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いまだに謎とされる歴史上の事件・謀殺特集!

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歴史上でいまだに真相がよくわかっていない謎事件・謀殺などを今回は紹介していきますよ〜!!!

分からないことを知ろうとする時って異様に脳汁出ません?w

僕は脳汁が止まらないですね〜🤩

この手の話が好きな人には満足してもらえるような話を紹介していくのでお楽しみ下さい!

それでは脳汁出まくりの事件・謀殺ストーリーを一緒に見ていきましょう〆(・∀・@)

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アレクサンダー大王はキスで死んだ!?

アレクサンダー大王(アレクサンドロス3世)
wikipediaより

歴史に名高いマケドニア国王、英雄アレクサンダーの死は今も謎とされています美しくも恐ろしい話が残されているのです。

それはアレクサンダーはインド王からの贈り物として献上された美しい娘によって毒殺されたという話で娘はあらゆる病気を治す医者、占術家、大量の酒と共に贈られた4つの贈り物の内の1つだったんです(⊙_⊙')

娘は浅黒い肌をした漆黒の髪と瞳を持つ絶世の美女でアレクサンダーは娘を自分の寝室に連れて行った...

アレクサンダーが娘にキスした途端、彼は苦しみだし数日後に帰らぬ人となったのです。


娘の体にはとんでもない秘密があった!?

この娘はインド王が仕込んだ刺客で彼女は毒薬によって育てられておりそのため全身が毒化している特異体質だったのです(⊙_⊙')

当時のインドの王はこうした毒の娘を生まれたばかりの頃から育てていたようで揺かごの下や布団の下の毒草を敷き、少しずつ毒に慣れさせていく。

そして衣服の中や乳や飲み物の中に混ぜ、どくが生命の糧となるようにしていく。

こうして、次第に美しく成長して毒そのものとなった娘は毒草を食べてもなんともない体質に変わっていき息をすると空気まで毒に変わったとも言われています👀

(アニメバジリスクの陽炎みたいな感じですねw )

毒娘を殺○たい相手に贈り物と称して娘を送り、娘に口づけするとその猛烈な毒にふれて命を落とすことになるというわけです。

また毒娘を育てたのはアコニットという毒薬で娘のもらす息はバラよりも香しかったとも言われています。

実はこの話は作家のホーソンが短編小説『ラパチーニの娘』で書いたものなので真実ではありませんw

ふざけんなよ〜!!!

と思われるかもですがまだ続きがありますw

このインドの毒娘自体は本当に存在していた可能性があり、13世紀のイランの地理学者もどうやら著書に書き残しているようなんです✍️

そこでは娘はビーシュ(トリカブト)で育てられていることになっています。

このように同じような話が存在しているので”毒娘のモデルは存在したのではないか!?”と思ってますw

またアレクサンダー大王の死因は毒殺説以外にもマラリア説、てんかん発作説、急性アルコール中毒説などがあります。

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ツタンカーメンの呪いの正体は!?

ツタンカーメンの黄金のマスク(wikipedia )

ツタンカーメンはエジプト第18王朝最後のファラオ(王)でわずか9歳で即位したのですがこの時から彼は宗教的な争いの渦に巻き込まれていたのです(⊙_⊙')

そして死因ですがツタンカーメンにも毒殺説がありましたが2010年ドイツの研究チームが遺伝性の血液疾患『鎌状赤血球症(SCD)』で死亡した可能性があると発表しました。

さらにツタンカーメンは免疫不全の状態で落下による骨折の形跡があり命に関わる状態になり最終的にはマラリアに感染して死亡したと考えられています。

ツタンカーメンは18歳という若さで亡くなりミイラとなって王家の谷に葬られることになったのです。

ツタンカーメンの発掘に関係した者が次々と死んでいく!原因は呪いではなかった!?

ツタンカーメンの墓(wikipedia)

墓が発見されたのは1922年11月6日のことでした。

しかし『王の眠りを邪魔する者には死の翼がふれるだろう』と言われていた通りに墓の発掘に関係した研究員や作業員などが次々と奇妙な死を遂げていたのです(死亡者数は26人)

これが世にいうツタンカーメン王の呪いですが、ただ1人だけ発掘後17年間何事もなく66歳まで生きた人物がいるんです👀

この人物はツタンカーメン王の墓の発掘における最高責任者だったハワード・カーター博士。

一体なぜカーター博士だけが大丈夫だったのか?

