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カップルで強盗!?ボニー&クライドの事件簿!

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現在もギャングスターとしてカルト的な人気を誇るジョン・デリンジャーとほぼ同時期に活動していた強盗団カップル『ボニーとクライド

彼らはジョン・デリンジャー同様に、当時、世界恐慌と禁酒法によって荒んでいたアメリカにおいて、犯罪者であるにも関わらず英雄視されていたという共通点があります(⊙_⊙')

しかし、ボニー&クライドとジョン・デリンジャーでは、決定的に違う点があり、それは

犯行が非常に残虐だった

ということ...

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2人が出会うまで(ボニーパーカー編)

ボニー・パーカー
画像:Wikipedia

ボニー・エリザベス・パーカーはテキサス州ローウェナ出身で両親と兄妹の5人家族でした(⊙_⊙')

1914年に父親が死去したことで、祖母の家があるダラス近郊のセメントシティーに引っ越すことになりますが、セメントシティーは治安が悪く、子供を育てるのには決して良い環境とは言えなかったようです。

ボニーは学校の成績は良かったものの、キレると手がつけられなくなるという二面性を持っており、ある時は鉛筆を盗んだ同級生を呼び出して叩きのめしたこともw


その後、16歳の時に、高校生の同級生だったレイ・ソーントンと結婚し、18歳の頃からカフェでウエイトレスの仕事を始めますが、翌年にレイが銀行強盗の容疑で刑務所に入れられてしまいます。

この時、離婚を考えるボニーでしたが、結局、生涯を通して離婚はしなかったのです。

つまり、後にクライドと出会い、恋に落ち、共に犯罪を繰り返している間も法的にはボニーとレイは結婚している状態だったということに(*´Д`*)

そして1930年にボニーはクライドと出会い、一目惚れし、行動を共にするようになったわけです。

クライド・バロウ編

クライド・バロウのマグショット(当時16歳)
画像:Wikipedia

クライド・バロウはテキサス州ダラス近郊のテリコ出身でフルネームはクライド・チェスナット・バロウ。

貧しい農家に、8人兄妹の6番目として生まれたクライドは子供の頃から動物○待を行っているのをたびたび目撃されており、粗暴で有名でした(*´Д`*)

そして兄が所属していたギャングに17歳の頃に入ったクライドの初めての犯罪はなんと!?

七面鳥泥棒

でしたw

さらに1926年に自動車窃盗で逮捕されますが、両親はクライドを非難することをせず、むしろ擁護する態度をとっており、そのため、彼はボニーに出会うまでの4年間、ダラス近郊で強盗を続けていたのです_φ( ̄ー ̄ )

クライドは『バロウ・ギャング』のリーダーに!

ボニー(右)とクライド(左)
画像:Wikipedia

クライドはボニーと出会った直後にすぐに逮捕され、収監されて、2年後に保釈されますが、彼が更生することはなく、新しく仲間になったレイモンド・ハミルトンを加えて、再び犯罪に手を染めていきます(⊙_⊙')

商店に強盗目的で入り、主人のジョン・ブッチャーを殺○するなどの残◯な事件を起こしては逃走を繰り返す...

そしてボニーと再会してからも、強盗と殺○は続けられ、クライドはいつしか犯罪集団『バロウ・ギャング』のリーダーとなっていたのです(*´Д`*)

(ギャング団のメンバーにはクライドの兄であるバックとその妻・ブランシェもいた)

それからも犯行は続けられ、強盗に入った商店の主人、保安官、警察官が次々と犠牲になっていきます...

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犯行の手口とフォードV8

1933年。愛車のフォード・V8と
クライド・バロウの写真
画像:Wikipedia

ボニー&クライドの犯行手口は至ってシンプルで、クライドが店に押し入って強引に金を奪い、ボニーが逃走用の車で待機するというもの。

またクライドは非常に残忍で、犯行時はためらうことなく人を殺○た。

そのため、犯行自体が単純であったとしても、なかなか逮捕には至らなかったのです( ゚д゚)

さらにこの当時、犯人が州境を越えた場合、警察は州を越えて追うことができなかったことも、2人が捕まらなかった一因と言えるでしょう。

ボニーとクライドはフォード社の当時最高の速度と加速力を備えた『フォードV8』を愛用しており、2人がフォードの社長に対して

ボニー&クライド
貴社の車が良く走るので、我々も非常に仕事がしやすく、 感謝している

という逸話もありますw

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警察によって射○されたボニーとクライド

ボニーとクライドが射○された林道
画像:Wikipedia

銃撃を受けた車
画像:Wikipedia

2人の犯行は新聞にも取り上げられ、アメリカ国民を熱狂させましたが、それと同時に警察の対応はより厳しくなっていったんです(⊙_⊙')

そして1934年5月23日、ルイジアナ州ビャンヴィルの寂れた道を逃走していた際にテキサスレンジャー部隊とルイジアナ警察の警官から150発以上もの銃弾を受け、ボニーとクライドは死○。

愛車のフォードV8は蜂の巣にされ、現在もネバダ州の観光施設で公開されているクライドのシャツも穴だらけになっています_φ( ̄ー ̄ )

ボニー&クライドを題材にした映画『俺たちに明日はない』

映画『俺たちに明日はない』

英雄視されたボニーとクライドは死後もその名を轟かせ続けており、彼らを題材にした映画、小説、部隊、音楽、アニメ、漫画に至るまで後を絶たないんですよw

そんな作品の中で最も有名なのは2人の死から33年後に公開された映画『俺たちに明日はない』で、この作品は当時、マスメディアから猛バッシングを受けたものの、事件を知らない若者には大反響だったので、この2人の逃走劇に興味がある方はぜひ一度、観てみてくださいな_φ( ̄ー ̄ )

俺たちに明日はない
1930年代のテキサス。出所したばかりのクライドは、ひょんなことからウェイトレスのボニーと意気投合して強盗を働くように。 クライドの兄バックとその妻、給油所で働いていた青年C・Wを仲間に迎えて銀行を次々と襲うが、次第に警察の包囲網に追い詰められる...

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