あるシリアルキラーがこの世を去る前に『俺たちが映画を真似しているんじゃない。映画が俺たちの真似をしてるのさ』
と残していますが、実際に凶悪犯罪を基にした映画は数多く存在します(*´Д`*)
そこで今回は映画の題材、モデルになった凶悪・重大事件を5つ紹介していきますよ〜!
また映画では描かれなかった事件の真実などもあわせて紹介していくのでぜひ、楽しんでいってくださいな(ΦωΦ)フフフ・・
(モザイクはかけてますが、かなり衝撃的な画像があるので注意⚠️)
Contents
『タクシードライバー』の主人公のモデルになったアーサー・ブレマー
ベトナム帰還兵のトラビス(演:ロバート・デニーロ)は不眠症と孤独を抱えながら、ニューヨーク・マンハッタンでタクシー運転手として働いていた。
彼はある女性に一目惚れしてしまうも嫌われてしまう。
それを機に、世の中の浄化作戦に打って出たトラビスは銃を購入して次期大統領候補の暗◯に試み、ジョディ・フォスター演じる娼○アイリスを助けるために、彼女のヒモや売○の元締めを次々に殺○。
メディアは1人の少女を裏社会から救った英雄としてトラビスを英雄として祭り上げる...
というストーリーで1976年に公開された映画『タクシードライバー』では、1人のタクシー運転手の目を通してニューヨークの闇をあぶり出した作品で、ロバート・デニーロと監督マーティン・スコセッシの名を世に知らしめた傑作です(ΦωΦ)フフフ・・
そしてタクシードライバーの脚本家ポール・シュレイダーが実際にモデルとした事件があり、それは1972年に起きたアメリカ大統領候補ジョージ・ウォレス狙○事件。
その犯人の名はアーサー・ブレマー(当時22歳)で、この男こそがトラビスのモデルなのです_φ( ̄ー ̄ )
彼女とのデート先でポ◯ノ映画館を選んだ!?
ブレマーは1950年にウィスコンシン州ミルウォーキーの労働階級の家庭に生まれますが、両親の仲が悪く、家の中はいつも不穏な空気が流れていたことで、内向的な性格になり、高校では彼女はおろか、友人も1人もできなかったようです(⊙_⊙')
そして21歳の時に家を出てアルバイトを転々とした後、高校の用務員として採用され、ここで出会った15歳の女子生徒と交際するように。
生まれて初めて彼女ができたブレマーでしたが、彼は異性との付き合い方を知らず、事もあろうに初めてのデート先にポ○ノ映画館を選んでしまい彼女を激怒させてしまいますw
(このエピソードは『タクシードライバー』の中でも描かれています)
しかし、ブレマーは彼女がなぜ激怒したのかが分からず、その後も彼女をつけまわし、警察沙汰にまで発展しています。
アーサー・ブレマーの『暗◯日記』
やがてブレマーは自分の人生が上手くいかないのは、政治家の責任と思うようになり、そして1968年にロバート・ケネディ大統領を暗◯したサーハン・ベシャラ・サーハンに憧れ、仕事を辞め、劇中のトラビスのように頭髪を剃り、38口径のリ○ルバーを購入し、日記を書き始めるんです(*´Д`*)
この日記は『暗○日記』と言われるものでポール・シュレイダーが『タクシードライバー』の脚本を執筆するために参考にしたものです。
そして1972年3月に、ブレマーは
と書き記しているように、当初のターゲットはニクソン大統領だったんです。
ターゲットは有名政治家なら誰でも良かった!?
1970年4月13日、ブレマーはビジネススーツとサングラスを身につけ、ポケットにリボルバーを忍ばせてミルウォーキーから、ニクソンが訪問していたカナダ・オワタに出向きます。
そして計画ではニクソンが人前に現れたところを射◯する予定でしたが、セキュリティが想像以上に厳しく、接近することが出来なかったため、計画を断念。
ミルウォーキーに戻ったブレマーは今度は民主党の大統領候補ジョージ・マクガヴァンにターゲットを変更しますが、最終的にジョージ・ウォレスをターゲットにしたのです(*´Д`*)
(ウォレスの警備の方が甘そうという理由でw)
結局、ブレマーは有名な政治家を殺○て自分が有名になることができたら、ターゲットは誰でも良かったわけです。
ブレマーに銃撃されたウォレスは...
