この記事では現在も未解決とされる世界のミステリアス事件を8つほど紹介しちゃいます(ΦωΦ)フフフ・・
今回は結構、マニアックというかあまり知られてない未解決事件をあえてピックアップしているので、不謹慎ですが楽しめると思いますw
それではさっそく見て頂戴♪( ´θ`)ノ
Contents
マイケル・ロックフェラー失踪事件
世界最大の石油会社スタンダード・オイルの創始者で世界皇帝と呼ばれたジョン・D・ロックフェラーの孫であり、アメリカ合衆国第41代副大統領、ネルソン・ロックフェラーの息子の
マイケル・ロックフェラー
は1961年にニューギニア南部で突如として消息を絶ち、行方不明に...
そして、この失踪事件にはある恐ろしい噂があるんです(*´Д`*)
マイケル・ロックフェラーは首狩り族に殺○れた!?
マイケルはハーバード大学で民俗学を専攻しており、ニューギニア・イリアンジャヤの部族に興味を持ち、その中でも特にダニ族とアスマット族を熱心に研究していました。
そして1961年11月20日、マイケルはネルソン・ロックフェラーがマンハッタンに開館したアート博物館に展示するコレクション収集の目的で、ニューギニアを訪れたのです。
この時、オランダ人の人類学者・ルネがマイケルに同行しており、2人は目的地へ行くためにボートでの移動中、突然、エンジンが故障して漂流してしまう...
現地のガイドが泳いで助けを求めに行ったあと、しびれを切らしたマイケルはパンツ一丁になり、空のガソリン缶を浮き輪代わりにして、陸地を目指して泳ぎ出したのですが、これがルネの見たマイケルの最後の姿だったんです(*´Д`*)
ネルソンは息子の失踪を知って、直ちに現地入りし大規模な捜索を行なったのですが、マイケルは見つからず。
結局、ロックフェラー家では『溺れて流された』『サメに食べられた』などの海難事故と結論づけました。
が!!!
一部のメディアはこう報じたのです。
『マイケル・ロックフェラーは首狩り族に殺○れ食べられた』
と。
マイケル・ロックフェラー失踪事件の真相とは!?
事件から50年後に現地へ乗り込み、1ヶ月間にわたり徹底的に取材し、2014年に『サベージ・ハーベスト(人喰い ロックフェラー失踪事件)を著した、アメリカ人ジャーナリストのカール・ホフマンによると...
その日、マイケルはボートが漂流した後、16kmを泳ぎきり岸にたどり着いていたんです。
が!!!
運悪くそこには
白人の生贄を探すアスマット族の住む地域
で、マイケルはアスマット族の男の一人に槍で突き刺○れ、首の後ろに斧を振○下ろされて殺○れてしまったというんです!!
そしてアスマット族は儀式を行ない、最初に頭を外◯て、首から背中に切◯込みを入れて内臓を除去。
グループが呪文を唱えている間に、手足を火にくべ、最終的に頭皮を取○、脳を取○除き、
それを食◯た...
『アスマット族がマイケルを殺○ていたのであれば、彼らはマイケルに対してこのように扱っただろう』
と述べています(*´Д`*)
海難事故の可能性はないのか?
マイケルがボートから泳ぎ出す際に浮き輪代わりにしたガソリン缶は体に固く結び付けられていたため、もし溺○したとしても、缶は発見されても良さそうなものですが、結局、捜索隊は発見できていません(⊙_⊙')
また現地ではこの時、サメによる死○事故はなかったそうです。
このことから、ロックフェラー家が結論付けた海難事故による死◯説は間違っている可能性が高く、アスマット族の生贄になった説が濃厚だと言えるでしょう。
300人の兵士が消えた!?『ノーフォーク連隊集団失踪事件』
1915年8月28日、連合国軍はオスマン帝国の首都・イスタンブールを制圧するためにガリポリ半島に軍を展開。
イギリス陸軍ノーフォーク連隊の兵士約300人もサル・ベイ丘の第60号丘陵の占拠を目指し歩みを進めていました(⊙_⊙')
(この後に続いていたのが、オーストラリア・ニュージーランドの連合部隊で通称”アンザック軍団”)
当日は快晴でしたが、丘の上には
複数の奇妙な雲の塊
が漂っていたんです(*´Д`*)
さらに不思議なのが、その雲はどれも形が似通っていて、風に流されることもなく1ヶ所に固まっていたというんですよ。
そしてアンザック軍団はここで不思議な光景を目に...
