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拷問用の椅子『審問椅子』は実は痛くなかった!?

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かつて拷問を目的として使用されていた

『審問椅子』は実は痛くないという説がありますw

この記事では審問椅子での拷問方法・目的や逸話などを紹介しますᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ

またガチで痛い拷問やちょっと変わった拷問方法なども紹介していくので

楽しんでいってくださいな〆(・∀・@)

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審問椅子が痛くないというのは本当!?

審問椅子
画像:私立拷問電脳図書館

画像の通り審問椅子には無数の釘が植え付けられていて

座る部分はもちろん背もたれや側面、肘掛け、足の裏が置かれる部分にまで

釘が配列されています
w

その数は約1300本で犠牲者は裸にされてこの椅子に座らされるわけです(⊙_⊙')

この時に胴体はベルトで固定されるので身動きが取れない状態となります。

また『スペインの椅子』のように椅子の下で炭や薪を燃やして炙ることもあったようです🔥

見た目からして激痛を伴う気がするのですが

拷問器具の研究家が実際に裸になって審判の椅子に座ってみたところ

あまり痛くなかった
そうですwww

原因はあまりにも釘の数が多いので体重が分散してしまい1本あたりの圧力が

小さくなったためと考えられています👀

また別の研究者は審問椅子は審問を受ける者に見せて威圧し

脅えさせるために使われた可能性があると言ってます。

審問椅子の考案者は!?

コンラート・フォン・マールブルク

審問椅子は13世紀の異端審問官だった

コンラート・フォン・マールブルクによって考案された
と伝えられていて

彼は熱心なキリスト教徒で禁欲と清貧の生活を送ってました。

そのため彼の崇拝者は多くいたようです(⊙_⊙')

しかしコンラートは異端者を悪魔崇拝者と考えて

問答無用で火刑に処する方針
を貫き次第に恐れられるように。


この考えは一般市民だけではなく地位のある貴族であっても変わりませんでした。

彼は晩年、有力な領主だったハインリヒ・フォン・ザインを

異端者に加担する者として告発。

その直後に騎士たちに襲われて命を落とし生涯を終えています。

この襲撃事件は『ハインリヒの報復ではないか?』という噂が残っています〆(・∀・@)

コンラートによって考案された審問椅子はあまり痛くはなかった

ということですが下記よりガチで痛い拷問や処刑

マニアックな拷問方法などを紹介
していきます🤩

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遊女に対して行われた『くすぐり責め』

『くすぐり責め』は遊女に対して行われていた拷問

体に傷をつけると商品価値が下がるという理由でこのような方法が採られていました(⊙_⊙')

くすぐり責めの方法は両手両足を縛り大勢で取り囲み

鳥の羽毛や毛筆の先で身体の敏感な部分をくすぐりまくるという

何ともハレンチな方法で拷問していましたw

しかし『くすぐり責め』はかなり過酷で最初は悶える程度でも

くすぐり続けられると次第に呼吸ができなくなり咳き込み始め

あまりの苦しさに床を転げ回って悶絶する者もいたそうです🥶

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体の一部を切り取る『肉刑』

中国で凌遅刑を受けるフランス人宣教師
(Wikipedia

肉刑とは体の一部を切り取る刑罰で有名なのは中国の凌遅刑ですが

この刑は世界各国で行われていました(⊙_⊙')

古代ローマでは主に窃盗などの罪を犯した奴隷に腕を切断する刑が科せられたり

市民が死刑に相当する重罪を犯した場合

恩赦として切断刑が執行されることもあったのです。

しかし切断刑を受けた者は自由人としての資格を永久に剥奪されることに...

つまり切断刑には犯罪者の烙印を押すという意味もあったのです。

肉刑は腕、足、目、舌、耳、鼻など人間のあらゆる部分を切除する刑で

特に耳は古代ローマ時代に奴隷に対して盛んに行われました。

(これは耳がなくても労働に支障がないため)

また中世になると追放者に対して耳削ぎが行われるようになり

仮に舞い戻ってきても一目で見分けがつくからだと言われています🥶

ダミアンの四つ裂き!!『引き裂き刑』

ロベール=フランソワ・ダミアン
(Wikipedia)

ロベール=フランソワ・ダミアンは42歳のときに

フランス国王ルイ15世の暗殺を企てた...


