
今回は最近書いた【トラウマ確定】世界のヤバいスポット大全集!の日本版をやろうと思いましてw
日本各地に存在する激ヤバな場所を10ヶ所ほど紹介していきます🔥
また、それぞれの場所で過去に起きた悲劇や事件などについても紹介していくので最後までぜひ見てくださいな!
それでは始めましょう...
Contents
日本史上最悪の獣害事件!『三家別ヒグマ事件復元現場』

画像:wikipedia
1915年(大正4年)12月に体長2.7m、体重380kgの巨大なヒグマが北海道苫前村(とままえむら)三家別六線沢(さんけべつろくせんさわ)の民家を襲撃、村人7人を殺○、3人が重傷を負う...
この事件は三家別羆事件と呼ばれ日本史上最悪の獣害事件とされています(⊙_⊙')
(被害者の1人の斉藤タケという主婦はお腹の中に胎児がいた状態で胎児もろともヒグマに食○られてしまった)
ヒグマは事件発生から5日後に、山本兵吉というマタギによって射殺されましたが事件後、住民たちは恐怖で次々と引っ越してしまいこの場所は荒野となってしまう。

それから70年以上経った1990年の夏に街の活性化のために、同集落の住民たちによって当時の家屋、事件の詳細を記した看板、犠牲者の慰霊碑、住民に襲いかかるヒグマなどが再現されたのです。
(実際の現場からは数百メートルほど離れています)
開館期間は5月中旬〜10月下旬で入場料は無料。
ですが!!!
現在も近辺で野生の熊が出没するそうなので訪れる際はくれぐれも気をつけてください(Ò囗Óױ)
9人が自決した『九人の乙女の像』
九人の乙女の像(ウィキペディア)
一般的には第二次世界大戦は1945年8月15日に終了したとされていますが実は樺太(からふと)ではその後もソ連と日本の間で戦闘が続いていました。
樺太真岡の真岡郵便局電信局は日本が敗戦した後も業務を行なっていたのですが同年8月20日に南樺太からソ連が侵攻してきて、最後の時を迎えることに...
そして残留していた電話交換手の女性12人のうち9人が青酸カリなどで自決したのです。

画像:北海道ファンマガジン
彼女たちを英霊として顕彰するために、1963年に地元の樺太関係者と遺族によって北海道稚内市の稚内公園に『9人の乙女の像』が建設されました。
当初、碑文には”自決は軍の命令”であるように書かれていましたが、実際には軍命令ではなく生存者も居たことからその後、『死亡は殉職だった』と書き直されたのでした。
慰霊碑には、当時の 北海道知事の筆で『 皆さん これが最後です さようなら さようなら』という言葉と9人の名前が表面に記されていますが
実際の言葉は碑文と異なり『 交換台にも弾丸が飛んできました。 もうどうにもなりません。局長さん、皆さん...さようなら。 長くお世話になりました。おたっしゃで...。さようなら』だったそうです。
過去に2件の殺人事件が起きた『道了堂跡』
画像:wikipedia
道了堂跡(どうりょうどうあと)は東京都八王子市鑓水(やりみず)の現在の大塚山公園内にある絹の道に関係する文化財で1874年(明治7年)鑓水村の商人が中心となって、 峠を通る旅人や村内の安全のために村でも見晴らしの良い峠の上に、浅草花川戸から道了堂を勧請(かんじょう)し、創健されました(⊙_⊙')
地元の人々の信仰を集めて繁栄しましたが次第に荒廃し、1983年に堂は撤去され、現在は礎石の跡と石の灯籠がわずかに残るのみとなっています。
そしてこの場所では過去に2件の殺人事件が起きているのです(Ò囗Óױ)
1件目は1963年のことで道了堂の管理人の82歳の老婆が強盗目的で殺○された事件。
2件目は1973年、立教大の助教授が女子大生を殺○、遺体を道了堂付近に埋めた事件。(助教授と女子大生は不倫関係にあった)
これらの事件によって現地では『老婆のすすり泣く声が聞こえる』『女子大生の霊が出没する』などの噂が流れています。
また道了堂は稲川淳二氏の首無し地蔵の舞台になった場所でもあります。
不気味な人形が天井から吊るされている!?『キューピーの館』

