第二次世界大戦中に極秘任務を遂行していた731部隊についての記事を今回は書いていきますが
内容は非常にセンセーショナルです(⊙_⊙')
僕が731部隊を知ったのは大学生の頃で講義で731部隊について触れられたことで知りましたね👀
僕の通っていた大学は国際大学で中国人の学生も多く、731部隊の講義中は若干、気まずさがありましたね😅
今回の記事はこちらの本を参考にして書いていきます〆(・∀・@)
悪魔の飽食/著者:森村誠一
この本の著者 森村氏が731部隊の元隊員や関係者から取材し、当時の様子や行われた人体実験についての証言や情報などを元に書かれています✍️
僕も731部隊について過去に調べていたことがありますが知らないことがたくさんありましたね💦
この本では731部隊が行った数々の人体実験についての詳細が記されています👀
731部隊については未だに不明な部分も多いですが、
当時の731部隊の隊員や関係者の証言によって明らかになった人体実験について出来るだけ詳しく書いていきます〆(・∀・@)
Contents
731部隊は人間をマルタと呼び、人体実験を行った!?
731部隊では人体実験にされる中国人、ロシア人、モンゴル人捕虜のことをマルタ(丸太)と呼んでいました。
マルタは人間ではなく『材木』『材料』などの消耗品として考えられ、3桁の番号で管理をされていたのです(⊙_⊙')
731部隊にはマルタ班というモノがあり、各班にマルタは班所有物として割り振られて、研究目的に応じて生態実験の『材料』となっていました💦
人間がネズミやモルモットのように実験材料にされて、もはやそこには人権の欠片もなかったのです...
マルタは男性の場合は『男マルタ』女性の場合は『女マルタ』というような区別がされてました。
731部隊に収監された丸太には最良の食事が与えられた!
731部隊に収監される前はマルタは関東軍憲兵隊によって酷い拷問を受けていたのですが、
731部隊に送り込まれてからは拷問などは行われなかったのです👀
そればかりではなく、マルタには最良の食事が毎日3食与えられて、デザートやビタミン剤なども与えられていました(⊙_⊙')
これには理由があり人体実験の際に衰弱していたら正確なデータが取れないのでマルタが健康体である必要があったのです👀
731部隊では捕虜のことを本当にマルタと呼んでいたのか?
1949年12月25日〜30日まで開かれたハバロフスク軍事裁判によって、731部隊に収監されている捕虜に対してマルタと呼んでいた事が明らかにされています👀
この時、法廷に立ったのは川島元軍医将校で国家検事の尋問に次のように答えています。
このように川島元軍医将校が捕虜を『マルタ』と呼んでいたことを認めています👀
マルタへの人体実験(凍傷実験)
731部隊が行った人体実験の1つにマルタを人工的に凍傷にさせる実験があります🥶
マルタを特別処置室に連れて行き、冷水を入れた桶に『マルタ』の手足を浸させるのです。
そしてその後...零下の外気に一定時間さらすことで確実に凍傷を起こしてしまう...
凍傷が起きた頃を見計らってマルタは屋内に連れ戻されます。
これは凍傷になったマルタを今度は治療する為なんです🥶
当時、極寒中の任務により凍傷に冒される人間が多くいたので、凍傷の原理の発見と治療法の確立の為に731部隊ではマルタを人工的に凍傷にさせて研究していたのです。
凍傷実験は更にエスカレートする!
凍傷には3段階あって最も重症なのは3段回目の『完全凍傷』
マルタが完全凍傷となったかどうかを確かめる為にマルタの手足を角材で殴るんです😨
殴られて痛みを感じる場合はまだ完全凍傷に至っていない証拠の為。
完全凍傷は壊疽(えそ)性凍傷で組織が完全に死滅してしまうのです。
『各段階の凍傷のマルタの手足をお湯に浸すとどうなるか?』という実験も行われています(⊙_⊙')
ぬるま湯の温度を少しずつ上げながら、そこにマルタの手足を浸すのですがこの実験は全て凍傷に関する研究データを取る為に行われています。
中でも恐ろしいのは...完全凍傷のマルタの手足をいきなり熱い熱湯につけるとその部分の組織全体が崩れてしまい、肉が落ちて骨がむき出しになってしまうんです🥶
凍傷実験に感してもハバロフスクの軍事裁判にて複数の証人によって証言されています(⊙_⊙')
生きたまま解剖された中国人の少年!
