日本は内戦とは無縁の国ですが世界中で内戦によって苦しみ亡くなる人が数多くいます(⊙_⊙')
今回は『アフリカで起きた内戦』をテーマに書いていきますが、これは同じ地球上で現実に起きた(起きている)ことで紛れもない事実です。
世界平和を人々がどれだけ願っても、争いがなくならないのは何故なのか?
それを紐解くために『アフリカで内戦が起きた理由』について見ていきましょう〆(・∀・@)
(参考文献:世界紛争地図)
Contents
独裁者が続いた故の内戦!『ソマリア内戦』
ソマリアの人々は外でも家でも、いつ弾に当たる分からないような環境の中で生きています。
ソマリアでは権力の座を狙う人々が内戦を続け、犠牲になるのはいつも一般市民という状況が続いており
さらにひどい干ばつが内戦に追い討ちをかけ、一時は200万人が飢餓に苦しみ、100万人が難民になる最悪の事態となったのでした(⊙_⊙')
この内戦が始まったのは、バーレー大統領が1991年に追放されて以来で
バーレー大統領は69年にクーデターを起こし、独裁者となって自分の血縁の氏族ばかりを優遇。
これに反発した各勢力が武器を、戦い始め、政権を崩壊させて、大混乱の状態に...
民族や宗教の違いはほぼなく、国民のほとんどがソマリ族でソマリ語を話す、スンニ派イスラム教徒。
氏族ごとの団結が強く、氏族を中心に各派ができて対立しています。
このような中で、ソマリア北西部は一方的にソマリアランドとして独立宣言をします。
それに続くように、北東部もプントランドとして一方的に独立を宣言。
2005年に近くの国々が仲介して暫定連邦政府ができましたが、全土は支配できなかった。
ソマリア内戦は現在でも続いており、まだまだ終戦にはほど遠いようです(⊙_⊙')
内戦によって生まれた海賊ビジネス!?『ソマリア海賊問題』
東アフリカのソマリア沖では、次々と船舶が海賊に襲われています🥶
多くの場合、海賊たちは高速の小型ボートでこっそりと近づいてきて、銃などの武器を使って脅して船員もろとも船を乗っ取り、船主に身代金を要求。
海賊の正体は、90年代初めから無政府状態が続くソマリアの若者たちで、海賊による乗っ取り事件は2008年だけで293件ありました(⊙_⊙')
ここはヨーロッパと中東、アジアを結ぶ海の要所でタンカーや貨物船が盛んに通るので、海賊がはびこれば世界の経済はダメージを受けることになります💸
海賊が増える理由とは!?
多くのグループが入り乱れて争っているソマリアには、全土をコントロールする政府が無く
国内のあちこちでは砲弾が飛び交うために土地は荒れ、産業は栄えず、働きたくても働く場所がない。
戦闘に巻き込まれて家を失い国外に逃れた人も多い。
このような理由から食べるために海賊になり、リッチになった人を身近で見て『自分も海賊になる』という風に連鎖していき、結果的に海賊がどんどん増えていくことに...
ソマリアが新たな国に生まれ変わらないと海賊問題を根っこからは解決できないと考えられています。
スーダン西部で起きた史上最悪の人道危機!『ダルフール紛争』
2009年3月、国際刑事裁判所(ICC )はスーダン西部のダルフール地方での戦争犯罪と人道に対する罪でスーダンのバジル大統領に逮捕状を出しました(⊙_⊙')
ダルフール紛争は『史上最悪の人道危機』と呼ばれ、国際社会の非難の的となり
アラブ系のバシル大統領はアラブ系民兵組織に武器を与え、ダルフール土着のアフリカ系住民を集団殺戮させたと疑われています🥶
2003年に紛争が激化してから約20万人のアフリカ系住民が殺害され、約250万人が難民となるか国内で避難する。
バシル大統領は国を意のままに動かすため、反対派を一掃し
イスラム原理主義勢力と手を組み、キリスト教やアニミズムを信じるアフリカ系住民を抑えつけた。
悲惨なダルフール紛争!
