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【人民寺院事件】教祖ジム・ジョーンズは信者900人以上に集団自殺を命じた!?
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1978年11月14日、レオ・ライアン下院議員と報道記者たちが南米ガイアナにある新興宗教団体・人民寺院の本部を視察。

人民寺院は1973年から教祖が多数の信者を引き連れてガイアナに移住しており、ジャングルを切り開いた町『ジョーンズタウン』で下界とのコミュニケーションを遮断し自給自足の生活を送っていた。

ガイアナ移住後、ジョーンズタウンでは教祖ジョーンズが悪辣(あくらつ)な振る舞いをしているとの噂が立っていた。

それはジョーンズは信者に暴力を振るいレイ◯しているという噂でさらに信者たちに強制労働を強いて、それに耐えれずに脱退しようとした者は監禁されるというセンセーショナルな内容でした(⊙_⊙')

この噂は逃亡した元信者や信者の家族から伝えられたものなので信憑性が高く、アメリカ国内では人民寺院とジョーンズに対する猛烈な批判が巻き起こった)

しかし、これらのことが軽やかに見えるほど人民寺院の最後は壮絶なものになるのです...


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教団の暴走と集団自殺!

1979年に撮影されたジョーンズタウン(Wikipedia)

視察が始まると、教祖の見ていないところで多くの信者たちが議員に『アメリカに連れて帰って欲しい』と懇願。

議員は帰国を希望する信者たち16人をアメリカに連れて帰ることを提案し、飛行場に向かう。

しかし、そこで悲劇が起きてしまう...

人民寺院の信者たちが飛行場に現れ、ライアン議員たちに向けて銃を乱射。

その結果、ライアン議員を含む5人が死亡、11人が重軽傷を負った

飛行場からジョーンズタウンに戻ってきた信者たちは教祖ジョーンズの指示で”集団自殺”を命じられた。

ジョーンズにはかねてから集団自殺する計画があり、議員が視察に来る前から、人民寺院では日常的に集団自殺の予行練習が行われていた。

そして、大鍋に入れられたシアン化合物入りの飲み物が配られ信者たちは次々に倒れていった...

またこれを拒否した信者は自殺を強要or銃殺され、教祖ジョーンズもピストルでこめかみを撃って自殺した。

というのが事件の概要となります(⊙_⊙')

教祖ジム・ジョーンズは一体どんな人生を歩んできたのでしょうか?

彼の生涯について見ていきましょう。

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ジム・ジョーンズの生涯!

教祖ジム・ジョーンズ(右)
画像:Wikipedia

1931年5月13日、インディアナ州でジム・ジョーンズは生まれました👀

ジョーンズの父親はKKK (白人至上主義団体)の信奉者でジョーンズが12歳の時に家族を捨て、そのため彼は母子家庭で育ったのです。

このように不遇な家庭環境にあったジョーンズはやがて聖書の中に希望を見出すように。

宣教師の娘と結婚したのをきっかけにジョーンズは聖職者として生きていくことを決意し、貧しい黒人たちを対象に熱心な布教活動を始めました。

そして1955年に人民寺院を設立

この時すでに多くの黒人信者を抱えていた彼は公民運動の指導者マルコムXやブラック・パンサー党の影響を受けて次第に差別のないユートピア』を目指し、共産主義と社会主義に傾倒していく。

またジョーンズは核戦争を異様なまでに恐れ、以後、さまざまな強迫観念に囚われるようになっていき、この頃から彼の中の狂気が芽生え始めるのです(⊙_⊙')

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ジム・ジョーンズは性○が強く、バイセクシャルだった!?

インディアナポリスにあるジョーンズが初めて務めた教会(Wikipedia)

ジム・ジョーンズは聖職者であるにもかかわらず、異常に性○が強く、さらにバイセクシャルでもありました👀

そして彼の振る舞いは日を追うごとに過激で異常なものになっていき、夫婦の信者に性○為を禁止させ、妻を自分のハーレムに加えたり、さらに差別主義者でないことを証明するために黒人信者の○器を白人信者に舐めさせるなどさせたのです(⊙_⊙')

長年、自身の右腕として信頼していた幹部とその妻に裏切られたジョーンズは半狂乱になり、これがきっかけで1973年に南米ガイアナにジョーンズタウンを築き、信者と共に集団移住することに。


ガイアナに移住してからのジョーンズは狂気に満ちた振る舞いを始め信者たちはジョーンズの奴隷のように扱われるようになり、また信者たちの脱会を恐れたジョーンズは武装組織を結成し、恐怖政治を行っていくのです。

人民寺院の集団自決による死者数は914人!

地獄のような光景となった人民寺院の様子

飛行場でライアン下院議員らを射殺した信者たちが戻ってくると、ジョーンズはこう言った。

ジム・ジョーンズ
『議員を殺したからには、まもなく海兵隊がここに攻め込んでくる。そうなれば我々は皆殺しだ。ならば、殺される前に潔く自分たちでけじめをつけてやろうじゃないか。これは単なる自殺ではない。革命的自殺だ』

上空から見た集団自決後の人民寺院

信者のほとんどが死に絶えた頃、ジョーンズは自らのこめかみに銃口を当て、引き金を引いた。

死者の数は合計914人そのうちの267人は18歳以下の子供でした(⊙_⊙')

(アメリカ市民が起こした事件の死者数としては最大規模)

また集団自殺から生還できたのは脱走に成功した167名だけとなっています。

そしてこの集団自殺の過程はテープに録音され現存しており、テープはジョーンズの演説から始まり、信者たちの歌声が響きわたる。

しかし『次第に歌声が減っていき、最後は完全に無音になる』という内容のこのテープは後に公開されました。

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