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【大米龍雲連続殺人事件】100人以上の女を強○した男は僧侶だった!?
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大正時代、僧侶でありながら尼僧ばかりをターゲットにして強◯殺人を繰り返していた大米龍雲(おおこめ りゅううん)。

彼はその卑怯で残忍な犯行、そして尼僧を狙ったことから世間では

『殺尼魔』

と呼ばれていたんです(⊙_⊙')

彼は僧侶でありながら、なぜこのような蛮行に及んだのか!?

その生い立ちから事件の概要までを見ていきましょう_φ( ̄ー ̄ )

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大米龍雲は不幸な生い立ちだった!?

逮捕された際の大米龍雲(右から2番目)

『警視庁史』によると龍雲は1872年(明治5年)に東京・浅草の質屋に生まれますが、幼少の頃に両親と死別し、7歳で大分県の寺院に預けられることに。

そして、そこの住職だった大米龍元から『龍雲』の法名を授かりますが、不幸な生い立ちのせいか、龍雲の本名は記録に残っていません(⊙_⊙')

1890年(明治23年)に住職・龍元が亡くなると、龍雲は寺を出て行き、今度は熊本県の柔道道場に入門して、柔道3段を取得しています。

1894年に勃発した日露戦争に従軍するも、地雷で負傷した際に鼻柱を失◯顔が醜くなってしまうという不幸見舞われた...

その後、一時は静岡で寺を構えたこともありましたが、結局、龍雲は放浪の身となり、これ以降、数々の悪事に手を染めていくことになります_φ( ̄ー ̄ )

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龍雲の最初の犯行と逮捕、そして...

日露戦争
(Wikipedia)

明治38年に龍雲は最初の殺◯を犯しています(⊙_⊙')

兵庫県尼崎市の尼寺へ忍び込んで、72歳の尼僧を殺○し、現金24円を強奪します。

が!!!

この犯行は後々まで露見することはなく単なる強盗・窃盗罪で2回逮捕され、龍雲はすぐにシャバへと戻ってきます(*´Д`*)

その後、懲役4年の刑期を終えた1913年(大正2年)以降、龍雲の犯行はエスカレートしていく...

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大米龍雲の犯行は認められているもの以外にも...

日露戦争時の凄惨な様子

司法によって認められた龍雲の主な犯行は

龍雲の主な犯行
 
  • 1905年・・・兵庫県尼崎で72歳の尼僧を殺◯し24円を強奪
 
  • 1913年・・・神奈川県小田原で60歳の尼僧を騙して強◯した上で、海に突◯落として殺○
 
  • 1913年夏・・・神戸市の波止場で25〜26歳の男と喧嘩して殺◯
 
  • 1913年秋・・・福岡市の民家に押し入り、飲食店経営の女性を強○。(この女性を内縁の妻にする)
 
  • 1914年夏・・・上京し、京橋で間借りしそこを拠点に各地で尼寺の強盗窃盗を繰り返す
 
  • 1914年9月5日・・・京都市の58歳の尼寺庵主を舌を引◯抜いて殺◯
 
  • 1914年10月29日・・・東京豊多摩郡戸塚町で72歳の尼僧を殺○
 
  • 1914年11月11日・・・鎌倉市の尼寺に忍び込み、庵主を殴◯つけ、現金20円と衣類数点を奪って逃走。
 
  • 1915年1月27日・・・鎌倉市で21歳の尼僧を殺◯
 
  • 1915年7月18日・・・杉並村阿佐ヶ谷で69歳の尼僧を強○、金品を強奪
   

  • 強盗殺◯事件(3件)
  • 強盗強◯(5件)
  • 強盗(7件)
  • 窃盗(9件)

となっています。

が!!!

本人の自供によると事件件数は数倍に膨れ上がり、その中でも強◯に至っては、被害者女性が告訴しなかったものを含めると最低でも

40件前後

で、寺に忍び込んだ数から推測すると実際はさらに数倍の被害者いると考えられるため

100人以上を強◯

している可能性があるため、サイコパスの変態僧侶としか言いようがありませんw

(しかもババァばっかりw )

残虐極まりない龍雲の犯行!

龍雲の犯行の中には残虐極まりないものもあり、例えば大正3年の事件では、京都市西七条の尼寺に忍び込み、悲鳴を上げた58歳の庵主(あんしゅ)の口を無理矢理こじ開け

舌を引っこ抜◯て殺◯

し、逃走しています_:(´ཀ`」 ∠):

さらに大正4年には、大阪府三島郡の寺で、住職を縛り上げ、銭湯から帰ってきた住職の妻を

夫の目の前で強◯

その後で、住職をサーベルで突●刺◯て殺◯しており、これが龍雲の最後の殺◯となります(*´Д`*)

しかし龍雲の悪運は長くは続かず...

同年、東京府杉並村で強◯された69歳の尼僧が犯人について

尼僧
『年齢は40歳前後で、身長は156cmくらいの色白の男で 鼻筋がかけていた

と証言し、それから約1ヶ月後に龍雲は博多駅で逮捕されたのです_φ( ̄ー ̄ )

龍雲は鼻がコンプレックスだった!?

龍雲に大正2年に強◯された中山タマは、それまでは石工の夫を支える傍らでうどん屋で働いていましたが、龍雲にそのまま連れ去れててしまい、内縁の妻にされてしまいます(⊙_⊙')

これに関して後に、龍雲は

龍雲
『女連れだと下宿を借りる時に都合が良かった』

と述べていますが、彼がタマを選んだ本当の理由は

龍雲
『自分の鼻を笑わなかったから』

なんです(⊙_⊙')

実は龍雲は地雷で負傷する以前、子供の頃から鼻がひしゃげており、そのせいで

女から相手にされない

ことがコンプレックスだったそうなんですよ(*´Д`*)


多くの女性を狂ったように強◯したのは、このコンプレックスが大きく関係しているのかも知れませんね_φ( ̄ー ̄ )


大米龍雲の最後

1916年(大正5年)5月22日に東京地方裁判所で死刑を言い渡された龍雲は、裁判官に対して

龍雲
『面倒くせぇから、さっぱりやってもらいやしょうぜ。 早く死刑になったほうがようがさぁ』

と江戸弁で啖呵を切ったそうです(⊙_⊙')

そして同年6月26日、東京監獄(現在の新宿区富久町に所在)で死刑執行されますが、当時の看守によれば、供物の饅頭とお茶を平らげ、さらには『タバコを吸わせろ』と要求し、タバコを吸わせて貰ったそうです。

その際、龍雲は

龍雲
永えこと吸わねえもんだから、畜生っ、 頭がクラクラしやがらあ。さあ。やって貰おうか

と堂々した態度で、死刑に処される際に看守が目隠しをしようとした時も

龍雲
『よせやいッ。くたばっちまえば、 どうせ何も見えねぇんだ』

と啖呵を切ったそうで、これが最後の言葉とななりました_φ( ̄ー ̄ )

龍雲と同じように自分の容姿がコンプレックスから娼◯ばかりを狙って連続殺◯を犯したフリッツ・ホンカという人物がいるのですが、映画『屋根裏の殺○鬼 フリッツ・ホンカ』のモデルにもなっています✅

この事件については↓の記事にて紹介しているのであわせて読んでみてくださいな(ΦωΦ)フフフ・・

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