なんと!?
突然、丘の上から”灰色の雲”が降りてきたかと思ったら、前を行くノーフォーク連隊を丸ごと包み込んでしまったんです。
そして1時間後、雲は空に流され消えて行ったのです。
が!!!
そこには誰もおらず、丘陵があるだけで、ノーフォーク連隊300人の姿が完全に消えていた...
300人のイギリス人兵士が忽然と姿を消したこの失踪事件は現在もその真相はわかっておらず、結局、ノーフォーク連隊は『行方不明』として処理されています。
しかし1915年の夏の日に多くのイギリス人兵士が忽然と姿を消したのは紛れもない事実なのです...
デボラ・リンズレー殺○事件
デボラ・リンズレー殺◯事件は、1988年3月23日、イギリス・ロンドンの南東端にあるオーピントン駅〜ヴィクトリア駅行き14時16分発の列車の中でエジンバラ市のホテルに勤めていたデボラ・リンズレーが殺○された事件です(⊙_⊙')
ホテル経営の研修を受けるためにロンドンを訪れたデボラは、この日、実家や兄の家を訪れた後、兄の車で駅まで送ってもらい、6人がけのコンパートメント(個室型車両)に乗り込んだ。
(この時、他の乗客が座席でサンドイッチを食べる彼女の姿を目撃)
14時50分、列車がヴィクトリア駅の第2プラットフォームへ到着。
そして駅員が列車内を見回ると、デボラが床に倒れていた...
顔、首、胸、腹部などを繰り返し刺○れており、致命傷になったのは心臓への一突きでした_:(´ཀ`」 ∠):
犯人の血痕の採取に成功するが...
乗客70人から多数の目撃証言を手がかりに警察は捜査を開始。
1200人以上に聞き込みを行い、650人に上る参考人に尋問したものの、犯人逮捕には至りませんでした(⊙_⊙')
が!!!
デボラが必死に抵抗したことで、犯人に傷を負わせていたため、現場には”犯人のものと思われる血痕が残っていた”のです。
しかし、当時は科学捜査の精度が低かったため、警察は犯人の血液を採取していったん保管。
そしてDNA鑑定の技術が確立された2012年、さらに2013年に前歴者のデータと照合させましたが、誰とも一致せず、結局、この事件は今も未解決のままとなっています。
オーチャードパーク連続殺◯事件
1979年の夏から秋にかけて米・テキサス州ヒューストンで正体不明の殺◯鬼が5人の男女を次々と惨○するという事件が発生したんです(*´Д`*)
最初の犠牲者はヒューストン南西部にあるオーチャードパークのアパートに住むアリス・ランキン(当時33歳)で、7月27日の朝に同僚が彼女を迎えに部屋を訪れた際に、ランキンの変わり果てた姿を発見。
ランキンは足を縛られて性的○行を受け、さらに首から頭部が切○されていた...
警察の調べによると、犯人は切◯落とした頭部を床の上にいったん置き、駐車場に運んで、そのまま車で持ち去ったことを示す血痕が見つかったとのことです。
それから2週間後の8月10日、今度はランキンと同じアパートの2階上に住むメアリー・カルカッタが殺◯れてしまいます。
バスルームで性的◯行を受け、包丁で何十回も刺○れて喉が裂○ていた...
そして同日、もう一つの遺○が見つかり、被害者は市内南西部のタウンハウスに住むドリス・スレッドギルで、彼女もまた首をほとんど切○落とされていたのです(*´Д`*)
さらに2人の犠牲者が出るが...
