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【ウラル核惨事】ソ連で30年間隠蔽された原子力事故がヤバい!

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冷戦時代、アメリカと覇権を争ったソ連は科学分野において最先進国でしたが、その背景には多大な犠牲があり、それがチェルノブイリ事故の30年前に起きた

『ウラル核惨事』

なのです...

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事故の舞台となったマヤーク核技術施設

マヤーク核技術施設の囲い

『マヤーク』はロシア語で灯台のことで、灯台は社会主義時代に好まれて使われたモチーフであったことから事故の舞台となった『マヤーク核技術施設』も、その当時のトレンドが取り入れられた形で命名されました(⊙_⊙')

マヤーク核技術施設と周辺の衛星写真

またマヤーク核技術施設の場所はウラル地方のチェリャビンスク65番地ですが、その存在は都市ごとに軍事機密にされていたのです。

1984年、ソ連の核開発が本格化するとこの地に原子炉が作られ、ここでは

  • 核兵器用のプルトニウム
  • 原子力潜水艦
  • 発電所で用いる核燃料

などが製造されていました。

(施設は数度にわたり拡張され、最盛期には10基の原子炉が稼働していた)

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放射能の危険性を軽視していたソ連

放射能汚染された土地であることを知らせる警告表示の後ろには牛がいる...

この当時はどの国でも原子力研究は手探りで進められており、日本やナチス・ドイツは原子力を実用化できずに研究を終えていますが一方で、世界初となる原爆実験を成功させたアメリカのマンハッタン計画では事故で複数の科学者を失っています(*´Д`*)

(放射能の存在自体は知られていたものの、当初は原子力を安全に扱う工程が存在しなかった)

そしてアメリカ以上に放射能の危険性を軽視していたのがソ連だったんです。

核開発の中心地マヤークからは放射性物質が排出され、汚染は施設外にも広っていき、さらに廃液は地元の川に流され、汚染が進んだ『カラチャイ湖』の周辺住民は重篤な健康被害が生じています_:(´ཀ`」 ∠):

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マヤーク核技術施設の事故(キシュテム事故)

防護服を着たソ連軍関係者が事故の後始末をする様子

最初の事故は1957年9月29日で、放射性廃棄物の貯蔵庫で冷却装置が故障したことでタンク内の温度が急上昇、火花が引火して大爆発が起きたんです(⊙_⊙')

(爆発の規模はTNT火薬の量に換算して70トン相当だったとされ、これはチェルノブイリ事故に先駆ける重大事故だった)

爆発の結果、239Puを含む多数の核種を大気中に放出し、周辺住民に大きな被害を生じさせたのです。

ソ連当局は影響圏内の住民に対して非難を呼びかけていますが、核施設の事故だとは報じられませんでした(*´Д`*)

(施設や秘密都市の存在自体が最高機密で、この事故をソ連は西側諸国に知られるわけにはいかなかったため)

グローブボックス

実はこの事故の約半年前の1957年4月21日にグローブボックスに入れてあった容器にウラン溶液が多く集まり過ぎたことで、容器が破裂し、溶液の一部がグローブボックスに流れ、女性作業員が放射能(30〜40グレイ)を浴びて12日後に死亡。

さらに5人が1グレイの放射能を浴びたことで放射線病となり、後に、この事象はINES (国際原子力事象評価尺度)で事故と評価されています_φ( ̄ー ̄ )



濃厚ウランの容器内での臨界事故

キシュテム事故の犠牲者の記念碑

1958年1月2日に起きた事故で臨界実験後、ウラン溶液を安全な容器に移し替える作業が必要でしたが、時間を節約するために実験者たちは標準手続きを省略し、これは残った溶液が臨界点からほど遠い考えたためでした(⊙_⊙')

しかし、入れ替えの際に形が変化し、人の存在によって中性子が反射されることで、溶液は急速に臨界状態に達してしまいました。

その結果、溶液は爆発し、3人の作業者が60グレイの放射線を浴びてしまい、その後4、5日後に亡くなってしまいました。

一方、3メートル離れた場所にいた一人の女性も6グレイの被曝を受け、急性放射性病からは生き延びたものの重い後遺症に悩まされています。

プルトニウム溶液の容器の臨界事故&その他の事故

プルトニウム

プルトニウム溶液を20リットル容器から60リットル容器へ移そうとして、60リットル容器の中の溶液が臨界に近くなった。その結果発した光と熱のせいで、20リットル容器を持っていた作業者がそれを落とし、中に残っていたプルトニウム溶液が床に流れた。建物からはすぐに避難させられ、放射線防護担当者はその領域への立ち入りを禁止した。しかし作業担当長がその建物に入ることを強く願い、放射線防御担当者と一緒に事故がおきた部屋の前へ行った。危険に高いガンマ線の値が見られたのにもかかわらず、作業担当長は中へ入り、防御担当者がすぐに外へ出した。たぶん作業担当長はプルトニウム溶液の一部を下水タンクへ入れようとしたらしいが、それも新たな臨界を招くだけであった。 交替作業員長は24グレイを被曝したとみられ、一ヶ月後に亡くなった。作業員は約7グレイの被曝で重い放射線病となった。彼の両足と片手は切断されねばならなくなった。 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=マヤーク核技術施設&action=edit&section=14
 
その他の事故一覧
  • 1994年8月31日・・・燃料棒の火災
  • 2007年6月26日〜28日・・・パイプラインの漏れ
  • 2007年10月25日・・・放射性廃棄物の垂れ流し
  • 2008年10月22日・・・漏れのため3人が負傷
 
 

現在のマヤーク核技術施設周辺は世界で最も汚染されている!?

核の廃液を垂れ流されてことで世界最悪の環境となったカラチャイ湖
画像:いい部屋ラボ

チェルノブイリ原発事故の後にゴルバチョフ書記長(当時)が情報公開を掲げたことで30年前のウラル惨事の全貌が明らかになりました(⊙_⊙')

現在のマヤーク核技術施設周辺は世界で最も汚染された地域として知られており、その中でも特に危険なのが前述した核の廃液が垂れ流されたカラチャイ湖なんです。

汚染の総量は1億2000万キュリーに及ぶとされ、現場で作業した労働者の間でガンが多発しているとのことです_:(´ཀ`」 ∠):

ちなみにですが広島に落とされた原子爆弾(リトルボーイ)の爆発によって放出された放射能の総量が約15,000キュリー、長崎に落とされたファットマンで約5,000キュリーであることから、カラチャイ湖がいかに放射能汚染されていたかを窺い知れるでしょう。

SHIN
『最も汚染がひどかった時期は1時間で死に至るほどの放射能が湖を覆っていたというデータもあるみたいよ_:(´ཀ`」 ∠):』
   

カラチャイ湖で見つかった奇形の魚

ソ連崩壊後にカラチャイ湖の埋め立て工事が始まった

そんな死の湖として恐れられたカラチャイ湖は、ソ連崩壊後に埋め立てが決定され、工事は2015年に完了しているため、現在はカラチャイ湖はもう存在しません。

しかし、地下水の汚染に関してはデータがなく、今後も監視を継続していくとのことです_φ( ̄ー ̄ )

   
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