昭和に起きた様々な事件や出来事について紹介していきます🤩
30代以上の方には懐かしい事件、若い世代の方には『昔、こんな事が起きたんだ』とオールジェネレーションが楽しめること間違いなし!?の記事になるハズなので最後まで見ていって下さいな!
それでは昭和にタイムスリップしましょう〆(・∀・@)
Contents
トロール船が釣り上げた謎の死骸『ニューネッシー』
これは1977年4月25日のこと、海洋トロール船『瑞洋丸』がニュージーランドのクライストチャーチ沖、水深3000m付近で正体不明の謎の生物の腐乱死体が魚網にかかり、つり上げられたんです(⊙_⊙')
この謎の生物は全長約10mで重さは約2tと非常に巨大なもので胴体からは前後に伸びた大きな4本のヒレあり、繊維質のヒゲが50本近く生えていたそうです。
この謎の腐乱死体は当初、サメかクジラと思われていたのですが、首の部分が1.5m、尾は約2mと長く首長竜のような体をしていたのです。
しかし、謎の腐乱死体はすぐに投棄されてしまいます...
(瑞洋丸は商業漁船で腐乱死体により他の魚が傷むことや単純にスペースの都合で投棄した)
この写真はニュースで報道され、瞬く間に大きな話題になりました。
腐敗がかなり進んでいたものの、首が長く、ヒレらしきものがあり、これらの特徴がネッシーの正体と考えられていたプレシオサウルスに似ていたことから『ニューネッシー』と名付けられたのです。
ニューネッシーの正体はウバザメ!?
瑞洋丸の船員の多くが『これまで見たこともない怪物。あの腐敗臭はどんな魚とも異なっていた』と語っているのですが...
ニューネッシーの死骸は世界中で話題となり、その正体をめぐって大論争を呼ぶんですw
生物学者たちは骨格推定図と写真、乗組員の証言などから、その正体を推定。
その結果、”さまざまな説”が唱えられたのです(⊙_⊙')
うどんの国立自然科学博物館の魚類学者グリーウッド博士を始め、多くの学者がクジラザメ(ジンベイザメ)かウバザメの可能性が高いと推定しました。
そしてニューネッシー”ウバザメ説”にさらに追い打ちをかけたのが、持ち帰ったヒゲ状の物質の分析結果で、瑞洋丸の栄養管理士であり、”謎の死骸”の写真を撮った矢野道彦氏と東京水産大学の木村茂博士らが中心となって、保存されたヒゲらしき繊維組織の分析を行い、1000個の発見された アミノ酸のうち、チロシンが40個含まれていることを発見。
この含有率はサメ類のアミノ酸比率に相当するそうです。
この分析結果から、生物の正体はサメの1種”ウバザメ”であるという説がマスコミを通じ、一般に流布した。
が!!!
これは木村博士の本当の意見が隠蔽されて流布したようなのです...
木村博士の本当の意見とは!?
木村博士が実際に語りたかったのは『 分析結果からは、ニューネッシーがサメだとは断言できない。サメの角質繊維に似た角質繊維を持つ未知の生物がいる可能性を否定することはできない。』という意見でした。
さらに、横浜国立大学の鹿間教授も『角質繊維の分析結果から、サメだと断定するには早計だ。写真や骨格のスケッチから判断する限り、 中世代の海棲爬虫類プレシオサウルスといわざるを得ない』と語っています🤩
専門家はウバザメと推定した人は居たのですが”断定”した人は居なかったんです。
『ウバザメの可能性もあるかもな〜』ぐらいだったのをマスコミが聞きかじりで”ニューネッシ=ウバザメ”と判断してしまい、この説が流布されてしまったというわけです。
ニューネッシの正体はやっぱりUMAだった!
1978年8月に日仏海洋学会が発表した『瑞洋丸に収容された未確認動物について』という報告書には『ウバザメ説』『爬虫類説』『新種動物説』が唱えられましたが、正体を確定することなく、『未確認生物』としています(⊙_⊙')
つまり!!!