しかしブレマーの計画は周到で、同年5月9日にミシガン州シルバーレイクにあるウォレスの選挙キャンペーン本部を訪れて、大統領選挙対策本部の女性スタッフに近づくためボランティアを申し出ています(⊙_⊙')
そして、運命の5月15日。
メリーランド州ローレルのショッピングセンターに遊説で訪れたウォレスは、スピーチを16時頃終えた後、支持者たちと握手を交わす...
その瞬間をブレマーは見逃さず、ウォレスの腹部と胸部に5発の銃○を撃○込んだのです( ;´Д`)
すぐにシークレットサービスによってブレマーは取り押さえられて逮捕され、一方のウォレスは命は助かったものの、撃○れたことで下半身不随となり、車椅子での生活を余儀なくされています。
アーサー・ブレマーの裁判と仮釈放
ブレマーの裁判は7月31日に始まりますが、彼は法廷で
一方で自分が
- 統合失調症
- 被害妄想
を患っていると主張し、減刑を求めましたが、懲役63年の判決が下されます。
(その後の控訴審で判決は53年に短縮された)
判決の際にブレマーは
と口にしたそうです(⊙_⊙')
そしてブレマーは獄中で34年を過ごした後、2007年11月に57歳で仮釈放となり、現在は保護観察中の身です。
また被害者であるジョージ・ウォレスは1995年に、獄中のブレマーに対し『罪を許す』という手紙を送りましたが返事はなかったそうです_φ( ̄ー ̄ )
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』であえて描かれなかった殺◯事件とは!?
クエンティン・タランティーノ監督作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は1969年のハリウッドを舞台に、落ち目の俳優リック・ダルトン(演:レオナルド・ディカプリオ)と、彼のスタントマンを務めるクリフ・ブース(演:ブラッド・ピット)の友情と、同時期に現れた女優シャロン・テート(演:マーゴット・ロビー)の運命を描いたサスペンスです(⊙_⊙')
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは『昔、昔ハリウッドで』という意味で、この作品内ではシャロン・テートは殺○れません。
が!!!
実際のシャロン・テートは悪名高いマンソン・ファミリー(チャールズ・マンソンの信奉者)によって惨○されているんです...
幸せの絶頂にいたシャロン・テートだったが...
シャロン・テートは1943年に米テキサス州ダラスで生まれ、1961年に映画『バラバ』でデビューを果たす。
その後、1967年に映画『吸血鬼』に俳優として出演していたロマン・ポランスキーと共演したことをきっかけに、1968年1月に結婚。
1968年末、2人はビバリーヒルズの『シエロ・ドライブ10050番地』に新居を構え、すぐにテートは妊娠し、夫婦は幸せの絶頂にあったのです、その時は...
それから4ヶ月後の1969年3月24日、そんな2人の邸宅にヒッピー風の男が訪問し、『テリー・メルチャーを探している』と尋ねてきたのです(*´Д`*)
テリー・メルチャーは、この家の以前の持ち主で、4ヶ月以上前に引っ越していたため、その旨を伝えると男は帰っていきました。
が!!!
この男こそチャールズ・マンソンで、5ヶ月後に彼の手下によって惨○されるなど、この時のテートは想像だにしていなかったのです。
チャールズ・マンソンとマンソン・ファミリー
娼○の息子として1934年にオハイオ州シンシナティに生まれたチャールズ・マンソンですが、5歳の頃に母親とその兄が逮捕され、懲役5年を言い渡されたことで彼はその後、祖父母の家に引き取られて育てられましたが、その後、親戚を転々とし、最終的には12歳の時に孤児院に入れられます(⊙_⊙')
16歳の時には救護院(児童養護施設)に入りますが、他の収容者に重傷を負わせたことで少年院に送られ、19歳の時に仮釈放された後に、ウェイトレスと結婚し、子供も生まれるも、自動車泥棒で逮捕されて結局、別れています。
しかし、マンソンは刑務所内で人を操る話術に磨きをかけ、さらに元ギャングからギターを習い、1967年に仮釈放された後、ギターを抱え、ミュージシャンとしてサンフランシスコの路地に立ったわけです(*´Д`*)
人を操る話術に加え、ド○ッグ&フリーセ○クスを説くマンソンにはカリスマ性があり、すぐに多くの取り巻きの女性が現れ、さらに女性を餌に男たちも取り込み、こうしてできたのが
マンソン・ファミリー
過激化するチャールズ・マンソンとマンソンファミリー
マンソンはガチでプロミュージシャンを目指していましたw
やがて『ザ・ビーチ・ボーイズ』のメンバーのデニス・ウィルソンと知り合い、マンソン・ファミリーはウィルソン宅に居候し、楽曲を共作、マンソンの信者の女性らとド○ッグとセ○クスに明け暮れる...