1751年1月5日、馬車に乗ろうとしていた国王の腹にナイフを突き立てたのですが

極寒の冬だったので王は厚い毛皮を着ていたためにナイフは深く刺さらずに

かすり傷で済んだのです。

これによりダミアンは四つ裂きの刑が決定してしまいます🥶

残酷な処刑でダミアンの手足は...


拷問を受けるロベール=フランソワ・ダミアンの様子
(Wikipedia)

処刑は同年3月27日に行われ、まず犯罪を犯した手を罰するために

ナイフを持っていた右腕が焼かれ次に数カ所の肉がペンチで引きちぎられた。

そしてその傷の部分に沸騰した油や解けた鉛、硫黄などが流し込まれました。

これらの刑罰で瀕死のダミヤンでしたが

四肢を4頭の馬に引っ張られ関節は全て外れたが

なかなか手足は千切れなかったんです😭

(馬はその場で足踏みするばかり)

結局ダミアンの両手両足に切り込みを入れて

ようやく四肢を切断されたのですが

ダミアンがルイ15歳を殺害しようと思った動機は不明のようです。

首切り役人、山田浅右衛門の財力の秘密!

明治12年に市ヶ谷監獄で施行された斬首刑を描いた絵
画像:世界の拷問・処刑事典

首切きり役人として幕府の処刑を初代から9代まで担ったことで有名な

山田浅右衛門は意外なことに代々浪人で幕府の依頼を受けて試し斬りや処刑を行い

身分は浪人でも財力は3万〜4万石の大名に匹敵したと言われています⊙_⊙')

最大の財源は浅右衛門が斬首した死体でした👀

死体は浅右衛門の下げ渡されていたのですが

なんとその死体の肝臓や胆嚢、脳を取り出して

結核に効くという丸薬を作って売っていた
のですw

(なんとバチ当たりなw)

斬首刑は明治になって強盗殺人犯の巌尾竹次郎(いわおたけじろう)と

川口国蔵が執行されたのが最後となっています。

中世ヨーロッパの処刑法『車裂き』

1762年、トゥールーズで行われた車裂きの刑
_(Wikipedia

『車裂き』は四肢を砕いて馬車の車輪に縛りつけ死ぬまで晒し者にする刑罰

中世ヨーロッパでは車輪に固定してから棍棒などで四肢を粉砕するやり方と

車輪に固定する前に棍棒または車輪で轢いて骨を砕く場合がありました(⊙_⊙')

フランスでは親殺しなどの重罪を犯した者に対して執行され

鉄棒で四肢を砕いてから地面に置かれた車輪に縛りつけられたのです。

犠牲者は絶命すると灰になるまで焼かれ、埋葬されることはなかった...

フランスで残虐刑の廃止のきっかけとなった事件!

中世ヨーロッパの車裂き(車輪刑)
(Wikipedia)

1788年フランスのベルサイユ広場で”ある死刑囚”の車裂きの刑が執行されようとしていた。

死刑囚の名前はジャン=ルイ・ルシャールで腕のいい蹄鉄工(ていてつこう)でしたが

父親と仲が悪く、恋人との仲を裂かれ口論となり父親がハンマーで殴りかかってきたので

彼は父親からハンマーを取り上げてその場から逃げ出したのです(⊙_⊙')

しかしここで予期せぬことが起きてしまう...

父親から取り上げたハンマーを後ろに投げたのですが

不運にも父親に直撃してしまいそれが原因で父親は死亡してしまった🥶

この事情を知った民衆はジャンに同情し、処刑前に助け出しジャンを焼く代わりに処刑台を焼き払ったんです🔥

のちにジャンはルイ16世によって恩赦が与えられることに。

この事件がきっかけでフランスでは拷問と残酷な処刑が禁止されるようになったのです👀

ちなみにですが中国や日本での『車裂き』は四肢を4台の馬車や馬、牛などに

別々に引っ張らせてバラバラにする方法を指します。


またドイツでは18世紀まで行われていましたが処刑のみが目的とされて車輪が用いられ

一定期間縛られて晒されたのち、もし受刑者が生きていた場合は解放されていました〆(・∀・@)

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