ニューネッシーは日本のトップの魚類医学、比較解剖学、古生物学などの多くのプロフェッショナルが認めた”UMA”ということです。
『行けるところまで行ってきます』”風船おじさん事件”
これ僕が小学校の低学年の頃ぐらいにニュースになったんですが、子供ながら”このおじさん絶対死○だろうな”と思いましたね😅
このおじさんの名前は鈴木嘉和さんで”ファンタジー号”と命名した風船でアメリカに行くという無某なチャレンジをした方です(⊙_⊙')
1992年11月23日に滋賀県の琵琶湖湖岬から大小26個の風船を風呂桶にくくりつけた鈴木さんは『アメリカに行ってきます』と言い残し、空に舞い上がった。
しかし、鈴木さんの挑戦は無謀で『ヘリウムガスを詰めた風船に乗って、 高度10,000mに上昇すれば約40時間でサンフランシスコに行ける』という計画でしたが彼の自作のゴンドラにはアメリカに行けるほどの耐久性能はなかったんですよ。
ゴンドラの決定的な欠点とは!?
風船おじさんが飛び立つ瞬間の様子を見ていた地元のタクシードライバーは『風船は重りを積み過ぎていたのか、 あまり高くは上がらなかったね。 風船もパンパンではなく、ちょっとたるんだ感じになっていたから、アメリカまではちょっと無理があるなあって...』と語っていますがこのゴンドラには決定的な欠点があったのです(⊙_⊙')
まずアメリカに行くには。最低でも6000m以上のジェット気流に乗らなけばなりません。
しかし、このゴンドラは5000mも上がらなかった...
出発から40時間後の25日午前8時30分、風船おじさんはアメリカではなく、宮城県金華山沖800km、高度2500m地点を漂っており、距離にすると琵琶湖から1400kmほどしか飛んでいなかったのです(゚-゚;)
(目標の10分の1以下の距離)
ここでギブアップすれば良かったのですが『行けるところまで行く』を信条としていた風船おじさんはそうしなかったんです。
その後、海上保安庁の捜索機が彼の生存を確認したのが最後となりました。
風船おじさんはどうなったのか!?
風船おじさんは結局どうなったのか?
風船は1日に1割ほどガスが抜けるので1週間ぐらいで高度0になると考えられます(⊙_⊙')
風船おじさんは25日にいた北緯約40度・東経153度地点、風の向き、台風の位置、気圧などの条件から、彼は目指す東の方角からやや北に流され、千島列島の島々と平行するように飛んで、ベーリング海手前の太平洋で着水したと予想されています。
さらに専門家によると『 この地点で着水すれば新潮に乗って東北の三陸海岸、場合によっては九十九里海岸まで戻されている可能性がある』そうです。
しかし、その後も風船おじさんの消息は分かっていないので小学生の頃に僕が思った通りの結果になっている可能性が高いでしょうね。
誰もいない別荘から...『八甲田山別荘119番事件』
2014年5月17日深夜0時過ぎに青森消防本部に1本の119番通報があり、電話を受けた担当者は『どうされました?』と訊き返すも電話の向こう側からは声がしない...
『もしかしたら、 声が出せないほどの緊急事態かもしれない』と思い、通報の発信場所を特定すると、そこは青森市駒込深沢にある固定電話だったんです(⊙_⊙')
消防署員ら10人が数台の消防車で40分かけて現場に到着。
しかし現場一帯はまばらな別荘地帯で定住民はおらず、周辺は真っ暗で人影がなく、事故や災害の形跡も全くなかったというんです。
青森消防本部通信司令課の担当者は困惑し、結局『誤報』として処理されたのですが実は『霊の仕業に違いない』と噂されているんです。
『これ平成の事件じゃね?』と思われるかもですが昭和にこの現場で悲惨な事件が起きているのです...
八甲田雪中行軍遭難事件の現場だった!?