そんなある日のこと、ウィルソンに紹介されたのが音楽プロデューサーのテリー・メルチャーで、マンソンは彼を介してレコードデビューの約束を取り付けたのです(*´Д`*)
しかし、1968年5月、ウィルソンが引っ越したことで行き場をなくしたファミリーは、映画にも登場する西部劇映画撮影用の『スパーン牧場』を拠点とし、セ○クスとド○ッグを楽しみながら、次第に思想を過激化させていく...
同年11月に発売されたザ・ビートルズの『ホワイトアルバム』に収録されていた『ヘルター・スケルター』からインスピレーションを得て
などとマンソンは言い出し、それにインスパイアされた一部のメンバーが武器や車両を蓄えて、射○訓練を実施するなど、殺◯を厭わないカルト集団へと変貌していったのです_:(´ཀ`」 ∠):
胎児もろとも惨○されたシャロン・テート
そして彼らは本当に実行してしまう...
1969年8月9日未明、マンソンの命令を受けた
- テックス・ワトソン
- スーザン・アトキンズ
- パトリシア・クレンウィンケル
- リンダ・キャサビアン
の4人が車でテートの邸宅に接近し、そこへ偶然車で通りかかって『何をしてるの?』と聞いた若者スティーブン・ペアレントを射○後、テート宅に侵入。
マンソンの元々の標的はテートではなく、デビューの約束を反故にしたテリー・メルチャーでしたが、セレブの彼が所有していた次の所有者もセレブで、マンソンにとって金持ちであること自体が殺○べき相手と変化していたんです(⊙_⊙')
この時、テート宅にいたのはテートの元恋人でヘアスタイリストのジェイ・セブリング、有名コーヒーブランド『フォルジャーズ・コーヒー』の跡取り令嬢アビゲイル・フォルンジャー、フォルンジャーの恋人、ヴォイテク・フリコウスキー、そしてシャロン・テートとお腹の中にいたポールと名付けられていた男児の5人。
犯人たちは
と哀願するテートの言葉を無視して16ヶ所も刺○て胎児もろともテートを殺○。
他の3人も銃とナイフによって殺○れています。
ちなみにですが、事件当日はテートの友人で俳優のスティーブ・マックイーンやブルース・リーも招待をされていたのですが!?
都合が悪く来訪せず、またテートの夫、ポランスキーも仕事で出ていて難を逃れています( ;´Д`)
もし都合が良くて来訪されていたら殺○れていたでしょう...
そして1971年4月19日、チャールズ・マンソンは裁判で死刑を宣告されますが、翌年にカリフォルニア州が死刑制度を一時的に廃止したため、終身刑に減刑され、2017年11月19日に83歳でこの世を去っています_φ( ̄ー ̄ )
映画『バグジー』のモデルになったベンジャミン・シーゲル暗殺事件
1991年公開の『バグジー』は何もなかった砂漠地にホテル建設を提案したマフィア、ベンジャミン・シーゲル(演:ウォーレン・ベティ)の野望と、暗◯されるまでの過程を描いていますが、映画と史実には相違点があります(⊙_⊙')
『バグジー』では1937年、ベンジャミンが兄貴分のマイヤー・ランスキー(演:ベン・キングズレー)によってロサンゼルスに送り込まれるところから始まります。
ランスキーは、ニューヨークマフィアのドンで、ラッキー・ルチアーノ(実在したマフィア)の片腕的存在。
バグジーはこの4歳上のワルに14歳の頃に出会ったことで、次第に裏社会で頭角を現していきます(*´Д`*)
ベンジャミンは一旦キレると、手に負えない荒くれ者だったため『バグジー(バイ菌、害虫という意味)』というあだ名が付けられたわけです。
バグジーがロスへ出向いたのは、当時、ハリウッドを仕切っていたギャング、ミッキー・コーエン(演:ハーヴェイ・カイテル)と話をつけ、西海岸の利権を組織のものにするためで、映画では『ラスベガスの砂漠のど真ん中にカジノをホテルを建設のために、金を湯水のように注ぎ込む』
ということになってます。
が!!!