10月3日、スレッドギル宅からほど近い場所で、銃声と若い女性の助けを求める声を聞いたと通報が入り、警察が駆けつけると、16歳の女性、ジョアン・ホフマンが帽子を被った男に髪の毛を引っ張られて車に乗せられるのを隣人が目撃したというんです(⊙_⊙')
また警察の調べで、ホフマンの自宅前に血痕が残っていることも判明。
しかし、翌日、彼女は地元の公園で遺○となって発見され、さらに数キロ先で血◯みれの車が発見され、トランクにはホフマンのボーイフレンドが首を切○された状態で詰め込まれていた...
これだけ凄惨な事件ですが、犯人は捕まっていません_:(´ཀ`」 ∠):
シャーロック・ホームズ研究家変○事件
2004年3月27日にシャーロック・ホームズ及び作者のアーサー・コナン・ドイルの研究家リチャード・ランセリン・グリーン(当時50歳)がロンドンの自宅アパートで、うつ伏せになって死◯でいるのを発見されます(*´Д`*)
捜査では靴ひもを首に巻き、木のスプーンでねじり上げたことで縊死(いし)したことが判明したため、当初は殺○と断定されたのです。
幼少期からコナン・ドイルに関する品を収集していた!?
グリーンは1953年にイギリス・チェンシャー州べビントンで生まれ、父親はホメロス神話の改作で知られる作家、母親は裁判官で演劇教師でもありました(⊙_⊙')
そんな両親の影響を受けてグリーンは幼少期から文学に興味を持つようになり、特にコナン・ドイルの探偵シャーロック・ホームズにのめり込み、夢中になった彼は、わずか7歳でドイルに関する品の収集を始めるようになったんです。
『コナン・ドイル・コレクション』
オックスフォード大学でグリーンは英文学を学んだ後、彼自身もシャーロック・ホームズに関する多くの著作を出版、そして最終的な目標は敬愛するアーサー・コナン・ドイルの伝記を執筆することでした。
ドイルの伝記は既に何人かの作家によって書かれていましたが、グリーンにとってはどれも不完全でした(⊙_⊙')
そこで彼は、ドイルの娘ジーン・ブロメットと親しい関係を築き、彼女が所持しているドイルの記録を使えば、最高の伝記を書けると考えたのです。
しか〜し、2004年に国際オークションハウスのクリスティーズ社が
『コナン・ドイル・コレクション』
を売却すると発表すると!?
グリーンは資料がアメリカ人の手に渡る可能性に激怒し、さらに
主張し、クリスティーズ社にオークションの中止を訴えたのです(*´Д`*)
またドイルの娘、ブロメットも同調し、『父の収集品は大英図書館に遺贈されるべき』と主張。
しかし、結局、オークションに反対するだけの証拠を揃えることはできず、中止の申し立てを見送ることに...
グリーン殺○の容疑をかけられたアメリカの作家、ジョン・レレンバーグ
グリーンは死の数週間前に友人やジャーナリストに
と語っていました(*´Д`*)
グリーンの妹は兄が精神不安定により妄想に取り憑かれていることを案じて、様子を見るために何度もアパートに足を運んでいました。
そして、2004年3月27日、彼女は兄の変わり果てた姿を目撃することになったのです...
妹は最近のグリーンの様子から直感的に自◯と考えました。
しかし、文筆家であるグリーンが遺書を残さないのは不自然で、また最後の夜にグリーンと食事をした友人は、変わった様子はなく、周囲の人間も『彼は自◯を図るような人間ではない』
と証言しているんです(⊙_⊙')
では殺◯としたら誰がグリーンを殺◯たのか?