ダルフール紛争は国内で続く干ばつ対策の策略ともいわれています(⊙_⊙')
地下水脈が期待できる一帯からアフリカ系住民がいなくなれば、アラブ系の農地にできる。
そこでアラブ系の民兵組織は政府軍の機関銃や戦車、爆撃機まで使い、アフリカ系の村を次々と焼き払ったのです🔥
子供までが次々に惨殺され、拷問やレ○プも横行。
アフリカ系の武装集団を作って戦ったのですが、政府は双方を裏で操っており、いずれの勢力も対立・分裂するなど、状況は混沌としていた。
バジル大統領は逮捕状が出ると開き直り、ICCを『我が国の安定を望んでいない』と非難し
捕まる心配のない国にこれみよがしに外遊に出て行きました。
東西南北全てが紛争地帯!?『エチオピア問題』
2009年1月にエチオピアで誘拐された日本人女性が3ヶ月半ぶりに解放されたのですが
彼女は『世界の医療団』に所属し、現地で活動していた医師です👩🏻⚕️
誘拐の現場は、エチオピア東部のソマリ州オガデン地方で
そこから国境越えてソマリアへ連れ去られ、監禁されていました(⊙_⊙')
ソマリアは国内でも誘拐事件が多く、時にはエチオピア側に入り込んで人質を取り、素早く逃げ戻る。
国境があってもほとんど関係がないのです。
何故かといえば、オガデン地方の住民の多くがソマリア人と同じソマリ人だからで
1970年代後半には、ソマリ族が1つになって新しい国を建てようとする考えのもとに、エチオピアからの解放を目指す武力闘争が激化。
ムガベ大統領の大暴走!『ジンバブエ問題』
2008年のインフレ率が年間2億3000万%、コレラの感染者約10万人、死者4000人以上。
国外からの食糧支援が必要な国民5割以上で職が得られるのは10人に1人。
ジンバブエ国内では国民にとって地獄ともいえるような状況でした😱
きれいな水も病院もなく、多くの国民が上戸病気に苦しむ一方で、独裁者ムガベ大統領の85歳の誕生日の祝宴費用は2400万円💰
大統領夫人は高級品の買い物三昧で夫婦そろってやりたい放題するんですw
命がけでジンバブエを独立に導き国民的英雄といわれたムガベ大統領が、大切なはずの母国をめちゃくちゃにして、国民を力で押さえつけるようになる。
これによって国際社会から人権侵害を非難されていました(⊙_⊙')
ムガベ大統領の暴走は加速して行った!?
さらにムガベ大統領は白人の土地を取り上げ、アフリカ人農民に再分配するといって次々に白人の大農場を奪い
農業に深刻なダメージを与えました。
食料は不足し、海外からの援助で投資が減り、経済は崩壊。
貧しい国民にも容赦はなく、2005年には『ゴミ片付け作戦』といって、露店や住宅を勝手に排除。
これで70万人が家や職を失うハメに(⊙_⊙')
ウガンダからコンゴ、スーダンで暴れる『神の抵抗軍』
アフリカの内陸国では、紛争の火種が国境越えることも多く『神の抵抗軍(LRA)』を名乗るウガンダの反政府勢力は2008年末から西隣のコンゴ民主共和国や北側のスーダンなどで集落を襲っては住民を殺し、子供たちを拉致するなど暴れ回っています(⊙_⊙')
神の抵抗軍は北部に多いアチョり族の伝統と十戒に基づく国を作るといって、1980年代後半に北部で反乱を起こしましたᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ
それから政府軍との戦闘が20年も続き、2006年にようやく停戦の取り決めができたのです。
それから神の抵抗軍はコンゴやスーダン南部に移動し、ウガンダの北部は平穏になりました。
しかし、神の抵抗軍はなかなか最終的な和平の取り決めに乗って来なかった。
このため、2008年12月からウガンダにコンゴとスーダンの軍が加わり、コンゴ北部で神の抵抗軍の主なキャンプを破壊する共同掃討作戦が行われました。
非常の限りを尽くす『神の抵抗軍』
圧力をかけて和平に合意させる狙いでしたが、神の抵抗軍は多くのグループに分裂し
移動しながら非道の限りを尽くす結果を招いてしまいました(⊙_⊙')
資源の奪い合いが原因!?『コンゴ内戦』
携帯電話、コンピューターの材料をめぐって紛争が起きてしまいました(⊙_⊙')
希少金属であるコルタンをめぐり、コンゴ民主共和国の南北ギブ州で戦闘が激化し
25万人が避難民となるなど深刻な犠牲者を出してしまいました。
コンゴはコルタンの埋蔵量が世界一といわれています。
主な鉱床のある頭部は武装勢力の支配下にあり、彼らが採掘して武具の資金源としてきたのですが
政府はこれを放っておかず、採掘権を中国に売り払い、そのために衝突が激しくなったというのが主な理由です👀
死者総数300万人!『アフリカ大戦』
1994年のルワンダ大虐殺が、今に続くコンゴの争いの原点で
ルワンダの大虐殺では80万〜100万人が惨殺されました(⊙_⊙')
フツ族中心の独裁政権に少数派のツチ族が反撃し始め、
まずはフツ族過激派がツチ人を一掃しようと惨殺。
それでもツチ族武装組織が勝利を収め、今度は報復としてフツ族の虐殺が起こったのです😱
この時、コンゴ側へ逃げたフツ族過激派が、ルワンダ解放民主制(FDRA)などを形成していった。
一方、今後ではローラン・カビラが独裁政権を倒したが、これはルワンダのツチ族政権やウガンダに支援されてのことでした。
ところが、カビラは大統領になると、ルワンダやウガンダの影響力を抑えようとフツ族過激派を保護し始めます。
このため、カビラと共に戦ってきたツチ族たちが反政府運動を起こし、内戦が勃発。
カビラ大統領はジンバブエ、アンゴラ、ナミビアを味方につけ、反政府勢力をルワンダ、ウガンダが支援しました。