実際にはホテル建設を考案したのは、ビリー・ウィルカーソンという起業家で、彼はラスベガスに豪華なリゾート&カジノホテルを造り、ハリウッドの社交場にしようと考えていたのです。
またホテルの名はこの時すでに『フラミンゴ』に決定しており、映画で『バグジーの愛人・ヴァージニアの愛称にちなんで名付けられた』という描写は創作となっています_φ( ̄ー ̄ )
幹部全一致でバグジーの処刑が決定される!
ホテルを建設するのには当然、お金がかかり、ウィルカーソンは懸命に投資家を集めるも、資金繰りができない...
そこで登場するのがフラミンゴの将来性に目をつけたランスキーで、彼はニューヨークのマフィア仲間やハリウッドの友人などに投資を呼びかけ、実質的な経営権を獲得します(ΦωΦ)フフフ・・
そして1946年、ホテルの建設がいよいよ始まるんですが、ランスキーは決して表に出ることなく、代わりにバグジーを送り込み、彼をホテルの筆頭株主にするんですよ!
バグジーはゴージャスな世界に魅せられていたので、この仕事に並々ならぬ情熱を燃やして取り組んだのです。
が!!!
バグジーが拘り過ぎるが故に、工事は遅れ、当初の見積もり額を大幅にオーバーしてしまう...
映画では予算オーバーの上で完成したホテルにも拘らず客の入りが悪く、さらに愛人のヴァージニアの工事費着服疑惑なども重なって、最終的に殺○されるのですが、ここも事実とは異なります(*´Д`*)
後にヴァージニアが明かした日記によれば、バグジーは予算の3分の1を横領し、ギ◯ンブルに注ぎ込んでおり、これを知った出資家たちは怒り狂い、マフィア幹部は全員一致でバグジーの処○を決定。
1946年12月26日にフラミンゴがオープンしますが、結果は約2週間で10万ドルの赤字でした。
しかし、どうやらこの数字はバグジーに死◯で欲しかった連中の裏工作によるものだと言われています_φ( ̄ー ̄ )
バグジーは目を撃○抜かれて殺○れた!!
1947年6月20日22時40分頃、ビバリーヒルズの邸宅で9発の弾丸を浴◯て、バグジーは殺○れた...
またバグジーは目を撃○れており、片方の目○は4m先の床下に転○っていたんです(*´Д`*)
ちなみにですが、愛人ヴァージニアは事前にバグジーの暗○を知っていたため、この日はパリに出向いていたと言われています。
映画では最後に、ヴァージニアがバグジーの後追い自○したような字幕が出ますが、彼女はその後、20年間近くをヨーロッパで過ごし、1966年3月、オーストラリアのザルツブルクで睡眠薬を大量に摂◯して自○しています。
人為的飢餓『ホロドモール』を基に作られた映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』
2020年に公開された映画『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』は1932年から1933年にスターリン政権下のソ連で起きた人為的飢餓『※ホロドモール』の実態を報道したイギリス人ジャーナリスト、ガレス・ジョーンズ(演:ジェームズ・ノートン)の実話を基にした歴史スリラーとなっています_φ( ̄ー ̄ )
ガレス・ジョーンズはヒトラーにインタビューした!?
1905年にグレートブリテン島南西に位置するウェールズで生まれた映画の主人公ガレス・ジョーンズは、名門ケンブリッジ大学に進学しフランス語やドイツ語、ロシア語を専攻。
卒業後、フリーライターを経て、1930年にイギリスの国会議員で元首相のロイド・ジョージの外務顧問にスカウトされるのですが!?
映画の冒頭で、周囲は彼のことを『ヒトラーにインタビューした男』と呼んでいるのですが、これは実話なんですw
というのも、ヒトラーがドイツの首相に任命されてまもない頃に、ドイツを訪れていたロイド・ジョージのスタッフとしてヒトラーのプライベート飛行機に同乗し、実際に話を聞くことに成功しているんですよ( ゚д゚)
帰国後、ジョーンズは地元ウェールズの新聞に
という内容の寄稿をしています(*´Д`*)
ジョーンズがモスクワで目撃した衝撃の光景とは!?
