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【イスラエルとパレスチナの黒歴史】ハマスはこうして生まれた...

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2023年10月7日、パレスチナを支配するハマスがイスラエルで行われていた音楽祭にロケット弾攻撃を行ったことをきっかけに現在イスラエルと戦争状態に突入し、双方に甚大な被害が出ています。

この報道に対して『ハマスが悪いよね』『ハマスを支持するパレスチナは悪だ』といった意見がSNSでは多く見られます。

(イスラエル=正義、パレスチナ=悪であると...)

しかし、イスラエルとパレスチナの歴史を知らずして、簡単にどちらが正しいなど言い切れないんです(⊙_⊙')

そこでこの記事では『イスラエルとパレスチナの黒歴史』と題して、どのような経緯でイスラエルが建国され、なぜハマスは生まれイスラエルと歪み合うことになったのか?

について紹介していきたいと思います。

しか〜し『中東の歴史って難しいよね🥺』

と思うかもですが、超〜わかりやすく書くので大丈夫です(ΦωΦ)フフフ・・

(イスラエルとパレスチナの歴史は古いため、今回は現在の戦争状態につながる19世紀頃からの歴史にフォーカスします)

この記事を読み終えた頃には今の考えが大きく変わるかも!?なのでぜひ最後までご覧ください_φ( ̄ー ̄ )

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シオニズムとパレスチナ問題の発端

19世紀末頃、ヨーロッパのユダヤ人たちが自分たちの国を創るためにパレスチナへと移り始めますが、このようなユダヤ人がイスラエルに国を創ろうという運動のことをシオニズムと呼びます。

このシオニズムは当然、そこで暮らしていたパレスチナ人との間に摩擦を生み、実際に紛争が始まり、これが現在に続くパレスチナ問題の発端となっているんです(⊙_⊙')

なぜユダヤ人はパレスチナにやってきたのか?

 

M. Gottlieb画、シナゴーグで祈るユダヤ人

ユダヤ人がパレスチナに移住を考えた最大の理由は

ユダヤ人の迫害

なんです(⊙_⊙')

ナチスドイツがユダヤ人をアウシュビッツなどの各収容所で大○殺を行ったのはあまりにも有名ですが、実はこの時期、ドイツだけではなくヨーロッパ各地で民族主義が広まったことでユダヤ人の迫害が引き起こされたのです。

民族主義
  1. 人類は民族という単位に分類できる
  2. それぞれの民族は国家を持つべきである
  3. 属する民族の発展のために貢献すべきである
 
 

この考えに傾倒した人たちは民族に属する個人の最高の生き方として

  • 民族の国家のために尽くす
  • 民族が国家を持ってない場合は、その建設のために尽力する
 
 

そして国家のためなら命を捧げることも厭わないという考えに至ったわけです(*´Д`*)



ではなぜ『すでに人が住んでいるパレスチナの地にユダヤ人は国を創ろうと考えたのか?』ここが知りたいですよね?

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帝国主義によってユダヤ人の国家建設が始まる

1989年時の帝国主義列強勢力図

上述したように19世紀末は民族主義の時代でしたが、それと同時に帝国主義の時代でもあったんです(⊙_⊙')

帝国主義はインペリアリズムとも言われますが、1つの国家や民族が

帝国主義
  • 利益
  • 領土
  • 勢力
 
 

などの拡大を目的として他国や他民族を侵攻・支配する発想のことで、この帝国主義がパレスチナの人々を無視してユダヤ人のための国家建設が始まった理由の1つなのです。

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シオニストによって排除されたパレスチナ人

イスラエル中部にあるベイト・グブリのキブツ(共同農場)

シオニズムを推進する人々のことをシオニストと呼びますが、彼らはパレスチナの地主から土地を購入して農業を始めるんですが、その結果、土地を耕していたパレスチナの農民は土地を追われてしまうんです(*´Д`*)

この当時のヨーロッパでは農民を生業にしている人が多かったのに対して、ユダヤ人は

ユダヤ人の職業
  • 金融業
  • 芸術家
  • 医者
  • 弁護士
  • etc...
 
