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幕末に異種格闘技戦が行われていた!活躍したのは力士!?
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今回は幕末に行われた異種格闘技戦を紹介したいと思いますᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ

”なぜ!?異種格闘技戦が幕末に行われたのか?”

ですが1854年1月、ペリーは前年に江戸幕府に対して開国するように要求しており条約の締結を求めて再度浦賀水道に来航したのです(⊙_⊙')

この時に幕府は数人の力士を同行させていました。

なぜ幕府は力士を同行させたのか?

今でこそ日本人(男性の場合)でも身長が180cmを超える人もいますが幕末期の日本人の平均身長は男性が155cm、女性が143cmほどで非常に小柄だったんです👀

最初にペリー艦隊と交渉した時、幕府の役人たちは自分たちよりも遥かに体格の良い米国人に恐怖を感じたのです!

つまり”屈強な肉体を持つ力士を連れて行くことで一方的な要求を押し付けられないようにする”ことが幕府側の狙いだったのです。


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集結した力士たちにペリー艦隊の乗組員たちは驚愕する!

白真弓肥太右衛門(しらまゆみひだえもん)
画像:ひだっちblog

浦賀水道沖に集結した力士たちは怪力を生かしたパフォーマンスを披露。

前頭筆頭の白真弓肥太右衛門身長208cm体重150キロの超巨漢力士で幕府からペリー艦隊に送られた米を艦隊に運ぶ際、5斗(75キロ)の米俵を一気に8つ持ち運んだのですᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ

乗組員から『なぜそれほどの怪力を持っているのか?』と尋ねられた白真弓米をたくさん食べているから』と答えたそうです。

また別の力士は基盤の上に1人の乗組員を立たせて片手で基盤ごと乗組員を持ち上げたのです。

集結した力士たちの怪力ぶりはペリー艦隊の乗組員たちを驚愕させたのでした〆(・∀・@)

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乗組員たちは力士に対戦を申し込んだ!?

小柳常吉
画像:Wikipedia

力士たちの怪力ぶりを見学しているうちに、格闘技経験がある乗組員数人が対戦を申し込んできました(⊙_⊙')

その要望にお応じたのが上総国(現在の千葉県)出身の大関・小柳常吉

小柳は身長170cm体重150キロのあんこ型で36歳で大関に昇格した遅咲きの力士でした。

小柳もまた怪力の持ち主で5斗の米俵を片手で次々に運んだそうです。

乗組員たちは1対1の対戦を希望しましたが小柳は面倒だからと複数の対戦を要求したのです。


小柳常吉は異種格闘技戦で完勝!

米俵を船に運ぶ力士たちの様子を描いた絵画

大日本維新資料には小柳と対戦した乗組員は3人でそのうちの2人はレスリング経験者、もう1人はアマチュアボクシングでチャンピオンの実績を持っていたことが記録されています👀

自分たちの実力が過小評価されたと感じた3人の乗組員たちは小柳を完封なきまでに叩きのめしてやろうと一斉に飛びかかった!

しかし小柳は殴りかかってきた元ボクシングチャンピオンを片手で払って地面に倒し、そのまま足で踏みつけた。

そして両脇から掴みかかってきた2人のレスリング経験者を取り押さえると、1人を脇に抱えてもう1人の服の襟を掴んで自分の頭上へと掲げたᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ

小柳は3人の格闘技経験者の乗組員を圧倒的な力で制し完全勝利したのです〆(・∀・@)

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ペリーの『日本遠征日記』には敗北したことが書かれていない!?

版画に描かれたペリー
画像:Wikipedia

幕末の頃、日本は産業力や軍事力が西洋諸国に比べると大きく劣っていました。

そのため外国と交渉する際は脆弱さを見せないことが必須条件でした。

そういった意味では小柳や白真弓をはじめとする力士たちは日本を舐めてかかれない存在としてアピールすることに多大に貢献したと言えます(⊙_⊙')

また来訪時にペリーが書き記した『日本遠征日記』には小柳が艦隊の乗組員に勝利したという記述はありません。

これはペリーが自軍の精鋭たちがたった1人の日本人に完敗したという事実を認めたくなかったためと言われています。

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