみせたかどうか』について尋問されると、ノーマはうなずき、そしてメアリーがブライアン・ハウを絞め殺し始めた際、ノーマはその現場付近で遊んでいた少年たちに警告を発しなかった事実を認めます。
また殺○におけるノーマ自身の役割について尋問された際、ノーマは
と明言しています(*´Д`*)
メアリーの証言
12月12日、今度はメアリーの証言が始まりますが、メアリーはノーマの証言内容を否定します(⊙_⊙')
聖マーガレット街道でマーティン・ブラウンの遺○を確認したが、自分はマーティンに危害は加えておらず、遺○発見後、ノーマと一緒にマーティンの母親に対して息子の遺○を確認するよう頼んだのは
と主張したのです(*´Д`*)
またブライアン・ハウについて尋問されたメアリーは
と主張し、さらに
と述べ、その後、次のような主張をしました。
2人に下された判決は...
メアリー・ベルは『責任能力の低下』を理由に、2人に対する殺◯で有罪を宣告されますが、ノーマ・ベルはいずれの容疑にも『無罪』の判決となっています(⊙_⊙')
無罪判決を受けて興奮したノーマはその場で手を叩いて大喜びしましたが、一方のメアリーはその場で泣き出しました。
そしてメアリーは英国王室の意向に基づき、無期限の禁錮の身となったのです。
刑務所に服役したメアリーは1977年に脱獄を試みますが、結局捕まり、そして1980年に出所。
その後、しばらくは名前を変えて生活していましたが、後年になって自叙伝を出しています👀
というわけでメアリー・ベル事件を紹介してきましたが、もはや子供のイタズラでは済まさなれない『殺◯』を犯してしまったメアリー。
彼女は11歳という年齢で連続殺○犯(シリアルキラー)となってしまいましたが、母親からの度重なる虐○で心を黒く染めてしまったのかもしれません。
しかし、だからと言って幼き子供を殺○て良い理由にはならないことは言うまでもないでしょう_φ( ̄ー ̄ )