映画では、ヒトラーの記事で名を上げたジョーンズが1933年3月に単身ソ連に乗り込みます(⊙_⊙')
この当時、アメリカの株価大暴落が波及し、世界大恐慌が吹き荒れており、各国が深刻な経済難に陥るなか、なぜかソ連だけが影響を受けずに繁栄していたことに疑問を持ち、それを解明するためにモスクワに向かったわけです。
そして当局の監視を振り切って、ウクライナへと足を運ぶのですが、そこでジョーンズが見たものは
- パンを求めて長い列を作る人々
- 骨と皮だけの遺○
- 亡くなった兄の肉を食○る姉妹
などの衝撃的な光景だったんです( ;´Д`)
この異常な事態を追及しようとしたことで、ジョーンズは拘束された後に強制的に帰国させられ、さらに
と脅しも受けていました。
そして実際のジョーンズも、1933年3月にソ連を訪れていますが、映画と違うのはこれで3回目(1930年と1931年にも訪れている)で、すでに『本当のロシア』と題して匿名でレポートを発表していました。
またこの時の、訪問の目的はスターリンにナチスの脅威を伝えることでした_φ( ̄ー ̄ )
当時のソ連では何が起きていたのか!?
スターリンは1928年に重工業中心の工業化とコルホーズ(農業の集団化)を目指す『5ヵ年計画』を発表。
そしてターゲットになったのが、当時『ヨーロッパのパンかご』と呼ばれるほど豊かな穀倉地帯(こくそうちたい)のあるウクライナで、徴収した穀物を輸出して外貨に替えて工業化や諸外国への債務返済にあてることが目的でした(*´Д`*)
そこでまず、ウクライナの
- 知識人
- 民族主義者
- 裕福な土地の所有者
を処罰(シベリア送りや処○)し、1930年代に入る頃には、ウクライナの農民の大半を集団農場へ強制的に移住させて働かせるんです_:(´ཀ`」 ∠):
ところが!?
世界恐慌の影響による不況や天候不良、さらには政府が農民に課した収穫高のノルマが厳し過ぎたため、ノルマ達成のために自分達の食料を差し出すしかなかったというんです。
もちろん、農民たちからの反発はあったのですが!?
政府は彼らを制圧するための数々の条例を制定し『農産物は人民に属するもの』とされたことで、パンの取引や調達不達成、落ち穂を拾うだけでも『人民の財産を収奪した』という罪状で罰せられた...
その結果、ウクライナの人々は、家畜や雑草を食べて飢えを凌ぎ、病死した馬やさらに人の死○を掘り起こして食○るように_:(´ཀ`」 ∠):
また追い討ちをかけるようにチフスなどの疫病が蔓延し、ウクライナは飢えと病気によって多くの人々が亡○なったのです。
映画では1933年にジョーンズがウクライナに訪れた時は、このようなホロドモールの真っ只中でしたが、劇中で描かれている死○の山や人肉を口にする光景をジョーンズが目撃するのは創作です_φ( ̄ー ̄ )
死◯回収車『ボディカー』
1933年にジョーンズはウクライナの村と12の集団農場を歩き回った。
そこで
- 空腹で泣く子供
- パンを求めて叫ぶ人々
を目の当たりにし、大勢の農民たちから
という訴えを受け、ウクライナよりも南の地域はもっと酷い状況という声も聞いたようです(⊙_⊙')
劇中で描かれている『泣いている赤ん坊が、横たわる母親の遺○と共に『ボディカー』と呼ばれた死○回収車に投げ込まれたり、人肉を食◯る』
というエピソードは当時の目撃証言を集めたものです。
ちなみにですが、ソ連当局が『自分の子供を食○ることは野蛮な行為である』という人○食を禁止するポスターを作っていたことで、ホロドモールの時期に2500人以上が人○食で有罪判決を受けたという統計があります(*´Д`*)
ガレス・ジョーンズは誘拐され殺○された!
ソ連で惨状を見聞きしたガレス・ジョーンズは帰国後にプレスリリースを発表し、『マンチェスターガーディアン』や『ニューヨーク・イブニング・ポスト』など多くの新聞社が記事を掲載し、世界的に注目されました(⊙_⊙')
が!!!