この現場は1902年1月に『八甲田雪中行軍遭難事件』があった地区で近くには『雪中行軍遭難者銅像』があります。
そして”誤報”があった場所は多くの犠牲者が出た青森第5連隊の行軍経路となっていたのです🥶
この八甲田雪中行軍遭難事件は帝国陸軍の冬季軍事訓練参加者210人のうち199人が死亡するという世界最大級の山岳遭難事故で生存者も全員が凍傷により四肢を切断したほど凄惨なものでした。
(青森第5連隊は凍死・発狂・自○・立ったまま絶命する者など凄惨を極め、同地でほぼ全滅した)
このような背景があることから『遭難した歩兵の霊が助けを求めたのではないか?』と言われています。
親族の前で主婦が消えた!?『赤城神社主婦神隠し事件』
1998年5月3日、千葉県白井市で暮らす主婦の志塚法子さん(当時48歳)は家族・親戚5人と共に群馬県の赤城神社に観光に来ていました。
ゴールデンウィーク中で神社には多くの観光客が訪れていましたが、この日はあいにくの雨でお参りをしたいという夫と叔父以外は駐車場に止めた車の中で待つことに。
しかし『 せっかく来たのだから、お賽銭だけでもあげてくる』と法子さんは財布から101円を取り出して、 夫と叔父の後を追って外に出たのですがこのときの法子さんはピンクのシャツに黒いスカート、赤い傘と非常に目立つ格好をしていたので、その姿は車中からでもよく見えたそうです。
しかし、法子さんは車を出た後、なぜか境内とは別の方向に歩いていく...
車中で待っていた娘は『お母さん、 境内はそっちじゃないよ』と思いながら法子さんの背中を見ていたが、それが法子さんを見た最後となってしまったのです。
法子さんに接触した謎の人物
いつまで経っても車に戻ってこない法子さんを心配した家族6人は、 雨の中手分けをして赤城神社近辺を探し回りましたが法子さんは見つからず。
念のため地元警察にも連絡し、その後10日間にわたって捜索が行われましたがそれでも法子さんは見つからなかったのです(⊙_⊙')
それから7ヶ月後、同じ日に赤城神社に観光に来ていた人から偶然、法子さんが映ったホームビデオの提供があり、その映像には雨の中、”何者”かに赤い傘を差し出す法子さんの姿が写し出されていたがその人物を特定することはできなかった。
また不気味なことに失踪後に自宅に数回の無言電話がかかって来ており、解析の結果、 電話の発信地は『大阪』と鳥取県の『米子』でした。
TV番組で透視も行われたが...
家族は法子さんを見つけるためにテレビ朝日の『奇跡の扉TVのチカラ』に出演するも解決には至らず。
また番組中に透視能力者のゲイル・セントジョーンは『法子さんは殴られて連れ去られた。そして男たちのアジトへ連れ去られた。目的は暴○だ。その後、鉄の重りのようなもので頭を殴られた。翌日の夜に神社近くで解放されたが、自分が誰なのか分からなくなっている。歩いているうちに崖から落ちた』などと発言。
当然のごとく、視聴者からはクレームの嵐だったそうです(⊙_⊙')
それ以後もビラ配りなどをして法子さんの情報提供を呼びかけるも、やはり発見に至らず。
2008年に法子さんは裁判所により失踪宣告され、現在は死亡したものと見なされています。
泳いでいた100人が全員溺れる!?『津海岸集団水難事件』
1955年7月28日、三重県津市立橋北中学校の女性徒36人が、 地元の中河原海岸で水泳訓練中に集団溺死するという信じられないような水難事故が発生しました(⊙_⊙')
当日の天気は晴れで海は遠浅、 生徒たちは皆、渚から沖合40m、水深は1m前後の浅いところを泳いでいたのですがどういうわけか海に入ってから4〜5分後に女生徒100名前後が同時に身体の自由を失って溺れはじめたのです。
海からの悲鳴に驚いた職員や水泳部員らが協力して救助に当たるも集団パニックを起こした女性徒たちは海の中で互いにしがみつき合いその結果、36人が溺死。
その後の検証で『 通過したばかりの台風13号による異常流が発生したからではないか?』『近海を北進していた大型の貨物船による”蹴波”が起きたせいではないか?』など専門家による様々な説が流れました。
しかし助かった生徒の証言に戦慄することに...
防空頭巾を被った複数の霊に引っ張られた!?