 

など、組織に属することなく己の商才や才能を活かした職業に就くことが多く、これがユダヤ人が差別された理由でもあります(⊙_⊙')

さらに当時、ユダヤ人はゲットーと呼ばれるユダヤ人住居地区に住むことを強いられており、ココ以外で生活することは認められていなかったので、本来であればほとんどが農民にはなれなかった...ハズでした。

しかし、パレスチナでは多くのユダヤ人が農民となり、自ら土地を耕し、ある種の夢を実現したのです。

またシオニストたちはパレスチナ人から購入した土地にキブツと呼ばれる共同農業を作りますが、そこでは私有財産は最低限しか保有しませんでした。

が、元々パレスチナ人の地主から雇われていたパレスチナ人の農民はシオニストから必要とされなかったことで排除されてしまったということです。

オスマン帝国の支配からイギリスに支配されるパレスチナ

オスマン帝国の最大図

実はユダヤ人(シオニスト)たちが『パレスチナに移り住みたい』といって勝手に集まったわけではなく、実はパレスチナを支配している巨大な国家が存在していたんです。

それが

オスマン帝国

で、現在のトルコ・イスタンブールに首都を置き、膨大な領地を支配しており、そのなかにパレスチナも含まれていました(⊙_⊙')

オスマン帝国に支配されていた当時のパレスチナには

  • イスラム教徒
  • キリスト教徒
  • ユダヤ教徒(少数)
 
 

が共存していましたが、この時点では争いは全くなかったんです。

しかし...

1914年の第一次世界大戦でイギリス、フランスなどからなる連合国と、ドイツ、オーストラリアなどの同盟国の戦争が始まり、オスマン帝国は同盟国側につくと、イギリスはオスマン帝国支配下にあったアラブ人に反乱するように呼びかけ揺さぶりをかけます。

そして戦争に勝った暁には

アラブ人独立国家を創る

と約束すると、

1915年〜1916年にかけてアラブの指導者”マクマホン”とイギリスの高等弁務官”ヘンリー・マクマホン”との間でアラブ人の独立国家を約束する手紙が交換されたフサイン・マクマホン書簡によってパレスチナの住居を認められる協定が結ばれたのです。

さらに1917年にイギリスはシオニストたちにも戦争に勝利したらパレスチナに国家を創ること許可すると約束。

つまりイギリスはアラブ人とシオニストに対して2枚舌外交を行ったということですが、結局、イギリスは勝利を収めオスマン帝国に取って代わってパレスチナを支配下に置くことになります_φ( ̄ー ̄ )

(フランスに対してはオスマン帝国におけるアラブ人地域を分割することを約束していたため正確には3枚舌外交)

パレスチナはイギリスの委任統治領に

 

イギリス統治領時代のパレスチナの旗

イギリスは第一次世界大戦後に発足した国際連盟から委任を受けて委任統治領としてパレスチナが独り立ちするまでの間、この地を統治することになりますが、これは20世紀に突入して植民地支配というのは流石に...

という空気によってためらいがあったためと言われていますが、イギリスはアラブ人とシオニストの約束を完全に破り、パレスチナを自らのモノにしたわけです(*´Д`*)

ナチスとヨーロッパのユダヤ人

アドルフ・ヒトラー

1933年にナチスがドイツで政権を取ったことで、ヨーロッパからユダヤ人を排除する圧力が強くなります(⊙_⊙')

ナチスは

ヒトラー
『ドイツ人は一番優秀な民族として神に創られたのだ』
   

と主張します。

しかしドイツ人は国内にユダヤ人を置くことを許し、それだけではなくユダヤ人と交わり

優秀の民族の血を汚してきた

ヒトラー
『神は我々にその罰として第一次世界大戦の敗北を与えられた』
   

という考えによってユダヤ人の排除が始まったのです(*´Д`*)

当然、ユダヤ人たちはドイツから逃げ出したかったのですが、他のヨーロッパの国々は国境を閉ざし、受け入れてくれなかったことから、彼らはパレスチナを目指し、流入に至ったわけです。

このような背景から多くのユダヤ人がパレスチナに流れ込みますが、パレスチナ人はこれに反発したことは言うまでもありません_φ( ̄ー ̄ )

シオニストVSイギリス軍!?

