思春期になると男性は誰しも女性への興味が湧いてくるもので、これ自体は自然なことです。
頭の中で様々な妄想をすることもあるでしょう。
しか〜し!!!
日本では未成年者による性◯罪事件がこれまでに数多く起きており、さらには殺◯にまで発展しているものもあるんです(⊙_⊙')
そこでこの記事では
『未成年による激ヤバ性犯罪事件6選』
を紹介していきますが
どの事件も卑劣かつ残忍な事件
となっているので心して読んでいただきたい...
Contents
福岡・佐賀連続児童わい◯つ事件
この事件は1990年2月2日に福岡県太宰府市で当時17歳の熊本晴彦が7歳の男子小学生を誘拐することから始まる...
熊本は下校中の男児に声をかけて、その後1時間半にわたって男児を連れ回した。
(また夕方に2人が手を繋いで歩いてる様子も目撃されている。)
その後、大野城市のため池に男児を連れ込んだ熊本はわい○つな行為に及ぶ。
そして午後6時20分頃に、草むらで男児を絞◯した。
と1990年2月13日付の『西日本新聞』夕刊に記されています(⊙_⊙')
熊本は過去に性◯罪を起こして少年院に入っていた!?
事件から2日後、ため池で男児のランドセルが発見され、その翌日に林の中から遺◯が見つかる...
そして事件から11日後の2月13日に熊本は福岡県警に逮捕されました。
実は熊本は14歳の時にも8歳の女児を山中へ誘い、わい○つな行為をして少年院に入った過去がありましたが、彼は再び同じ過ちを犯し、さらに殺◯にまで手を染めてしまったんです(⊙_⊙')
1991年6月、福岡地裁は熊本に対して5年〜10年の不定期刑の判決を下します。
10年間にわたって刑に服した熊本は2000年12月に出所。
しかし...
その後、熊本は50件以上のわい◯つ行為に及ぶ!
出所後、熊本は福岡県や佐賀県で幼い子供に対し、次々とわい○つ行為を行った。
その手口の多くが人目のつかない場所へと6歳〜10歳の男女児童を誘いこみ、ナ○フで脅してわい○つ行為を行うというものでした(*´Д`*)
2004年七夕の夜に熊本は女児に対するわい◯つ容疑で、再び福岡県警に逮捕されます。
そして取り調べで熊本は同様のわい◯つ行為を
50件以上犯していた
ことを供述したのです(⊙_⊙')
そのうちウラが取れていた計14人に対する行為が立件され、熊本は
- わい◯つ目的誘拐
- 強◯
- 強制わい◯つ
などの罪に問われます。
熊本晴彦の裁判と再逮捕
裁判で検察側は懲役18年を求刑。
しかし福岡地裁は
として熊本に懲役16年の判決を下したのです(⊙_⊙')
また裁判長は
と述べています。
熊本はこれを不服として控訴しましたが求刑が覆ることはなく、2006年12月22日に上告棄却で刑が確定しています。
ここまでの犯行は全て幼児をターゲットにしていましたが!?
2011年4月27日に熊本は強○の疑いで再逮捕されており、この時は福岡県内の20代女性宅に侵入し、包◯で脅して乱暴したのです(*´Д`*)
この事件は時効間近でしたが、福岡県警が現場証拠を調べ直し、容疑を固めたわけです。
熊本は容疑に対して
というような曖昧な供述をしていたようです_φ( ̄ー ̄ )
女子大生を1日に10回以上強○!『郡山市強◯事件』
2002年9月2日午後6時過ぎ、福島県郡山市のマンションで一人暮らしをしていた女子大生宅に宅配業者を装った3人の男が侵入。
3人のうち2人は少年で、仕事で知り合った中島順司(当時34歳)と犯行に及ぶ...
部屋に侵入後に中島は財布からカードを抜き取った。
が!!!
少年2人は金よりも女子大生の体に興味があり、嫌がる女子大生に対して少年らは
と恫喝した上で強◯した。
さらに少年らは下◯身を出した状態で仰向けになり、女子大生に対して
と命令し、さらに女性の全◯写真を撮って
と脅し、その後も浴室やベッドで10回以上も女子大生を犯◯たのです(*´Д`*)
また金目当てだった中島も2回、強◯に及んでいます。
3人は侵入してから22時間後の翌3日午後4時にマンションから引き上げたのでした。
女子大生は事件がトラウマに!服部と国分には懲役刑が!?
