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【ブロガー弾圧国ワースト1】ミャンマーの軍部がやりたい放題でヤバイwww

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2021年2月1日にミャンマーでクーデターが起き、国軍が権力を掌握し

アウン・サン・スーチー氏が逮捕されるという事態になったのは

記憶に新しいと思います(⊙_⊙')

そんなミャンマーは実は僕のようなブロガーには非常に辛い国であり

またデンジャラスな国なんですよね🥶

今回は『なぜミャンマーがブロガー弾圧ワースト1の国と言われるのか?』

また『軍部VSアウン・サン・スーチーの長き戦いの歴史』

などを紹介していきます〆(・∀・@)



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ミャンマーで懲役59年の刑を受けたブロガーがいた!?

世界における表現の自由を支援する国際民間団体は

2009年5月、ミャンマーがワースト弾圧国であると発表
しました(⊙_⊙')

2008年にサイクロンがミャンマーを襲うのですが

サイクロンによる被害状況を動画にして

自身のサイトで配信しただけで


懲役59年の刑を受けることになったブロガーがいますw

国を批判したわけでもなく

ただサイクロンの動画をサイトに載せただけですよ?(゚-゚;)

仮に僕がミャンマーでこのサイトを運営してたら

死刑になるでしょうねw

このようにミャンマーではネットで些細なことを書いたり

配信するだけで日本では考えられないような

重罪に科せられてしまう
ので

ブロガー弾圧国ワースト1位に輝いているんです〆(・∀・@)

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軍部VSアウン・サン・スーチーの長き戦いの歴史

   アウン・サン・スーチー(Wikipedia

ミャンマーは1988年に国軍が政権を掌握して以来

軍部独裁体制がず〜っと続いている
んです(゚-゚;)

1990年には 総選挙を実施、

アウン・サン・スーチー氏

リーダーを務めていた民主化勢力が圧勝するも

政権を移譲することを拒否し

議会さえ開かれなかったのです(⊙_⊙')

アウン・サン・スーチーの逮捕理由が理不尽過ぎるwww

ホワイトハウスでオバマ元大統領と対談するアウン・サン・スーチー氏
画像:Wikipedia
1988年9月軍がクーデターで社会主義政権を打破。政権掌握。
1989年7月軍政が スーチー氏を自宅軟禁処置。
1990年5月総選挙実施。スーチー氏が率いる国民民主連盟が圧勝したが
軍政は政権を移譲 するのを拒否。
1991年10月 スーチー氏、ノーベル平和賞を受賞。
1995年 スーチー氏、自宅軟禁を解かれる。
2000年9月 通知し、再び自宅軟禁措置になる。
2001年 自宅軟禁解除。
2002年5月 軍政、スーチー氏の身柄拘束。後に自宅軟禁精進する。
2007年9月 軍政、新憲法の基本方針を採択。 群の権力維持の内容が盛り込まれる。
2008年5月 新憲法に関する国民投票結果を発表。憲法の内容が承認されたと軍政府が示す。
2009年5月 スーチー氏を逮捕、勾留。刑事訴追する。
軍部VSスーチー氏の戦いの歴史

スーチー氏は2009年に理不尽極まりない理由で

逮捕されてしまいます🥶

スーチー氏の逮捕理由とは!?

逮捕理由は自宅にアメリカ人を宿泊させたこと

いわゆる『言いがかり』ですねw

罪名は国家防御法違反とのこと(⊙_⊙')

で!!!

なぜこのように言いがかり紛いな逮捕をしたかというと

軍部がスーチー氏を脅威に感じていたからです。

軍部独裁は国際的に非難され

当時、経済制裁を科せられていたこともあり

政府は2010年に20年ぶりとなる総選挙を実施することを約束したのです👀


総選挙でスーチー氏に自由に活動されたら 再び民主化グループに敗北してしまう...

これを恐れてスーチー氏を拘束したのです(゚-゚;)

軍部の都合の良い新憲法案!

スーチー氏とアベノマスク元首相
(wikipedia)

2008年にはスーチー氏を軟禁したまま、

軍部は新憲法案を問う国民投票を強行実施します(⊙_⊙')

しかし内容は『 大統領は軍事知識のあるもの』『下衆の110 議席は軍事枠』

など軍部の都合の良いものばかりだった...

投票結果は『92.4%』の 賛成票を得たとされていますが

これも軍部が完全管理する中での開票結果のため

国民の真意が反映したものではない
でしょう🥶

このようにスーチー氏は長い間、拘束、勾留、軟禁、解放、逮捕されているので

これを見たらこの前のクーデターも納得できるのではないでしょうかw

つまり最近のクーデターやスーチー氏の逮捕は

今始まったことではなく

ずっと繰り返されてきたことなんです(゚-゚;)

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ミャンマー政府から非人道的な扱いを受ける『ロヒンギャ族』

ロヒンギャの難民キャンプ(Wikipedia)

ミャンマーの軍部の独裁は歯止めが利かず

完全にやりたい放題の無双状態なのが理解できたと思うのですが

まだあるんですよw

ミャンマーには100を超える民族が暮らしているのですが

なかには政府が国民として認めない少数民族が存在(⊙_⊙')

迫害を受けているのは、 イスラム教徒系の少数民族のロヒンギャ族

ロヒンギャ族は少数民族とはいえ150万人以上いるとされているのですが

政府から全力でガン無視されている
んです(完全にイジメw)

ロヒンギャ族は 移動の自由、教育、仕事まで制限されていて

時には軍により強制労働させられることも...

なので食べていくことすらできず

周辺国のバングラデッシュやタイへ

難民として移住する人々が続出することになる。

タイに関しては大量に難民が移住してくることを

拒否し入国させなかった
んです🥶

海上に大勢の難民を放置プレイしたままにして

非難を浴びることにw

人権団体がミャンマー政府に問題を指摘しても

ミャンマー政府は『 そんな民族は存在しない』の一点張り。

因みにですがロヒンギャの難民は日本にも200人ほど入国したのですが

難民認定を受けることができず、かといって強制送還もさせられない

ということで に浮いた存在になっています(⊙_⊙')

2020年1月に国際司法裁判所はミャンマーに

迫害防止措置などをもとめる仮保全措置を命令したのですが

この問題は根が深く簡単には解決できない問題の一つとなっています。

国軍がクーデターを起こしたミャンマーの最大都市ヤンゴンなどで16日、市民らが抗議デモを続けた。治安部隊は各地で発砲や放水による強制排除に乗り出したのに加え、デモ隊の拘束を進めるなど締め付けを強化しており、参加者は一時より減りつつある。  人権団体の政治犯支援協会によると、治安部隊は15日、第2の都市マンダレーでデモ隊に発砲したほか、殴り掛かり、17歳の少女2人を含む6人を拘束した。首都ネピドーでも高校生14人が一時拘束された。  デモ隊はクーデターに抗議するとともに、無線機を違法に輸入し使用したとして訴追されたアウン・サン・スー・チー氏の解放を要求している。しかし、裁判所は15日とされていたスー・チー氏の拘束期限は17日と説明。拘束長期化にデモ隊は不満を募らせている。

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