実はツタンカーメン王の呪いは医学的に説明が可能なようなんです(⊙_⊙')

それは死んだ人々は『エアロゾルによって倒れたのではないか?』というものです。

エアロゾルとは霧のように細かい塵(ちり)のことでそこには病原菌や毒性のあるカビなどの菌類の胞子が含まれている。

数千年の間、静かな眠りにあった墓が発見されて発掘隊が墓内に入ったことでそれらが舞い上がったことで死に至ったのではないか?

そして博士が無事だったのは長年、墓や遺跡の調査に関わっていたので体に免疫ができたからではないか?と考えられています。

ただしこれは医学的な説明の1つで真相はいまだ分かってはいません🥶

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クレオパトラは毒蛇によって自○した説はウソ!?

クレオパトラとして有名なのはクレオパトラ7世で美貌の代名詞のようになっています。

しか〜し!!!

実際に彼女が美しかったかどうかは今も謎とされています👀

またクレオパトラが毒蛇に胸を咬ませて自○したという話もどうやら俗説の1つに過ぎなようです。

しかし彼女は毒と無関係というわけでもないんですよ(⊙_⊙')

クレオパトラが生まれたプトレマイオス家では古くから毒薬研究に熱心で帝王学として毒を扱う術を学んでいたんです。

政敵との権謀術数、王としての死の覚悟、そのためにも毒薬の研究は必要不可欠でした。

毒蛇ではありませんがローマとの戦に敗れたクレオパトラは服毒自○したと考えれています。

自◯の理由ですが捕虜としてローマで晒し者にされるくらいなら、女王の正装に身を包み黄金の玉座に鎮座して誇り高く最後を向かえることを望んだからだと言われています。

毒蛇に咬ませての自○ではない理由!

毒蛇に咬まれた場合、キバの痕は些細なものですが激しい痛みを伴い咬まれた部分は赤く腫れ、筋肉は壊疽を起こし、毒は血管から体内に入り込み呼吸困難から昏睡状態に陥る...

即死ということはまずなく、長い場合は10時間以上苦しみゆっくりと死んでいくのです。

これは美に特別な意識があったクレオパトラには美しくない死に方なんですよね(⊙_⊙')

クレオパトラには毒に対する知識があったので当然、毒蛇に咬まれた場合どうなるかも知っていたはず

なので美しいまま死ねる方法で自○したはずでこのことから毒蛇での自○ではないと思うんです。

真実は分かりませんが誇り高い美しい女王クレオパトラが古代にいたというロマンは抱き続けたいですよね〆(・∀・@)

アリエノール王妃の毒殺疑惑!

王妃アリエノール(19世紀画)
wikipedia

12世紀、イングランドのヘンリー2世はウッドストックの森に隠れ家を建てて、愛人のロザモンドを住まわせていました。

アリエノール王妃が7番目の子供を懐妊している間にヘンリー2世はロザモンドに出会い、特別な関係になっていたためです😍

しかしアリエノール王妃はただの妃ではなかった...

ヘンリー2世に嫁ぐ前はフランスのルイ7世の妃でのちに英仏二国を股にかけてヨーロッパの政治を動かしたといわれる女性だからです(⊙_⊙')

その生涯はシェークスピアが戯曲(ぎきょく)のモチーフにする程で数奇で波乱に富んだものだったようです。

出産を終えるとすぐに別居して、彼女はアキテーヌの領地に7人の子供と移り住むことに。

そして王と王妃の冷めきった関係はのちに憎しみの嵐へと変わっていく...

ロザモンドの死!様々な噂が飛び交う!?

シノン城聖ラドゴンド礼拝堂の壁画に描かれた騎乗姿のアリエノール
wikipedia

その最中、ロザモンドが急死してしまいます。

彼女の死因をめぐって様々な噂が飛び交ったのです(⊙_⊙')

嫉妬に駆られたアリエノールがロザモンドの隠れ家に乗り込み毒を飲んで死ぬか短剣で突かれて死ぬか』と迫りロザモンドは自ら毒を飲んだ説

アリエノールがロザモンドを縛り上げ折○した挙句、ヒキガエルに傷口の生き血を吸わせたために死に至った


さらには『王妃を憎んでいたヘンリー2世が毒殺の噂をばら撒いてアリエノールを陥れた』など。

どれもあくまでも噂で真相はわかりませんがこのような話があります。

亡くなったロザモンドは修道女の手によって手厚く葬られた、ヘンリー2世が12年後に亡くなると『娼婦に墓はいらない』アリエノールは跡形もなく墓を壊してしまった。

う〜ん、やはり女性を怒らすと恐ろしいw

ナポレオンが流刑後に体調を崩した真相とは!?