事件後の公判で、検察官が被害者女子大生の悲痛な思いを次のように代弁しています(⊙_⊙')
中島は起訴され、2人の少年は家庭裁判所に送致されました。
が!!!
福島家裁郡山支部はこの事件を
として、服部を検察に逆送致するんです。
2001年4月の少年法改正で、刑事罰の対象年齢が16歳から14歳に引き下げられましたが、15歳の少年が検察に逆送致されたのはこれが初めてのことでした。
判決は
- 中島・・・懲役11年
- 服部・・・3年6ヶ月〜6年
- 国分・・・懲役4〜7年の不定期刑
また公判後にフライデーの記者が国分の家に取材を試みたところ、国分の父は記者を睨みつけてこう答えたそうです。
『何も騒ぐことないでしょう。未成年なのに...』
市川強◯魔一家4人殺◯事件
1992年2月12日に午前2時過ぎのこと。
当時15歳だったA子さんは勉強の途中でシャーペンの芯を買いに外に出たところ車に追突されます。
(男がわざと追突した)
運転していた男は擦り傷を負ったA子さんを病院へと連れていき、手当を受けさせます。
が!!!
その帰りの車中で男は豹変し、突然A子さんにナ◯フを突きつけ、そして
強◯した
これが犯人の関光彦とA子さんとの間で起きた最初の事件だった...
さらなる悲劇がA子さんを襲う!
それから3週間後に悲劇が再び起こることに...
関はA子さんを強◯した際に生徒手帳を入手しており、そこから住所を突き止めて、強◯目的でA子さんの自宅に侵入。
まず寝ていた祖母から8万円を奪い殺◯、その後A子さんと共に帰宅した母親も殺◯。
それからしばらくしてA子さんの妹が帰宅すると、なぜか3人で一緒に夕食を取る。
その後、祖母の死○が転がる部屋に妹を追いやると
関は
そう言ってA子さんを強◯。
その最中に父親が帰宅すると関は現金16万円と通帳を奪って殺◯。
A子さん以外、家族全員が殺◯された!関の犯行の動機は?
その後、関はA子さんを連れて彼女の両親が経営する編集プロダクションへと移動し、残業中の社員から預金通帳と印鑑を受け取り、帰りにラブホ◯ルに寄って通帳の額面を確認してから
3度A子さんを強○。
さらにその後、A子さん宅に戻った関は妹の鳴き声を耳にする。
そして事件の発覚を恐れて
妹の背中を包◯で刺◯
と泣き叫ぶ妹の首を絞◯て殺◯。
このようにA子さん以外の家族全員が殺◯された後に通報によって警察がAさん宅に駆けつけて関は逮捕されたのです(⊙_⊙')
関は犯行の動機について
と供述しています。
そして1994年8月8日、千葉地裁はこの事件を
として関に死刑判決を言い渡します(*´Д`*)
関は控訴しますが1996年に東京高裁はこれを棄却し、また2001年12月3日に最高裁上告も棄却され、死刑が確定します。
少年事件での死刑判決は永山則夫以来のことでした...
混血少年連続殺◯事件
今から半世紀以上前の1966年12月13日、愛知県豊橋市の会社員宅で当時24歳の主婦・安藤和子さんの遺◯が発見されます(⊙_⊙')
臨月を迎えていた和子さんは水の入った水槽に頭から突◯込んだ状態で亡くなっており、また局部は乱◯された形跡があったんです。
さらに口の中からは猿ぐつわとして使われたタオルと絞◯に使った荒縄も見つかっており、部屋からは現金2万円がなくなっていました。
それから2週間後、今度は茨城県我孫子市(あびこし)の都庁職員宅で当時28歳の渡辺淑子さんが殺◯されていました。
またこの時、淑子さんは下◯身を丸出しのまま両手足を縛◯れ、頭には布団が被せられており、
さらに首には絞◯られた跡があり、左乳房には刺◯傷もあったんです(*´Д`*)
隣の部屋にいた乳児は無事でしたが、部屋から現金2万4千円が盗まれていました。
さらに年が明けた1964年1月16日、山梨県甲府市の家事手伝い・渡辺喜美さん(当時25歳)の全裸遺◯が見つかります(⊙_⊙')
善美さんの遺◯は発見時、アイロンコードで首が吊○れた状態で畳の上には
血のついたソーセージやキュウリ
が散乱しており、現場検証で局部に挿○されたことが判明したんです。
(この時も犯人は現金1万円を盗んだ)
この3つの事件の犯行現場にはある共通点があり、それは
大きな足跡があった
ということです。
また犯行手口に関しても多くの共通点があることから警察は同一犯によるものとし、捜査を進めます。
そして...