画像:SATIAN/39 -頽廃放浪記-より
岡山市高松稲荷にある通称『キューピーの館』は日本三大稲荷の1つに数えられる岡山・最上稲荷から険しい道を登った先にあり、賽銭箱があることからもここがかつて神社であったことが分かります。
かつては参拝客も多かったのでしょうが、今ではボロボロに果てた廃屋となっています。
外から見るとただのボロ小屋にしか見えないですが内部がヤバいんです(Ò囗Óױ)

画像:SATIAN/39 -頽廃放浪記-より
なんと!!!
天井や壁に無数の赤ちゃん人形が吊るされているのです🥶
噂では、ここはもともと流産などで亡くなった水子の霊を慰める神社だったらしく、子供たちの供養のために人形が収められるようになったようです(⊙_⊙')
住民83人が集団自決した『チビチリガマ』
画像:読谷村観光協会公式サイトより
太平洋戦争で唯一の地上戦の舞台となった沖縄には現地の方言で『ガマ』と呼ばれる自然洞窟が数多く存在し、戦時には住民や日本兵の避難地や野戦病院として利用された場所なのです(⊙_⊙')
米軍が沖縄に無血上陸を果たしたのは1945年4月1日で場所は本島中部の読谷村(よみたんそん)の海岸で激しい攻撃にさらされた住民はチビチリガマに身を隠す。
悲劇は翌日の4月2日に起きた...。
ガマの中で1人の男性が布団や毛布などを山積みにして火をつけた。
この男性は中国戦線の経験があり、 日本軍が中国人を虐○したのと同様に、 今度は自分たちが米軍に殺○れると思い込み『決死』の覚悟だったようです。
当然、壕内は混乱し『自決』を決めた人々と活路を見出そうとする人で意見が分かれ争いが起きますが、結局83人が燃え広がる炎と充満した煙の中で『 天皇陛下万歳』と叫びながら自決したのです。
(この事実が明らかになったのは1983年のこと)
現在でもガマの中にはさび付いた包丁や鎌の刃などが当時のまま残されているようですが、 遺族会の許可がない限り内部に立ち入る事はできません。
小さな慰霊碑が1つあるだけ!?『オウム真理教サティアン跡』

画像:livedoor NEWSより
地下鉄サリン事件から23年後の2018年7月に麻原彰晃元教祖をはじめ、オウム真理教幹部13人が処刑された。
オウム真理教が山梨県上九一色村(かみくいっしきむら)一帯にサティアンと呼ばれる多数の信者を収容する施設を建設し始めたのは1989年のことで、 最盛期にはサティアン(第1〜12まであった)やその他の倉庫群、プレハブなどが30棟以上あり、これらはオウム犯罪の拠点となっていたのです(⊙_⊙')

画像;日刊ゲンダイより
1995年5月16日に麻原が逮捕されて以降、すべてのサティアンが閉鎖、取り壊され、上九一色村はイメージ回復のため1997年にテーマパーク『富士ガリバー王国』を開園しましたが経営難により2001年に10月に閉鎖に追い込まれました。
さらに3年後の 2004年8月には、愛犬家が犬と遊ぶための施設『ザ・ドッグラン』がオープンするも、翌年の2005年に営業停止。
今は上九一色村の地名自体も消滅し、他市町村と合併して富士河口湖町に名称変更されています(⊙_⊙')
現在、サティアンがあった約7000平方メートルの広大な土地には、富士ヶ嶺公園が整備されており、 公園西側には亡くなった信者を供養する高さ1メートルの慰霊碑が健立されていますが慰霊碑には事件に関連する文言は一切ないようです。
未解決事件!『世田谷一家殺○事件現場』