収容者の90%がユダヤ人とされるアウシュビッツ強制収容所

ナチスがヨーロッパ各地に建設した強制収容所では最終的に600万人のユダヤ人が虐○され、その実態が明るみになり世界にセンセーショナルに報じられると、ユダヤ人に対して同情的な国際世論が生まれ、また
第二次世界大戦後、ヨーロッパで生き残ったユダヤ人もパレスチナを目指します(⊙_⊙')

当時のパレスチナはドイツと戦うイギリスを推していましたが!?

第二次世界大戦で連合国側の勝利が濃厚になると、パレスチナのシオニストたちはイギリスを追い出して自分たちの国を建設しようと反イギリスに転じ、イギリス軍にゲリラ攻撃を仕掛けたのです。

イスラエルの建国宣言(独立宣言)

独立宣言が書かれた紙にサインするダヴィド・ベン=グリオン

シオニストの攻撃が激化するとイギリスはパレスチナを放棄することを決定し、国際連盟に戻そうとしますがその時すでに国際連盟は消滅していたんです(*´Д`*)

しかしそれに代わる国際連合(国連)が結成されていたため、イギリスはパレスチナ問題を引き渡すことに。

1947年、国連は『パレスチナを分割する』という提案をしますが具体的には↓

  • 海岸部分・・・ユダヤ人
  • 内陸部分・・・パレスチナ人
  • 3つの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)の聖地であるエルサレムを国際管理地域にする
 
 

という内容で、これは国連総会にて可決となります。

これをシオニスト側が受け入れ

1948年にイスラエルの建国を宣言

したわけですが、パレスチナ人やアラブ諸国はこれに猛反対します。

というのも『なぜ国際社会は勝手にパレスチナの半分をユダヤ人に与えるのだ?』と彼らにとっては到底受け入れられるものではなかったのです

イスラエルとパレスチナ人の支配地域の比較
画像:パレスチナの子供キャンペーンHP

イスラエルが建国される2年前の1946年では、まだシオニストの所有地域はわずかで許容範囲でしたが、1947年では国連は57%もの土地をシオニストに割り当てているんです(*´Д`*)

(当時、ユダヤ人の人口は65万人に対してパレスチナ人は100万人で人口の少ないユダヤ人に土地の半分を割り当てていることになる)

さらに1948年に起きた第一次中東戦争後には8割近くのエリアがユダヤ人に割り当てられ、パレスチナ人はガザ地区とヨルダン川西岸地区のみ_:(´ཀ`」 ∠):

ちなみに今、世界的に報じられているハマスが支配するガザ地区は元々はエジプト領、ヨルダン川西岸地区はヨルダン領でいずれもイスラエルが戦争によって奪い取った地域です。

つまりパレスチナ人はパレスチナですらないエリアに追いやられており、迫害されたユダヤ人によってパレスチナ人は迫害されていると言えるんです。

パレスチナ難民問題

住居を奪われ難民と化すパレスチナ人

イスラエルが建国されたことにより、さらなる問題が発生し、それは

パレスチナ難民問題

で、イスラエルは難民が故郷へ戻るのを阻止し、さらに難民が残した土地、家を没収し、移住してきたユダヤ人にそれらを与えたのです(⊙_⊙')

そしてイスラエルとその存在を認めない周辺のアラブ諸国は対立し、1956年に第二次中東戦争、1967年には第三次中東戦争が勃発します。

第三次中東戦争ではイスラエルが

  • エジプト
  • ヨルダン
  • シリア
 
 

に勝利し、エジプトからはガザとシナイ半島、ヨルダンからヨルダン川西岸地区、シリアからゴラン高原を奪い、これによってイスラエルはパレスチナの全てを支配下に置いたことになります。

