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かつて日本各地で発生した【貰い子殺人事件】

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『貰い子』という言葉は最近では使われなくなりましたが、これは経済的な理由やその他事情があって育てられなくなった子供を養育費と共に貰い受けて代わりに育てることを指します(_')

また貰い子には2つのパターンがあり、1つは親から直接貰い子に出す『直接貰い子』で、これは、親が子供を直接貰い子にするというもので、最も一般的な貰い子の形態でした。

もう1つは孤児院や寺社などで貰い子をもらう『間接貰い子』で、これは、親が子供を直接貰い子にすることができない場合に、孤児院や寺社などで貰い子を探し、親に引き渡すというものです。

我が子の幸せを願った母親たちは泣く泣く、貰い子に出していたわけですが、かつて日本各地で『貰い子殺○』なる恐ろしく残酷な事件が発生していたのです...

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貰い子に出さなければいけない事情とは?

貰い子に出さなけれなならなくなった事情はさまざまでしたが

  • 不倫で身ごもった
  • 父親が誰かわからない
 
 

が主なケースでした(*´Д`*)

当時は中絶を含む堕胎が法律で認められておらず、また不倫は『姦通罪』に相当していた為、もし結婚している女性が夫以外の男性と行為に及び、夫自らが告訴した場合は

離婚&2年以下の懲役

に処せられたのです。


SHIN
『逆に夫が他の女性と不倫した場合には『姦通罪』は適用されず、これは当時の男尊女卑思想を強く表していると言える』
   

このような理由から女性たちは我が子を他人へと譲り渡していましたが、このシステムによって

貰い子殺○が起きてしまう...

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日本で最初に起きた『佐賀貰い子殺○事件

多くの母親は自分の子供を必死に育てたが...

日本の歴史上で最初の貰い子殺人が最初に表に出たのは1905年(明治38年)のことで、佐賀県に暮らす夫婦が貰い子を餓死させてしまいます。

しかし医師がこれを自然死として診断書を書いたため事件は発覚しなかった...

これで味をしめた夫婦は行商人の女に近隣各県から私生児を10円〜25円の養育費で引き取っては殺○し土に埋めますが、その中には生きたまま埋○られた赤ん坊もいたんです。

SHIN
『夫婦の供述によると被害者は60人以上...』
   

1909年6月11日、この残酷な犯行に対して夫婦は死刑、行商人の女には懲役12年が言い渡され、1913年に死刑が執行されました。

300人以上の子供を殺○【愛知貰い子殺○事件】

この事件は主犯のしげ、共犯の沖つた、猪飼なかの3人の女性によって起こされた事件で、主犯のしげは1989年から貰い子殺○を始めます(⊙_⊙')

(養育費は1人につき40円〜50円ほどで、これは現在の価値に換算すると80万〜100万円に相当する)

しげは2〜3人殺○すると、すぐに引越し、新地に移り住むと何も知らない未亡人から再び子供を貰い受ける行為を繰り返し、1913年(大正13年)5月には既に

200人殺○

しており、まさに悪魔の所業と言えるでしょう。

やがて不倫相手を連れ込む隠れ家で殺○をしていた”つた・なか”の2人も加わり、3人はさらなる犯行に及びます(*´Д`*)

彼女たちの犯行に気づいた産みの親もいたようですが、我が子を貰い子に出した後ろめたさから、警察へ訴える者はなかなか現れませんでした。

が!!!

しげに子供を40円で預けていた芸者は我が子の顔を見るために何度もしげの元を訪れるも、断り続けられたため、これを不審に思い警察に通報。

これによって3人は逮捕され、1914年、全員に死刑が言い渡され、翌年に刑が執行されています。

3人は300人以上の子供を殺○しましたが、

3人は300人以上の子供を殺○

その後も日本各地で貰い子殺人はあとを絶たなかったのです..

岩の坂もらい子殺し事件

これは1930年に発覚した事件で東京の板橋にあった岩の坂地区で貰い子が1年で41人が殺○された疑惑が発覚します(⊙_⊙')

この地区の長屋の住民には、古くから上流階級などの不義の新生児などを貰い、子○しをしていた者がいたとみられ、容姿の優れた女児と体力のある男児は育て、それ以外は炭鉱夫や遊女として売ることもあったようです。

また短期間で不審死する新生児も多かったにも関わらず、犯罪として実証された事例はほとんどなかったのです...




目黒貰い子殺人事件

1932〜1933年にかけて東京・目黒在住の33歳の男が

『子供やりたし』

の広告を見て、その広告主の産婆もとへ行き、何十円かの養育費を受け取ったうえで殺○

結局、この男は5年間で

25人を殺○

していましたが、その多くは主人が女中に産ませた子供や、働くために子供を手放した職業・人の子供で、遺○は現在の西郷山公園に遺棄したとされています。

男は1933年に逮捕され、1934年に死刑になりました。

寿産院事件

主犯・石川ミユキ

1943年から石川夫妻は未婚の男女の間に生まれ、始末に困る私生児を預かって寿産院で養育し、子供を欲しがる者に斡旋する特殊産院の事業を始めます。

が、実際は食べ物やミルクをほとんど与えないなど世話をせず、さらに病気になっても治療せずに放置し、1947年1月からの1年間で預かった112人のうち、85人を死○させました_:(´ཀ`」 ∠):

預かり料は1人あたり最高8400円で、1947年だけで90万近く荒稼ぎしていましたが、院長の石川ミユキと、その夫、助手の女はあえなく逮捕され殺○罪で起訴されます。

1948年10月11日、東京地裁は主犯の石川ミユキにに懲役8年、夫に懲役4年、助手の女には無罪を言い渡しています_φ( ̄ー ̄ )

その他の貰い子殺○事件
  • 深川貰い子殺○事件(1913年発覚)・・・東京都深川区で養育費目当てに貰い子を受け、15人を殺○した女が逮捕された
  • 横浜貰い子殺○事件(1916年発覚)・・・神奈川県横浜市でで3年間で13人の賞い子を殺した夫・が逮捕された
  • 元金杉貰い子殺○事件(1917年発覚)・・・東京都日暮里町で11人の貰い子を殺した男女が逮捕された
 
 
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日露戦争も貰い子殺○発生の一因に

当時は貰われた先で殺○れるリスクが非常に高かった...

1904年2月に勃発した日露戦争に100万人以上が動員され、戦死者・病死者は11万人に上り、これは日清戦争の犠牲者の10倍以上となっています(⊙_⊙')

また夫が戦地に駆り出されたことで、未亡人となった女性はひとりで子供を育てることが困難になり、貰い子に出すことを選ばざるを得なかった...

そのため、日露戦争が日本各地で貰い子殺○が多発した一因になっていると言えます。

現在では養育費を出して貰い子を出すということは少なくなり、また助産師制度が国家資格化され医療と一体化されたこと、新生児死亡率が極度に下がり不審死と自然死が厳密に判定できるようになったことから、貰い子殺○はほとんど発生しなくなりました。

が、実の親が我が子を殺○する事件は枚挙に暇がなく、今後も増加することが推測できるため何ともやり切れない気持ちになってしまいますね_φ( ̄ー ̄ )

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