実はグリーンには恐れていた人物がおり、その人物は
ジョン・レレンバーグ
というアメリカ人作家。
彼もまた、シャーロック・ホームズに関する多くの本の著者で、シャーロック・ホームズの研究に関してもグリーンと双璧を成す著名な人物でした。
しかも、レレンバーグはグリーンが死◯だ夜にロンドンに居たこともわかっているんです。
警察はレレンバーグに当然、事情聴取したのですが
と主張し、結局、グリーンの死は自○・他◯とも結論づけられなかったのです。
このようにグリーンの死の真相はわかっていませんが、オークション後、アーサー・コナン・ドイルの重要な資料の多くは
大英図書館に収められた
のは、何とも皮肉な話と言えるでしょう_φ( ̄ー ̄ )
解読不能なリッキー・マコーミックの暗号メモ
暗号が絡む未解決事件で有名なのはゾディアック事件ですが、ここで紹介する事件の暗号もいまだに解読できていないんです...
1999年6月30日、アメリカ・ミズリー州ウェストアルトン近くのトウモロコシ畑で遺◯が発見され、警察の捜査で5日前から行方不明となっていたリッキー・マコーミック(当時41歳)と判明します(⊙_⊙')
当初、警察はマコーミックが行き倒れたものと考えており、その理由は彼が当時失業中かつ、心臓と肺に慢性的な疾患を抱えていたからです。
しか〜し、不自然なのはマコーミックは車の運転をしないにも関わらず、自宅から32キロ離れ、かつ公共交通機関のない場所で遺○として発見されたこと(*´Д`*)
その後、警察は彼が別の場所で殺○されてトウモロコシ畑に運ばれたと判断し、捜査を開始しますが、結局、犯行を裏付ける物的証拠を見つけることはできなかったのです。
ズボンから謎のメモが見つかる!
ただし、手がかりが全くなかったわけではなく、マコーミックのズボンのポケットから2枚のメモが見つかったんですよ( ゚д゚)
メモは括弧で区切られた文字と数字がごちゃ混ぜの意味不明な文章が書かれており、暗号文であると思われました。
そこでFBIは『事件を紐解く鍵になる』と推測し、暗号解読に着手。
通常、暗号はその暗号と比較・対照可能な文章を用いて解析されるため、FBIの暗号解読班もその方式で、マコーミックが使ったであろうサンプルを探すも見つからず。
また彼の家族によると、マコーミックは子供の頃から暗号作りに凝っていたものの
『自分の名前以外の読み書きはできなかった』
と言うんです(⊙_⊙')
困り果てたFBIは事件から13年後の2012年にメモの存在を一般公開し、一般からの解読協力を求めたのですが、現在もこのメモの解読はされず、またメモが事件に関係があるのかさえも、わかっていません_φ( ̄ー ̄ )
レッドヘッド・マーダーズ事件
レッドヘッド・マーダー事件(赤毛殺◯事件)は1987年10月から1992年にかけてアメリカで発生した連続殺◯事件。
警察は、被害者の女性たちはヒッチハイカーで売○を行った可能性が高いとしています(⊙_⊙')
しかし、この事件の一連の犯行が『同一犯なのか?』『複数犯なのか?』はわかっておらず、さらに被害者の数も『6人なのか?』『11人なのか?』『もっと多いのか?』
についてもハッキリしていません。
(多くの被害者は現在も身元不明のまま)
事件の最初の被害者
1983年2月13日、ウェストバージニア州の250号線沿いで全裸遺○で見つかった白人女性が、レッドヘッド・マーダーズ事件の最初の被害者とされています(⊙_⊙')
(女性の年齢は35〜45歳と推定されており、身長は168cmほど)
発見時は積雪があったにも拘らず、遺○の上には雪がなく、また近くで足跡やタイヤ痕が見つかったため、被害者は別の場所で殺◯され、発見現場に運ばれてきた可能性が高いと思われたのです。
検死の結果、被害者は2日前に死◯し、性的○行は受けてないことが判明。