(これらの地域は歴史的にパレスチナと考えられてきた外側の土地)

第2代議長、ヤセル・アラファト

ヤセル・アラファト(ヤーセル・アラファート)

パレスチナの人々はエジプトのナセル大統領が故郷を解放していくれると信じていたものの、1967年に勃発した第三次中東戦争でアラブ諸国がイスラエルに大敗したことでその望みが叶うことはないと察します(⊙_⊙')

そこでパレスチナ人は自らイスラエルと戦い故郷を奪い返すことを決意しますが、その動きの中で先頭に立っていた人物こそヤセル・アラファトで、彼はゲリラを組織したうえで、ヨルダンを拠点に出撃し、ヨルダン川西岸のイスラエル軍への攻撃を仕掛けたのです。

1968年にヨルダンのカラメ村に滞在していたアラファトのゲリラはイスラエル軍に侵攻されるも、反撃して撃退させたことによってアラブ諸国は歓喜。

これによってアラファトは英雄視され、1969年にパレスチナ解放機構(PLO)の第2代議長に就任します。

第4次中東戦争の勃発とキャンプ・デービッド合意

左からサーダート大統領(エジプト)、ジミー・カーター米大統領、イスラエルのペギン首相

1973年10月6日。

この日はイスラエルにおけるユダヤ暦で最も神聖な日『ヨム・キプール』でしたが!?

エジプトとシリアがイスラエルを奇襲攻撃して第四次中東戦争(ヨナ・キプール戦争・10月戦争とも)が勃発し、この戦争でサウジアラビアをはじめとしたアラブ諸国はイスラエルを支援するアメリカに対して石油輸出の禁止を含む措置(第一次石油危機)を発表します(*´Д`*)

エジプトはこの戦争後にイスラエルとの和平を選択し、1979年にはアメリカの仲介によってキャンプ・デービッド合意に達し、イスラエルはエジプトにシナイ半島を返還することになります。

(キャンプ・デービッド合意という名前は交渉の行われた地名に由来)

イスラエルによるレバノン侵攻

 

南レバノンに侵入したイスラエル軍(1982年)

合意によってエジプトとシリアからの脅威がなくなったイスラエルは1982年にレバノンに侵攻しますが、その目的はレバノンに根を張り活動するパレスチナ人ゲリラを全滅させるためでした(⊙_⊙')

すぐに南レバノンを制圧したイスラエル軍は首都のベイルートに迫り、その結果、指導者のアラファトとゲリラはイスラエル軍に完全包囲され、最終的にはチュニジアへと追放されます。

サブラ・シャティーラ虐○
引用:Pars Today

ゲリラが撤退したことで無防備となったパレスチナ人難民キャンプの1つ、サブラ・シャティーラキャンプにイスラエルと同盟関係にあったレバノンのキリスト教徒部隊が入り、そこで多くのパレスチナ人難民を虐○し、またイスラエル軍は現場近くにいたものの、これを止めるようなことはしなかった...


レバノン南部は主にシーア派(イスラム教)の人々が生活しており、彼らはイランの支援を受けてイスラエルに抵抗するために神の党を意味する『ヒズボラ』という組織を結成。

ヒズボラはイスラエルと勇敢に戦い、その結果、中東最強と言われるイスラエル軍に勝利し、撤退させることに成功したのです。

(ヒズボラは今回のハマスと協力し、イスラエルを攻撃したことで報道されていますが、歴史がわかると見え方がこれまでとは変わるハズです)

パレスチナ人の抵抗運動『インティファーダ』

第1次インティファーダ勃発にともないイスラエル軍は検問を開始する

1987年、イスラエルに対して不満を持つパレスチナ人たちは占領地の全域で大規模な抵抗運動を始め、これをインティファーダと呼びますが、人々はイスラエル軍に対して投石を行ったり、タイヤを燃やして交通妨害を行います(⊙_⊙')