1月23日、千葉県柏市で16歳の混血少年Sが逮捕され、彼は取り調べで
と事件の動機について供述しています。
差別を受け続けた混血少年は殺◯鬼になった
Sと同じ大阪刑務所で服役し、交流をしていた作家の安土茂氏の著書『憎しみは愛よりも深し 実録・16歳連続女性殺○事件』には次のように書かれています(⊙_⊙')
少年Sは1950年、塩釜基地の黒人兵と旧家の女学生の間に生まれた。
Sが生まれてすぐに父親は朝鮮戦争へ出兵したため、母親は別の白人兵と結婚して九州で暮らすようになるがSは祖母に預けられ育てられた。
小学校に入学したSは肌の黒さや縮れ毛が目立つようになり『くろんぼ』などと言われイジメられるようになった。
やがて祖父が亡くなるとSは非行に走るようになる。
Sを預かっていた伯父は彼を施設に預けようとしたが、黒人であることを理由に断られている。
中学卒業後、Sは自動車修理工場で働くようになるが、無断欠勤と盗み癖により、わずか3ヶ月でクビになってしまう。
その後、空き巣を繰り返すようになり、そして叔母に
と言って姿を消した。
それから盗みをしながら全国各地を放浪し、ついには3人の女性の殺◯に至ったのである。
と...
1972年9月9日、千葉地裁はSに対して無期懲役の判決を下します(⊙_⊙')
本来であれば死刑に相当するものでしたが、少年法が適用されたわけです。
安土氏の本によると、大阪刑務所でSは『ジャンボ』と呼ばれ、大人しくに刑に服し、
そして38歳の時に仮出所したあとは毎日仏壇に手を合わせ、真面目に働いたとのことです。
まぁ差別によって辛い経験をしたことは同情しないでもありませんが、彼がやったことを考えるとシャバに出る資格もなければ生きる価値もないと言わざるを得ませんね_φ( ̄ー ̄ )
名古屋アベック殺◯事件
1988年2月22日の夜、名古屋市のテレビ塔近くの噴水で若い男女6人がたむろしてシ◯ナー遊びや夜間徘徊していました(⊙_⊙')
そのうち1人が
と言い出した。
彼らはこの夜すでに2組のカップルから8万6,000円を強奪していましたが、翌23日の午前4時30頃に緑区の県営大高緑地公園駐車場でデート中のカップルを襲撃。
木刀や鉄パイプを使って車をボコボコにした後にカップルを車から引きずり降ろして、木刀で殴◯りつけた。
その際に彼らは女性に
と命令。
女性は上半身裸の状態で殴◯れ、その後、薮の中で犯人グループの少年たちに輪○された...
また女性が必死に許しを請うと女性mメンバーたちは
と殴りつけた。
やがて事件の主犯格、小島茂夫が
と言い出す。
彼らは自分たちの車にカップルを乗せて連れまわした挙句、男性の首に洗濯用ロープを巻き付けて絞◯。
この時、小島は
と言って、平然とした様子で首を絞◯ていたそうです(*´Д`*)
その後も彼らは女性を車で連れまわし、その途中でアパートに連れ込みレ◯プもしています。
そして25日深夜に三重県大山田村で絞◯...
この後、目撃者の証言で彼らは逮捕されます。
が!!!
主犯格・小島茂夫は
と述べ、その他のメンバーも反省の態度を一切見せなかったそうです。
小島茂夫に死刑判決が下される!が...