(ウェストバージニア州当局は、この被害者がレッドヘッド・マーダーズと関係していることに懐疑的ですが、最初の犠牲者の可能性もあるため、最初の被害者として紹介しています)
2番目の被害者リサ・ニコルズ
2番目の被害者は、1984年9月16日にアーカンソー州ウェストメンフィス近くの州間高速道路沿いで絞◯死○となって発見されたリサ・ニコルズ(当時28歳)。
(赤っぽいストロベリー・ブロンドで、身につけていたのはセーターだけ)
当局はしばらく、ニコルズの家族の身元が分からず、連絡を取ることができませんでした。
結局、9ヶ月後の1985年6月になって、ようやく身元が判明していますが、彼女は幹線道路沿いのトラックサービスエリアでヒッチハイクし、運転手に殺○された可能性が高いとされています。
その他の被害者たちのケース
1985年の元日、テネシー州の州間高速道路75線近くで遺○で発見された女性は妊娠中で、死後、約72時間が経過していました。
2018年になって、この女性の身元がFBIの指紋照合で判明し、インディアナ州で失踪したティナ・ファーマー(当時、21歳)と特定されています。
(顔の復元図)
同年3月31日には、州間高速道路24号線の29番と30番のマイル標の間で白○化した赤毛の女性の遺○が発見されています。
さらに翌4月1日にもケンタッキー州の25号線沿いで、大きな白い冷蔵庫の中から、女性の遺○が発見され、○因は窒息◯とされています。
また2つの特徴的なペンダントを身につけており、ラジオ局が情報を募ったところ『ノースカロライナ州を目指していたヒッチハイクをしていた女性ではないか?』
との目撃情報が寄せられたのです。
そしてティナ・ファーマー同様に2018年になってから身元が明らかになり、被害者はノースカロライナ州のエスピー・ピルグリムと判明(⊙_⊙')
その後も4月14日に、テネシー州グリーンビルで若い白人女○の遺◯が見つかっており、死◯3週間〜6週間経過、年齢は14〜20歳と考えれています。
警察は指紋、DNA、歯の治療情報から身元の特定を試みましたが、当時では身元を割り出すことができず...
結局、特定されたのは、またもや2018年で被害者は、ニューハンプシャー州生まれのエリザベス・ラモットで死○時は17歳だったと当局は発表しています(*´Д`*)
唯一逮捕された容疑者ジェリー・ジョーンズ
警察は完全にお手上げ状態に...
そこで遺○が発見された
- テネシー州
- アーカンソー州
- ケンタッキー州
- ミシシッピ州
- ペンシルベニア州
の捜査官とFBIが集まり、一連の事件が連続犯によるものかについての話し合いを行うわけですが
- いずれも絞◯
- 高速道路の近くに遺◯を遺棄する
という点が共通することは認識しますが...
そもそもこの事件は『レッドヘッド・マーダーズ』という名前のわりに完全な赤毛の女性は3人のみで、他の被害者はピンク、ブロンド、黒色の髪がほとんどでした(⊙_⊙')
また被害者は全裸の場合と着衣のケース、性的◯行もある・なしのケースがあったため、結論は出なかったんです。
が!!!
この事件で唯一逮捕された容疑者が1人だけいるんです!
それはトラック運転手のジェリー・ジョーンズ(1985年当時37歳)で、この男は1985年3月に赤毛の女性を襲◯て絞◯しようとしたのです。
その時、襲◯れた女性が気絶してしまい、それを死◯だと思い込んで、そのまま幹線道路脇に放置。
その後、気がついた女性が警察に駆け込んだことで、ジョーンズは逮捕されたわけです。
ジョーンズは2015年に獄中で死◯したのですが、翌年、FBIが1985年元日に発見されたティナ・ファーマーの遺留品を再分析したところ、とんでもないことが判明!!!
なんと、ジョーンズの精◯が検出され、その後のDNA鑑定で
ジョーンズのものと一致
したんです!!!
これでジェリー・ジョーンズが一連の事件の犯人とほぼ断言できますが、それでもFBIは現在も捜査を続行中とのことです_φ( ̄ー ̄ )