イスラエル側はインティファーダを行うパレスチナ人を次々に逮捕していきますが、それでも投石が止むことはありませんでした。

インティファーダを終わらせた『オスロ合意』

 

ラビン元首相

次第にパレスチナ人との交渉を求める声が高まっていたイスラエルで1992年にイツハク・ラビンが首相に就任

(ラビンは1970年代にも首相を務めていた)

この時のラビン政権の外務大臣シモン・ペレスの側近はノルウェーで密かにアラファトの側近と接触・交渉を開始し、1993年にノルウェーの首都・オスロにちなんでオスロ合意に達します(⊙_⊙')

調印後に握手をするラビン首相とアラファト議長。中央は仲介役の元米大統領ビル・クリントン

オスロ合意はビル・クリントン大統領が、ラビン首相・アラファト議長の2人をホワイトハウスに招き、合意の調印が行われ、これにより1987年から続くインティファーダを終わらせたのです。

しかし...

『オスロ合意』後に再び起きたインティファーダ

 

引用:静岡新聞

オスロ合意の主な内容
  • イスラエルとPLOの相互承認
  • 1967年にイスラエルが占領した一部の地域でパレスチナ人による自治の開始
  • その他問題の交渉の先送り
 
 

このようなオスロ合意に基づいてアラファトはパレスチナに戻り、パレスチナ自治区の指導者となります(⊙_⊙')

議会の選挙も行われたのですが、アラファトの支持母体組織ファハタが議席の過半数を占める結果となったのです。

(この議会は正式にはパレスチナ立法評議会と呼ばれる)

しかしオスロ合意後、パレスチナ自治地域はわずかに拡大した程度で、依然としてイスラエルはヨルダン川西岸地区の土地を奪い続けていたんです。

(オスロ合意後にパレスチナ自治政府が獲得した地域はパレスチナ全体の5%程度)

その後もパレスチナ側は交渉を重ねますが、実りのあるものにはならず...

アリエル・シャロン

そのような状況が続くなか、2000年にイスラエルの政治家、アリエル・シャロンがエルサレムのイスラム教の聖地に護衛をつけて入ったことに対して、パレスチナ人が激怒し、占領地全域で抗議運動が再燃し、これは第二次インティファーダと呼ばれています((アルアクサ・インティファーダとも)

第二次インティファーダではパレスチナ人は投石だけでなく、銃を使い、自らの命を犠牲にした自爆攻撃を行いますが、この時期に首相就任したシャロンは軍事力によってパレスチナ人の人口密集地を破壊し、これによって多くの死傷者が出たことは言うまでもありません。

(指導者のアラファトはイスラエル軍に捕えられ幽閉状態になり、2004年にパリの病院で死亡)

イスラム組織『ハマス』の支持が拡大する!

武器を手にするハマスの軍事部門「カッサム旅団」の戦闘員(2017年)
引用:CNN.co.jp

占領地への入植政策を加速させたシャロンはその一環としてヨルダン川西岸に多くの検問所を設置します。

パレスチナ人が移動するにはこの検問所を通過する必要があるにも関わらず、イスラエル側は度々、検問所を閉鎖してパレスチナ人の生活を妨げる一方...

入植地ではイスラエルが建設した道路でユダヤ人たちが自由に行き来できるようになっているんです。

このようなシャロンの政策に不満を募らせたパレスチナ人が支持したのが

イスラム組織ハマス

で、どんどん拡大していった(支持が)のです。

ハマスという名前ははアラビア語で”イスラム抵抗運動”を意味する『 Ḥarakat al-Muqāwamat al-Islāmīyah』の頭文字を取ったもので、またハマスという言葉には『燃え上がる』という意味があります。

ハマスの起源となった『ムスリム同胞団』

 

ムスリム同胞団の創設者ハサン・アル=バンナー

ハマスには起源となる組織が存在し、それが

ムスリム同胞団

です(⊙_⊙')

ムスリム同胞団は1928年に西洋からの独立とイスラム文化の復興を目的としてハサン・アル=バンナーによって結成されますが、エジプトから各国へ組織を広げるなかでパレスチナ人にも支持する人が多かったのです。

イスラエルは当然、パレスチナ人にPLOの影響力が広がることは避けたい。

そこでこのムスリム同胞団をライバルとして育てたいと考え、それ故に占領地における彼らの活動を黙認していたわけです。

が!!!