助かった女生徒の証言によると『 遊泳中に水面をひたひたと黒い塊がこちらに向かって泳いできた。そして、先を泳いでいた友達が一人ひとり、黒い塊に吸い込まれるように姿を消していった』というんです😱
しかも、 その黒い塊は近づくにつれ、次第にはっきりと目の前に立ち現れ、よく見るとそれは『ぐっしょり水を吸い込んだ防空頭巾を被り、モンペを履いた何十人という女』だったと...
さらに”それ”を目撃したのは一人ではなく泳いでいたほとんどが目撃したそうです(⊙_⊙')
エリート一家の落ちこぼれの孫に...『東大名誉教授惨殺事件』
東京都新宿区南榎町にある小さな公園でかつて凄惨な殺○が行われた...
約40年前、この公園には日本の英文学研究の基礎を築き、功績は夏目漱石をも凌ぐ斎藤勇の住宅があったのです。
1982年7月4日13時20分、書斎にいた斎藤勇(当時95歳)に孫の透(当時27歳)が襲いかかり、透は金属の置き時計で勇の頭と顔を40回以上叩きつけた後、柳葉包丁を眉間に9cmの深さまで突き刺○た。
屋内には『うぉーっ』という断末魔が響き、通報を受けた警察が駆け込んだ時には勇はすでに絶命していました。
透は1階の家政婦の部屋の押入に隠れていたところを発見され、その際に、根岸警部補に飛びかかり顔面をチーズ用のナイフで切りつけた。
これにより、根岸警部補は死亡。その他の家に居合わせた透の母や家政婦も負傷しています。
東大名誉教授であり文化功労者であった斎藤勇の惨死は学会に衝撃を与えました。
祖父・父・伯父が東大卒で東大教授という名門で育った透は自分1人だけ慶應出身で留学も上手くいかず、そうした挫折によって精神を病んだと言われていますがこれを否定する声もあるようです。
自称祈祷師による撲殺事件!『福島悪魔祓い殺人事件』
1995年7月5日、福島県須賀川市小作田で悪魔祓いによる殺人事件が発覚。
遺体が発見された家は祈祷師の江藤幸子が暮らしており、遺体の数は6体で犠牲者たちは彼女にお祓いを受けるためこの家で生活していた信者たちだった...
この家には10人以上の信者が暮らしていましたが悪魔祓いをするとして、太鼓のバチなどで叩き6人を殺○。
その中には一家で移り住んだ者もいて、夫が妻の殺○に加担したり、子供たちが死んだ両親の傍で暮らすなど異様な状況下で事件は起きたのです(⊙_⊙')
祈祷師になる前の江藤は平凡な主婦で彼女は県内の高校を卒業後、化粧品の販売員となり、その後高校の同級生だった男性と結婚。
事件を起こす11年前の1984年に事件現場となった家を建てた。
マイホームを手に入れ、生活は安泰のように見えましたが彼女は夫のギャンブル癖に悩んでおり、夫が転職すると家のローンの支払いにも困るようになります。
江藤は人に相談できない悩みを拝み屋に話し、心が満たされたことで宗教に傾倒するようになり、いつの間にか化粧品のセールスレディーも辞めて、自身が祈祷師となったのです。
2001年11月16日、福島地裁の論告求刑にて福島地方検察庁は江藤に死刑を求刑、2012年に死刑が執行されました。キャトル・ミューティレーションか!?『青森県雌牛怪死事件』
キャトル・ミューティレーションは70年代に全米各地で発生している牛を中心とした家畜の怪死事件でこれまで2万頭が死亡したといわれています(⊙_⊙')
牛の場合は犠牲になるのは雌が圧倒的に多く、下腹部を円形に切り取られることにより失血死するんですが、不思議なことに周辺には血液が全くないんです。
このようなキャトル・ミューティレーションは宇宙人の生体実験説・米軍による秘密実験説などがありますが、1989年(昭和64年)に日本でも同様の事件が起きています。
事件が起きたのは青森県三戸郡田子町で最初の報道があったのは同年11月9日。
読売新聞青森版にて『ベコの町 田子の怪〜牛の”変死”相次ぎ2件』という見出し。
事件は報道の約2ヶ月前の8月31日、同町遠瀬の農業を営むKさん(当時64歳)は早朝、放牧場の和平牧場で死んでいる牛を発見。
同牧場では120頭の牛を放牧していましたがKさん所有の牛だけが死んでおり、黒毛和種の4歳メス、体長2.5m、体重400kgで牛は乳○付近を丸く切り取られ、左耳と舌も半分切り取られていました。
(血痕も見当たらなかった)
現場に 畜産協同組合の職員と獣医が駆けつけ、獣医は『急性乳○炎』と診断しましたがなぜか!?解剖もされずにすぐに埋められてしまったのです。
事件の前後にUFOの目撃情報が多発していた!?