ダヴィッド『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』
画像:Wikipedia

コルシカ島の貧しい貴族の家に生まれ一介の砲兵士官からフランスの皇帝にまでのぼりつめたナポレオンですが1815年『ワーテルローの戦い』に敗れたあと大西洋の孤島、セントヘレナへ流刑となってこの地で最後を迎えることになります(⊙_⊙')

(1821年5月5日、52歳で亡くなる)

セントヘレナでの生活は優雅とはいえないまでも、過酷ではなかったようです👀

もちろんフランス時代の居城・チュイルリー宮殿とは比べ物にならないですが、それでも屋敷を与えられ側近や家族と共に暮らしていました。

島に到着した当時のナポレオンは46歳で『一日に3時間しか眠らない』といわれた皇帝時代そのままに体は頑健で健康状態も良好だったのです。

退屈しのぎに庭仕事をしたり、島のあちこちを愛馬で早駆けしたり、愛人までいたようです。

色々な意味で精の出るナポレオンですがw

セントヘレナでの生活が2年を過ぎた頃から徐々に体調を崩し始める...

ナポレオンはヒ素中毒に!理由が恐ろしすぎる!?

アドルフ・ノーザン『ナポレオンのモスクワからの退却』
(Wikipedia )

ナポレオンはまず歯茎の腫れをしきりに訴えるようになり、片頭痛にも悩まされるように。

やがて手足の冷え、脱毛も酷くなっていきました(⊙_⊙')

特に足の冷えが辛かったらしく毎日、風呂に入りたがり頻繁に熱いタオルで足を包んでいたのです。

極寒のロシア戦役の時でさえ”寒い”など言わなかったナポレオンがこのように寒さやその他の症状に悩まされる原因は何なのか?

ナポレオンの症状はヒ素の慢性中毒の症状にほぼ全て一致していたようなんです👀

それでは”ナポレオンはなぜヒ素中毒になったか?”ですがこのような説があります。

ナポレオン専用のワイン蔵の管理人が『ワインにヒ素を混入した』というものでこの管理人はナポレオンの愛人の夫だったのです🥶

ナポレオンへの恨みからヒ素を混入させたと考えられていますがもちろんこの話も真実か否かはわかりません。

しかし1つだけ揺るぎない事実があります。

ナポレオンの死後、従者が記念として保管していたナポレオンの遺髪から通常の13倍ものヒ素が検出され彼がヒ素中毒であったことだけは確かなのです...

モーツァルトのフリーメイソン毒殺説!

モーツァルト(Wikipedia )

モーツァルトの死因については別の記事で書いたことがあるのですが当時、瀉血という血を抜く医療行為が頻繁に行われておりそれが原因で体調不良となり最終的な死因は『リューマチ性炎症熱』であると考えられています(⊙_⊙')

しか〜し!!!

ここで敢えて違う説を紹介したいのですw

モーツァルトには毒殺説があり当時ベルリンで発行された”音楽週報”にも『死因は水腫とされているが死体が膨れ上がっていたため、毒殺と噂されている』という記事が掲載されています👀

自然死でなければ毒殺の線が濃厚で犯人については映画『アマデウス』で有名になったウィーンの宮廷楽士長サリエリをはじめいくつかの説があります。

そしていくつかある説の中でフリーメイソンによる毒殺説というのがあるんです。

フリーメイソンは中世の石工のギルド(同業者組合)に起源を持つ秘密結社で表向きは『国際的博愛主義団体』ですが実態は謎の多い組織です。

モーツァルトとフリーメイソンには大きな関係があった!?

米国メイソンの証明書(Wikipedia)

モーツァルトはフリーメイソンのメンバーでそのことがフリーメイソンによる毒殺説を有力にしているんです(⊙_⊙')

実際に『メーソンの喜び』『フリーメイソンのための葬送音楽』をはじめモーツァルトがフリーメイソン用に作曲した曲は数多くあり有名なオペラ『魔笛』は随所にフリーメイソンのシンボルや儀式が盛り込まれていたりします👀

ところがこの魔笛が問題になったのです。

魔笛の中で使っていたものの中に外部には漏らしてはならないフリーメイソンの秘儀があったらしくこれにフリーメイソンはブチギレてしまった💢

フリーメイソンはモーツァルトの行為を組織に対する侮辱であり、裏切りであると受け取った。

裏切りものの行き着く先は...

