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【ランディ・クラフト】67人を殺害したフリーウェイ・キラーと呼ばれた殺人鬼!
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1893年5月14日午前1時頃、カリフォルニア州のインターステート・ハイウェイ5号線のパトロールをしていた2人の巡査は、蛇行運転を繰り返す不審な茶色の車を発見

飲酒運転の疑いがあるので、2人はパトカーの赤色灯を点灯させて追跡。

しかし、運転手はなかなか停車しようとしなかったため、2人は業を煮やして拡声器で止まるように呼びかけると、その車はようやく路肩に停車した。

2人の巡査が尋問のためにパトカーを降りようとすると、車の運転手は自分から降りて巡査たちに近づいて来た。

巡査たちは『この男は怪しい』と直感した。

なぜなら後ろ暗いことがない人間は、わざわざ自分からは降りてこないから...

男はランディ・クラフトと名乗り、38歳のプログラマーで飲酒はしてないと言い張ったが、怪しんだ巡査は男の車に近づき中を覗き込むと、助手席で若い男性が膝にジャケットをかけて眠っていた。

巡査は男性を起こそうと何度も呼びかけるが一向に起きる気配がないので、男性の腕に手を伸ばしたし瞬間に巡査は気づいた...

眠っていると思った男性は実は

死○でいた😱

というわけで今回はフリーウェイキラーと呼ばれたシリアルキラー、ランディ・クラフト(ランドルフ・クラフト)を紹介しちゃいます!

ランディ・クラフトはテッド・バンディやジョン・ゲイシーをも凌ぐと言われる凶悪な殺人鬼で...

えっ!?早く続きを書けって?

失礼w

それでは続きをどぞー

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ランディ・クラフトはバンディやゲイシーを凌ぐ最悪の殺人鬼!?

ランディ・クラフトのマグショット(2007年)

助手席の若者は自分のベルトで首を絞められて殺○されていました。

つまりクラフトは死○を乗せてドライブしていたんです_:(´ཀ`」 ∠):

当然その場で逮捕となったのは言うまでもありません。

後日、家宅捜索の結果、衝撃的な事実が明らかに!!!

実はランディクラフトは警察が長年血眼になって探していたシリアルキラーだったのです👀

1970年代初頭から10年余り、カリフォルニア州のフリーウェイ脇から、若い男性たちの無残な死○が断続的に発見されており、正体不明の殺人鬼のことを市民たちは

フリーウェイ・キラー

と呼ぶように。

家宅捜索の結果、クラフトこそがフリーウェイ・キラーであるという証拠が続々と発見されたのです。

クラフトの自宅からは犠牲になった若者たちを撮影した決定的な写真が見つかった

次々に見つかる被害者の遺留品を手に取った捜査員の一人はこのようなことを呟きます。

もしかすると俺たちはバンディやゲイシーを凌ぐ最悪の連続殺人鬼を逮捕したのかもしれない』

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ランディ・クラフトはゲイ・バーでバイトしていた!?

ランディ・クラフト

ランディ・クラフトは1945年3月19日にカリフォルニア州ロングビーチで生まれ、彼は4人姉弟の末っ子で大人しい性格の子供だったようです(⊙_⊙')

1960年、 高校に入学したクラフトは明るく活発で、勉強もスポーツも優秀な成績を残す文武両道の少年で誰もが羨む典型的な『アメリカン・ボーイ』でした。

しかし、カレッジ入学後に同性愛であることを公表したクラフトはゲイ・バーでアルバイトを始め、さらにこの頃に彼は自分の中のSM趣味に気づいたようで、SMバーにも出入りするようになりましたw

1968年には空軍に入隊しますが、わずか1年で医学上の理由で除隊。

その後、ロングビーチ大学でプログラミングを学び、就職。

また1975年に逮捕されるまで恋人関係を続けることになるジェフ・シーリグと出会い、同棲を始めています_φ( ̄ー ̄ )

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フリーウェイ・キラーは3人いた!?