なぜかジョーンズは嘘つき呼ばわりされたのです。
というのも独裁的なソ連政権の真実を覆い隠していたウォルター・デュランティというアメリカ人ジャーナリストが自らの保身のために、ジョーンズの記事を否定。
それに対してジョーンズは『ニューヨーク・タイムズ』で
と反論し、これは非常に真っ当な主張でしたが、結局、ジョーンズはソ連を追放されアジアへ向かうことになります。
1934年後半に日本に約6週間滞在し、その後、北京に足を運びますが、日本軍が中国内陸部の内モンゴルを占領したとの報を受けたため、ドイツ人ジャーナリストと共にモンゴルへ。
ここで事件が起きてしまう...
ジョーンズとドイツ人ジャーナリストは日本軍に一旦、拘束されるんですが、すぐに解放されます。
が!!!
なんと、解放後の帰路で盗賊に誘拐されてしまうんです!
そしてドイツ人ジャーナリストは身代金を支払うことで解放されたのですが、ジョーンズの方は30歳の誕生日の前日に盗賊に射○されてしまったんです(*´Д`*)
しかも、これは偶々ではなさそうなんですよ。
後にイギリスのBBCが発表した調査報告によると
というんですが、これはめちゃくちゃ怖いですよね!?
つまり、ジョーンズはホロモドールの実態を暴露したことで、スターリンの報復にあった可能性があるということです!
この訃報を聞いたジョーンズの元上司ロイド・ジョージは
と語っています_φ( ̄ー ̄ )
シリアルキラー【ぺーテル・コヴァーチ】をモデルにした映画『ハンガリー連続殺○鬼』
2016年に公開された『ハンガリー連続殺○鬼』は1950年代から1960年年代に『マルトフの怪物』の異名でハンガリー国民を恐怖させたシリアルキラー『ペーテル・コヴァーチ』をモデルにしたスリラー劇。
コヴァーチは4人の女性を惨○し、さらに○姦や死○を傷つけることで異常な興奮を覚えるというガチのサイコパスだった...
(実際のコヴァーチの犠牲者数は不明)
川から次々に女性の遺○が発見される
マルトフはハンガリー東部に位置するソルノク県の小さな町。
そんな小さな町を流れる川から次々に女性の遺○が発見される...
1957年7月22日、靴工場に勤務する女性マルギット・セデド(当時22歳)が斧で頭を割○れた全裸遺○で発見され、さらに屍◯の痕跡があったことから、警察は以前から彼女に言い寄っていた同僚の男性ヤノス・キリヤク(当時32歳)を重要参考人として取り調べます(⊙_⊙')
(事件当日、キリヤクが仕事帰りの彼女を待ち伏せていたという目撃証言があった)
当時のハンガリーは、共産主義体制で、1953年にスターリンが死去したことで共産圏に非スターリン化の運動が活発化し、ハンガリーも1956年にハンガリー動乱が起きたものの、ソ連軍によって鎮圧されたばかりでした。
政府当局は、猟奇事件を迅速に解決して国の威信を見せるように厳命し、これを受けた警察は、 指紋など物証操作をろくに行わず、キリヤクに対し暴○で無理矢理自供させるという不当な取り調べを行ったわけです(*´Д`*)
そしてキリヤクは逮捕され、裁判で下った判決は死刑
でしたが、証拠が目撃証言だけだったことから、高裁で終身刑へと減刑されています。
劇中では、それから7年後の1946年5月に女性の溺◯体が発見され、これが連続殺○事件の始まりとなっていますが、実際にはマルトフを流れるティサ川でイローナ・シポス(当時20歳)の水○体が見つかったのは1962年3月で、これは最初の事件から5年後のことでした(⊙_⊙')
また遺○は少なくとも2ヶ月は水中を漂っていたと見られ、生きている時に受けたと思われる傷跡もありました。
さらに翌年1963年11月にまたしても靴工場で働く女性がハンマーで狙◯れ、4ヶ月後の1964年3月には1人で帰宅途中の女性がハ○マーを持った男に襲◯れたのです。
幸いにも2人とも一命を取り留めたものの、1965年5月に、さらなる悲劇が起きてしまう...
エヴァ・メヘス(当時14歳)の全裸○体がディサ川で見つかります。
が!!!