1989年6月28日、名古屋地裁は主犯格・小島茂雄に
死刑
- 1人に無期懲役
- 残りの4人・・・懲役5〜17年
の判決を下します(⊙_⊙')
未成年に対して死刑判決が下されるのは異例ですが、小島が言い放った
という言葉が裁判官の心証を悪くしたようで裁判長は
と述べています。
小島はすぐに控訴しますが1996年12月16日に名古屋高裁は一審を破棄し
として小島に無期懲役を言い渡したのでした(*´Д`*)
小島、その他メンバーのその後
2009年2月21日の毎日新聞には”小島のその後の様子”について書かれています(⊙_⊙')
収監当初は
という態度の小島でしたが、次第に自分の犯した罪に向き合うようになったそうです。
また遺族への賠償金は父親が退職金で払い、友人に向けた手紙では
と書きつづっています。
その他のメンバーのうち4人はすでに釈放されていますが、遺族に対して謝罪したものは誰ひとりいません。
そればかりか賠償金を払わずに、結婚して子供をもうけた者までいます(*´Д`*)
また犯人のうち1人がインタビューを受けた際に
とコメントをしています。
- 小島茂夫
- 高志健一
- 徳丸信久
- 近藤浩之
- 筒井良枝
- 龍造寺リエ
名古屋アベック殺◯事件と最後に紹介する女子高生コンクリート詰め殺◯事件はマスコミでセンセーショナルに報じられ、少年法改正に一石を投じることになったと言えます_φ( ̄ー ̄ )
女子高生コンクリート詰め殺◯事件
1988年11月25日の夜、アルバイトを終えて帰宅途中だった古田順子さんが4人の少年たちにさらわれることからこの狂気の事件の幕開けとなります(⊙_⊙')
彼らは少年C (湊伸治)の自宅の2階を溜まり場としており、女性をレ◯プしたり、金品を奪うなどの生活をしていました。
また親は少年たちの暴◯を恐れて何も言うことが出来なかったことも、凄惨な事件が起きた1つの要因となっているでしょう。
1989年4月13日発売『週刊文春』の記事には
女子高生はCの家に監◯されたあと
何人もの少年に強◯された。
と記されており、また捜査関係者は
と語っています。
まさに悪の所業!犯行手口がヤバすぎる!!
現在は横山裕史
法定では悪の所業と言える犯行手口が明らかにされています(⊙_⊙')
- 性◯にビンなどの異物を挿入
- 殴○蹴るなどの暴◯
- 自○行為の強要
- シ○ナーの吸引
- 裸踊り
- 1メートル以上の高さから鉄の棒を落とす
- 鉄球で太ももを殴◯
- 飲○の強要
- まぶたにろうそくを立てる(2本)
さらに年明けから水以外は一切与えられておらず、順子さんはトイレに行くのも数十分かかるほど衰弱していたんです。
また激しい暴◯を受けていたため、順子さんはどこに目があるのかわからないほどに顔が変形。
その顔を見て1人が
と笑いながら言ったそうです。
少年たちは全員逮捕!ドラム缶にセメントを流し込み...
順子さんを監◯していることを湊の家族は気づいていました(⊙_⊙')
1度だけ一緒に食事したことがあり(順子さんと)その時、家族は
としか言わなかったのです。
週刊文春には順子さんの死と遺◯遺棄についても次のように書かれています↓
1989年1月4日、主犯格の少年(宮野裕史)が徹夜マージャンで負けた腹いせに順子さんを暴◯。
苦しんでいる彼女を放置して遊びに出かけ
夕方帰宅すると死◯でいた
遺◯の処理に困った少年たちは、翌日の夜、ドラム缶に遺◯を放り込んだあと、セメントを流し込んで東京都江東区の埋立地に遺棄した。
その後、別の事件の取り調べ中に犯人の1人が自白し、埋め立て地から遺◯が見つかったことで事件が発覚。
彼らは全員逮捕された。
少年たちに下った判決
画像:独断と偏見に満ちたWebマガジン
彼らの罪状は
- わい◯つ誘拐
- 略取
- 監禁
- 強◯
- 暴◯
- 殺◯
- 死◯遺棄
で、裁判では検索側が
と言い、裁判長は
と残虐極まりない犯行と断定。
そして少年たちには5〜20年の刑が求刑され、監視役の少年たち3人は全員少年院送りとなりました。
犯人の1人、小倉譲(神作譲)が再逮捕される!
現在:神作譲
2004年、すでに出所していた小倉譲が再び監◯致傷事件を起こして逮捕されています(*´Д`*)
週間文春によると小倉は
と言って、被害者を脅したようです(⊙_⊙')
ちなみにですが事件の主犯格だった宮野は模範囚として仮釈放の予定でしたが、小倉が事件を起こしたことで取り消しになっています_φ( ̄ー ̄ )
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