クラフトが犯行を重ねていた同時期に実はカリフォルニア州に他に2人のフリーウェイ・キラーがいたんです👀

1人目は1977年7月に自首してきたパトリック・カーニーは73年〜77年にかけて32人の同性愛者の命を奪ったと告白しています_:(´ཀ`」 ∠):

2人目はウィリアム・ボーニンで彼もまた若い男性を残虐な方法で殺◯ており、犠牲になった若者は41人も及んでいます。

この2人のフリーウェイ・キラーが逮捕されても犠牲者はあとを立たなかったのです。

その理由は3人目のフリーウェイ・キラーであるランディ・クラフトが捕まっていなかったから...

ランディ・クラフトは欲求不満解消のために殺○を繰り返した!?

ランディ・クラフト

クラフトが除隊したあたりから、フリーウェイ・キラー の被害者が断続的に発見されるようになり、これはもちろんクラフトが殺○を始めたからです(⊙_⊙')

彼は元々サディスティックな性○嗜好を持っていたのですが、恋人のシーリグはあまりSMには興味がなかったため、2人の性○交渉は徐々に少なくなっていたため、クラフトは欲求不満を募らせていたのです。

シーリグと付き合い始めた頃は、一時的に被害者数が減っていたのですが、その後、再び増加するようになってしまいます。

クラフトは若者たちに声をかけ、ビールを奢って信用させたあとに大量の薬を飲ませてレ○プするのが常でした。

身動きが取れなくなった若者に拷問を加えて、最後に締め殺◯。

クラフトにとって殺○は欲求不満を解消する最高の手段だった...

クラフトの殺○スコア!被害者の数は67人!?

ランディ・クラフト

警察がクラフトの自宅を家宅捜査した際に車の中にあったブリーフケースから”奇妙なバインダー”が見つかっており、そこには意味不明な言葉のリストが書かれていました(⊙_⊙')

調査の結果、それはクラフトの『殺○スコア』であることが判明!

彼は全ての犯行を克明に思い出せるように暗号のような言葉を使ってリストにしていたのですが、その殺○スコアは被害者数が

67人

に登ることを意味しており、このリストはクラフトの犯行を決定づける有力な証拠となったのです。

孤独の中での裁判、そして...

ランディ・クラフト

クラフトが殺○したと推定される67人の内、22人は身元不明だったため、身元が判明している45人の被害者の中から確実に有罪に持ち込める確率が高い16件だけに絞って、クラフトは起訴され1983年9月27日に裁判が始まる。

法廷に現れたクラフトはヒゲを剃り落とし、髪も整えられていました。

何食わぬ顔で裁判に参加したクラフトでしたが、実はこの時の彼の心中は悲しみと不安が渦巻いていたのです(⊙_⊙')

なぜなら、長年の恋人だったジェフ・シーリグが彼の元を去ってしまったからで、シーリグは彼と同棲していたのにも関わらず、クラフトが殺人鬼だったことを全く知らなかったんです。

シーリグのクラフトへの気持ちは一気に冷めてしまい、面会にも来なくなり、またクラフトの友人やゲイ仲間たちも一斉に彼の元を去ってしまったのです。

かつては典型的なアメリカン・ボーイとして羨ましがられたクラフトでしたが、この時の彼は孤独の淵に追いやられていました。

クラフトと弁護側は、 検察側があげつらう証拠は全て状況証拠に過ぎないとして、無罪を主張しましたが、クラフトの残虐性を証明する有力な証人が現れたことが決めてとなり、1989年8月3日、陪審員は死刑を勧告。

勧告を受けた時のクラフトは陪審員から顔を背け、苦々しい表情でメモ用紙に何かを書き殴っていたそうです。

1989年11月29日、マッカーティン判事によってランディ・クラフトの死刑判決が言い渡されました。

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