というのがフリーメイソンによるモーツァルト毒殺説ですが当然のごとくこれは確証はありませんw

ですが100%ないとも言い切れないんですよ。

これはモーツァルト自身が晩年の『全身の浮腫、湿疹、嘔吐、頭痛、体力の減退、体重の激減』などの症状をただの病気ではないと疑っていた事実があり、モーツァルトの妻コンスタンツェは新聞記者から『ご主人は自分の病気が自然なものではないと疑っておられたそうですが?』

の質問に対して『ええ、その通りですわ』と答えていることから単なる病気ではなさそうです✅

モーツァルトの症状はどれも水銀中毒の特徴が見られていたのでもしかするとフリーメイソンによって,,,

信じるか信じないかはあなた次第です〆(・∀・@)

レオナルド・ダ・ヴィンチにまつわる恐ろしい噂!


レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画
(Wikipedia )

『モナリザ』は天才レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作と知られ、モナリザの口もとに浮かんだ謎の微笑みの意味を探ろうとする研究者は今もあとを絶ちません。

そしてモナリザ同様にダ・ヴィンチが謎の微笑みで口もとをほころばせた日があるとするなら、それはガレアッツォという男が死んだ日かもしれないのです(⊙_⊙')

なぜならそれは芸術家が繊細に練った計画の完成の日だったから...

ダ・ヴィンチは『モナリザ』に4年の歳月を費やしましたが結局、未完のまま筆を置くことになります。

それから比べれば、この計画はたった1週間で完成が約束されており、ダ・ヴィンチは思わずほくそ笑んだかもしれない...

レオナルド・ダ・ヴィンチは殺人の天才!?

モナリザ(Wikipedia )

その計画とは毒を含んだ果実をガレアッツォに毎日贈って食べさせ、彼を亡き者にしてしまおうというものでした🥶

しかし、ただ果物に毒を塗るという平凡な方法ではなかったところがいかにもダ・ヴィンチらしく彼は庭に生えていたその果物に毒を注射し、樹液によって少しずつ枝に実った果実に毒を吸い込ませるという方法を取ったのです。

この時、使われたのはシアン化合物といわれており致死量を飲めば5分で絶命...

この話はダ・ヴィンチをめぐる噂話の1つですがもし事実ならダ・ヴィンチは殺人の天才でもあったと言えるでしょう。

切り裂きジャックと間違われた男がいた!?

1888年10月13日イラストレイテド・ロンドン・ニュースによる記事
(Wikipedia)

19世紀、ヴィクトリア朝時代にロンドンを震撼させた”切り裂きジャック”はロンドンの東部地区ホワイトチャペルに出没して内○を切り裂き、5人の女性を惨殺...

当時の人々は彼の影に怯えていました。

真犯人は霧の迷宮の中に消えてしまい、噂だけが今も幽霊のように彷徨っています。

ポーランド生まれのジョージ・チャップマンは切り裂きジャックの疑いをかけられた男の1人でした(⊙_⊙')

なぜなら切り裂きジャックの最初の犠牲者が発見されたジョージ・ヤード・ビルディングの地下で理髪店を開いていたからです。

チャップマンは切り裂きジャックではないが...

切り裂きジャックが取り上げられたアメリカの雑誌『Puck』の表紙
(Wikipedia)

チャップマンは切り裂きジャックではありませんが娶った(めとった)妻を次々と手にかけた毒殺犯だったんです🥶

手口は毒殺で用いられることがあまりないといわれるアンチモンで妻のひとりだったモード・マーシュ殺○時には医者がヒ素中毒ではないか?と所見を出しました。

これはアンチモンがヒ素と同じく無臭の毒物で金属のような味がするという特徴を持っているからでアンチモンであることを突き止めたのは検視解剖を行なった分析医のトマス・スティーブンソンでした(⊙_⊙')

これによりチャップマンの2人の前妻の墓が調査されることに。

調査の結果は2人共アンチモンによって死亡したことが判明しました。

また墓から掘り起こされた前妻たちの遺体はたった今、埋葬されたかのように顔も手も綺麗だったのです👀

(アンチモンの防腐作用によるもの)

チャップマンの逮捕時、アバーライン警部は『ついに切り裂きジャックを捕まえた』と叫んだそうですw

切り裂きジャックとチャップマンの手口はまるで違うので冷静に考えれば彼が切り裂きジャックでないことは明らかでしたが”切り裂きジャック”の影に支配されて冷静な判断ができなかったのかも知れませんね〆(・∀・@)

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