遺◯に外傷の痕がなかったため、警察は自○として片付けてしまったんです(*´Д`*)
警察の思い込みでペーテル・コヴァーチを容疑者から外す!
マルトフの町周辺で相次いで起こる猟奇殺○に住民は怯え、テレビや新聞は『マルトフの怪物』と書きたてた。
それに犯人とされるキリヤクは投獄されているのに...
警察は改めて40人以上の男性を容疑者としてマークし、捜査を進めていきますが!?
その中に実は真犯人であるペーテル・コヴァーチもいたんですよ!!
コヴァーチはトラック運転手で一連の犯行が行われたエリアの地理・地形にも精通していました(⊙_⊙')
しかし、警察は『結婚し家庭を築き、雇用主からも高い評価を得ていたコヴァーチが犯人であるはずがない』
という思い込みだけで、容疑者から外してしまったんです( ;´Д`)
その結果、再び悲劇が起きる...
1967年6月、ティサ川の支流近くでカロリ・セケレス(当時28歳)の死○が見つかる。
セケレスの遺体は両乳○が切◯されて、さらに首や鼻、口には殴◯れた痕があり、頭◯骨には複数の◯ビが入っており、殺○であることは明白でした。
警察は、近くの橋の上に血痕とエンドウ豆サイズのガラスが6枚、さらに鉄の手すりに脂肪組織が付着していたことから、被害者は絞○された後にレ○プされ、橋から川に投◯込まれたと推測し、同時に犯行が『マルトフの怪物』によるものと断定したのです。
事件を解決に導いた捜査検察官『バリント・バルナ』
映画では、事件解決に奔走する若き検察官ゾルターン・シルマイが登場しますが、彼は実在の捜査検察官バリント・バルナをモデルにしています(⊙_⊙')
実際に警察は解決したハズの事件が再燃し、さらに終身刑となったキリヤクに冤罪の可能性が出てきたことを危惧するあまり、捜査に及び腰でした。
そこでバルナは改めてセケレスの事件を洗い直し、 彼女のての爪の中に小さなガラス片が挟まっているのを見つけます。
さらに、聞き込み調査を進めると、以前、捜査線上に浮かんでいたベーテル・コヴァーチの 義理の兄から、事件当夜にセケレスとコヴァーチと3人でパブへ行き、彼女とセ○クスを楽しみ、その後、コヴァーチが仕事用の トラックで家に送っていくと彼女を連れ出したとの証言が得られたのです(*´Д`*)
すぐにバルナを含む検察官はコヴァーチの自宅へ出向き、トラックの窓ガラスが割れ、彼がその夜着ていた上着にガラスの破片が付着しているのを発見し、そのどれもが、セケレスの爪の間にあった ガラス片と一致し、1967年8月11日、ペーテル・コヴァーチは逮捕された。
犯行のきっかけは映画のレ○プシーンだった!
コヴァーチは、最初こそ犯行を否認していましたが、言い逃れできない証拠を突きつけられると観念して、4件の殺○を自白します(*´Д`*)
供述によれば、幼い頃に性的虐○を受けたことでセ○クスに問題を抱えるようになり、23歳の時に暴発したようです。
そして、犯行のきっかけになったのは1957年7月22日にコヴァーチはアルゼンチン映画を鑑賞していた際に、女性が服を脱○シーンや、男性が女性をレ○プするシーンにかつてないほどの性◯興奮を覚えたのです。
一旦、芽生えた欲望を抑えることができず、マルトフの町へ行き、22時に仕事が終わることを知っていた靴工場の門の近くで待機し、出てきた女性たちの中から1人で帰宅していたセデドを追いかけ、道に落ちていた鉄棒で彼女の頭を殴◯し撲○し、屍○に及ぶ。
この事件の時の快楽が忘れられずにコヴァーチは、その後も犯行を繰り返した...
そして1968年2月、死刑判決を言い渡されたコヴァーチは、その年の12月1日、絞首刑に処された。
一方、冤罪で11年間も投獄されていたヤノス・キリヤクは1968年に釈放されいます。
が!!!
その後、逮捕前と同じ靴工場に勤めたものの、上手く馴染めず、1980年代に自○しており、またキリヤクの息子によると、警察や国からの金銭的補償や謝罪の言葉は一切なかったそうです_φ( ̄ー ̄ )
<参考文献:映画になった恐怖の実話>