和平牧場事件から約1ヶ月後の10月にも同町の小国牧場でも牛が変死し、やはりメスの1頭が乳○と耳を切り取られていました。
この2つの事件の前後に青森県ではUFOの目撃事件が多発していて、事件当夜に和平牧場の方に飛ぶ不思議な飛行物体を目撃した人もいるようなので本当に宇宙人が生体実験のためにキャトル・ミューティレーションを行なっているのかも知れませんね👀
大阪の泉南市で起きた不可思議な『一家5人餓死事件』
大阪府泉南市の静かな住宅街で異様な生活をしている一家がありました(⊙_⊙')
近所付き合いは一切なく、どうやって生計を立てているのか一家の生活ぶりについて近所の人たちはほとんど何も知らなかったようです。
ただ時折、”唸り声"や大音量で音楽が聞こえていた...
たまに顔を合わせると家主は『庭から天然ガスが出る』『神様が降りて私は教祖になった』と話すため、近所ではキ◯ガイ屋敷と噂されていたのです。
そんなヤバい家はある日を境にパタリと音がしなくなった。
近所の人が不審に感じて警察に通報すると、以前から一家の行動をマークしていた泉南署員が10人やってきて『玄関を開けなさい!』と怒号が飛び交う。
しかし、家の中から死臭がしたため、一気に踏み込むと警察は異様な光景を目の当たりにすることに。
警察が見た異様な光景!家族は...
水を張った直径4mの巨大な穴、 その周りを囲むように掘られた3つの穴、生ニンニクを刺した竹串の柱、庭に張り巡らされた洗濯ヒモ。
さらに家の周囲には点々と塩が盛られていて、どうやら塩で結界を作り、一般社会と敷地内を区別していたようなのです(⊙_⊙')
屋敷に上がると、居間に敷かれた布団の上で家族5人が亡くなっていた...
家の中には生存者が2名いましたが塩しか食べていなかったのでかなり衰弱していたんです。
なんでも宗教上の理由で働くことを止め、ひたすら祈るだけの生活を送っていたようで、家には塩しかなく亡くなった家族の死因は衰弱死でした😱
また生き残っていた2人は、死んだ家族が生き返ることを信じて祈祷を続け、天から大金や食べ物が降ってくることを祈り続けていたようです。
一家4人と愛犬1匹が謎の失踪!?『広島一家失踪事件』
2001年6月4日、 広島県世羅町で同町に住む山上政弘さん一家4人が飼っていた愛犬1匹と共に行方不明に。
一家が 失踪した当時、玄関の鍵は施錠されており、侵入や争った形跡、血液反応などはありませんでした(⊙_⊙')
車はなくなっていたのですが、免許証や翌日からの中国旅行で準備していた旅行バックも家に置いたままで台所と廊下の電気は点けっぱなし、翌日の朝食は手付かずで虫除けネットをかけた状態で準備されていたのです。
借金や人間関係でのトラブルもなく、失踪する理由が見当たらなかったことが余計にこの事件を不可思議で不気味な事件にさせたといえます。
事件の真相!無理心中だった』
しかし事件から1年後の2002年9月、京丸ダムの湖底から山上さんの車が発見され、中から一家4人の遺体と犬1匹の死体が見つかりました。
京丸ダムの入り口には車止めがあり誤って進入することはなく、転落する危険もないことから交通事故の可能性は低く、運転席に山上さんが座っていたこと、遺体に外傷がないこと、全員シートベルトをしたままだったことから脱出の意志はなかったとして、警察は無理心中と判断しました(⊙_⊙')
しかし地元民の中には『神隠し』だと考える人もいて、本当に覚悟の無理心中だったのか?
今なお謎とされている事件の1つです。