画像:読売新聞オンライン
2000年12月30日23時ごろから翌31日の深夜にかけて、 東京都世田谷区の戸建て住宅で会社員の宮澤みきおさん(当時44歳)、妻(当時41歳)、長女(当時8歳)、長男(当時6歳)の一家4人が殺○される事件が起きたのです。
20世紀最後の日に発覚した年の瀬の犯行だったことや、 犯人の指紋や結婚など個人を特定可能なもの、靴の跡のほか、数多くの遺留品を残している点、 子供もメッタ刺○にする残忍な犯行、 さらに殺○後に長時間現場に留まった可能性が高いこと、 パソコンを触ったりアイスクリームを食べたりするなど、 多くのことが明らかになっていながらいまだに犯人逮捕には至っていません(⊙_⊙')

画像:朝日新聞DIGITALより
世田谷区上祖師谷3丁目の被害者宅は現在も残されており、殺○が起きた家屋は取り壊しになるケースも珍しくありませんが被害者遺族の事件を風化させたくないという思いから、そのままの状態で保管されているようです。
地図から消されたことがある!?『大久野島』
大久野島(おおくのしま)は 広島県竹原市忠海町の沖合い3キロの 瀬戸内海に浮かぶ、周囲4.3キロの小さな島で島内には900羽ものウサギが放し飼いにされ、 多くの人々が観光に訪れています。
しかしこの島には暗い歴史があり、 第二次世界大戦敗戦までの約18年間、毒ガス兵器を製造する拠点として化学工場が置かれ、多くの人々が労働に就いていたのです(⊙_⊙')

画像:スリジャワルダナプラコッテ(仮)より
後に『毒ガス島』と称される大久野島で化学兵器が作られ始めたのは1927年(昭和2年)のこと。
島全体が陸軍の管理下に置かれ、地元の農民や漁民、学徒勤労動員ら6,500人が一定の養成期間を経て工場に送り込まれた。
当然、 毒ガス製造はトップシークレットで機密保持のため敗戦まで大久野島は地図から消されていたのです(Ò囗Óױ)
毒ガス島の存在を世間が知るのは戦後40年近く経った1984年のことで、それから4年後の1988年には大久野島に毒ガス資料館が開設され、現在約600点の関連資料が展示されています。
神隠し殺○事件の現場『旧フィットエル潮見918号室』

最上階の角部屋が加害者宅、2つ隣が被害者宅
2008年4月18日、当時23歳の会社員の女性が東京都江東区の自宅マンションから忽然と姿を消したのです(⊙_⊙')
自室の玄関に少量の血痕が残った状態であったことやマンションに設置された監視カメラの記録に被害者女性が建物から外出した形跡がないことから『神隠し事件』としてメディアで報じられた。
1ヶ月後、 被害者女性宅の2つ隣の部屋に住む当時33歳の男性派遣社員が容疑者として逮捕され、 男は被害者女性を『性○隷』にする目的で自室に誘拐・監禁。

画像:佐伯まおのブログより
このおぞましき犯行の舞台となったのが、京葉線潮見駅から徒歩5分にあるマンション『フィットエル潮見918号室』。
2007年築の大型マンションで事件当時は新築でしたが、3分の1が空室だったそうで事件後、マンションは名前を変えましたが、現在も同じ場所に立ち入居者を募集しているようです(⊙_⊙')
血に染まった城下の川『八王子城跡』
八王子跡は過去の合戦で大量○戮があったことから、関東でも有数の心霊スポットになっています(⊙_⊙')
1590年(天正18年) 豊臣秀吉が後北条氏を攻撃した小田原征伐の一環として、八王子城は軍勢15,000人に責められ、わずか1日で落城。
落城の間際に城主の北条氏照は兄・氏政と共に切腹、多くの婦女子が自らの喉を短刀で突き、その身を御主殿の滝に投じた。
結果、滝から流れる川は三日三晩赤く染まった...
その後、新領主となった徳川家康によって八王子城は廃城となり、悲劇の史実は江戸時代の書物で『晴れたときでも、落城の日は雲が立ち込めて、剣の音が響き、悲鳴が聞こえる』など怪異として記されています(Ò囗Óױ)
今も現地では、『身投げした女性の声が聞こえた』『生首が目撃された』などの噂が絶えないそうです...