1987年のインティファーダが発生すると

ムスリム同胞団はハマスとして活動開始

します。

ハマスは最終的に

『イスラエルを解体し、パレスチナ全域にイスラム国家を創る』

を掲げており、これがパレスチナの人々を惹きつけたことによって、2006年のパレスチナ立法評議会でハマスは過半数を得ます。

しかし、アメリカをはじめとした国際社会は

ハマス=テロリスト

とし、勝利を認めませんでした。

またヨルダン川西岸地区で権力を握っていたファタハと、この時期対立が深まっていたこともあり、ガザでハマスとファタハは正面衝突し、その結果、ハマスが勝利

それ以降、ガザ地区はハマス、ヨルダン川西岸地区はファハタが支配するという構図になったのです。

ハマスが勢力拡大できた理由は?

 

ハマスがイスラエル軍の戦車を確保した様子(2023年10月)
画像:BBC NEWS JAPAN

ハマスが勢力を拡大できた理由はいくつかあり、まずはオスロ合意で問題解決されずに、その後もイスラエルにパレスチナ土地を奪われ続けた際に、和平を推していたファハタに人気が駄々下がりになったこと。

2つ目はアラファト議長が亡くなったことで、パレスチナの人々からファハタへの関心が薄れたこと。

そして3つ目はハマスの社会活動で、彼らはパレスチナの地で教育や福祉に力を入れており、この活動がガザ地区におけるハマスの支持を強くしている一因となっています。

2008年に起きたガザ紛争

イスラエルの空爆により煙を上げるガザ市内

イスラエルはガザの出入り口を完全封鎖し、エジプトもこれに協力したことで、ガザは孤立状態に陥ります(⊙_⊙')

ガザに住むパレスチナ人はエジプト側のトンネルを掘って、物資を持ち込んでいるものの、その量は限られており、またイスラエルはハマスの指導者も暗殺したことから、ガザの人々は手製のロケット弾で反撃に打って出ます。

そして2008年12月26日、ついにイスラエルが全面的な攻撃を開始し、ガザ全域に激しい空爆を行った後にイスラエル陸上部隊がガザに侵攻した結果、罪のないガザの人々1,300人の命が奪われたのです。

最後に

 

このようにイスラエルとパレスチナの歴史を見ていくと、イスラエルが完全なる正義とは言い難いことが理解できると思います。

ハマスが残忍な方法でイスラエルの人々を殺○している様子はまさに悪魔で人間の所業ではありません。

が、歴史を振り返れば彼らは被害者でもあるため、一概に悪と括りつけるのも難しいと思います。

例えばですが、中国人が今以上に増えて、元々住んでいた日本人が名前も知らないような離島に押し込められて、本土は中国人が占領し自由に暮らしているとしたら、彼らに対して憎しみが湧かないわけはないでしょう。

それと同じようにパレスチナの人たちがイスラエルに対して憎しみを持つことは至極自然なことと言えます。

また、ユダヤ人がパレスチナの地にイスラエルを建国した最大の理由は旧約聖書に書かれている約束の地=パレスチナのため、イスラエルを建国したという背景があり、ここも含めると、複雑になり過ぎるのでこの記事では取り扱いませんでした(*´Д`*)

今後イスラエルとパレスチナの戦闘はさらに激化し、双方の被害者も増えることが予想されますが、これが他の国々にも波及して最悪、第三次世界大戦の勃発にもなりかねないので、他人事と思うことなく、しっかり世界情勢を追っていく必要もあるでしょう。

最後に、今回の記事を書くにあたって参考にした書籍『なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル』イスラエルとパレスチナの歴史が非常にわかりやすく書かれているので、もっと知りたいという方はぜひ、読んでみてください〆(・∀・@)

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