これは当時の731部隊の隊員が目撃したという『生態解剖』で、犠牲者となったのは中国人の少年。
隊員によるとこの少年はマルタではなく、どこからか誘拐されてきたのではないか?とのことですが未だに詳しい事は分かっていません(⊙_⊙')
解剖室に連れてこられた少年は解剖室の片隅に何かを悟ったかのようにじっとうずくまっていました。
すると隊員の1人が台に上るように少年に言ったのです...
少年は上半身を裸で、台の上に仰向けに寝かされるとクロロホルムを浸した脱脂綿が押し当てられました😨
全身に麻酔が回ったところで少年の身体をアルコールで拭く。
するとメスを持った男が少年に近づき少年の身体にメスを入れる...
生態解剖が始まったのです😨
なぜマルタではない少年を解剖したのか?
これは健康な少年男子の臓器が欲しかったからというのが、後から分かったそうです😱
結局この少年は臓器や脳はホルマリン漬けにされて運ばれて行きました。
この様子は731部隊の話をモチーフにした『黒い太陽』という映画でもこの描写がありますがかなり衝撃的なシーンでしたね💦
これを実際に行ったという事実が非常に恐ろしいです(⊙_⊙')
マルタの集団感染実験とは!?
1943年頃になると中国各地から移送されてくる捕虜の数は夥しい(おびただしい)数に膨れ上がりました👀
マルタが収容される特設監獄各房はマルタで膨れ上がったのです💦
独房の収容人数は本来なら1室に対して2名でしたが、マルタの収容人数が多くなるとこの原則が守れなくなり、1室に3〜4人のマルタを詰め込む事にならざるを得なかったんです。
この状況に陥る事でまた悪魔的な実験が遂行される...
それはペストやその他の細菌をマルタに集団感染させる実験で、まず1人のマルタにペスト菌を注射し他のマルタにどのように感染するかを観察為に。
集団感染実験は難航した!?
しかしなかなか思い通りにいかなかったんですよ👀
肺ペストは2〜3日で他のマルタに伝染したのですが、その他の伝染病は蔓延とまでいかなかったんです(⊙_⊙')
マルタの中には非常に頭脳明晰な人が多数いたようで感染予防の知識を他のマルタに教えて皆が実行していたからと推測されています。
美形という理由で殺されなかったマルタがいる!?
マルタとして収監されるともはや人間扱いされないのですが、美形であるが故に人体実験をされずに済んだマルタが存在するんです(⊙_⊙')
マルタの中に18歳ぐらいの歌舞伎役者に見間違うぐらいの美少年がいたのです。
あまりに美形な為、隊内でこの少年を殺すのは惜しいという声が上がり、この少年は『病弱』ということにして実験を避けさせたんですw
早乙女太一さんみたいな感じかな?と勝手に想像してますがw
結局この美少年は731部隊が撤退するまで生存していたそうですᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ
人間の見た目って重要だなと改めて思いますねw
独房から独房へと謎の通信手段があった!?
マルタ達は看守の目を盗んで合図を送り合っていたと言われています👀
元隊員の回想によると、ある時『チフス菌入りのまんじゅう』をマルタに食べさせようとした所
マルタ達は誰一人まんじゅうに手をつけなかったそうです(⊙_⊙')
これは経験を積んだマルタが『まんじゅうには細菌が混入されている可能性がある』と各房に通信を送った為と推測されています。
各房に物が往来していた!?
伝言だけでなく、物も各房に往来していたのです。
例えば病気のマルタの為に他のマルタが食事で出てきた干し果物を病気のマルタの独房にリレーで集めたりなどです👀
特別班は当初、このような出来事に神経を尖らせていて、元凶と思われるマルタを次々と実験台にして殺していったのですが、この通信は終わらなかったのです。
これは実験台にされる直前に新入りのマルタに通信方法を伝えて居た為と考えられていますが、結局どのような方法で通信していたのかは最後まで分からなかったそうです(⊙_⊙')
マルタによる暴動が起きる!
マルタによる暴動のエピソードです👀
ある時、1人のロシア人マルタが看守を呼ぶ...
理由は同じ独房に入れられているもう1人のロシア人マルタの様子がおかしいという。
看守が確認すると確かにロシア人マルタが床の上で胸辺りを押さえて苦しそうにしていました(⊙_⊙')
マルタは健康体でなければならないので、看守は独房出入り口の鍵を開けて鉄扉を開けたのです。
看守が独房内に入ると驚くべきことが起こります。
苦しいんでいたロシア人マルタは跳ね起きて、看守に飛びかかりもう1人のロシア人マルタも看守に組みついたのです👀
ロシア人マルタは看守の眉間に鎖を打ちつけました。
この鎖はロシア人マルタの手錠をつないでいた鎖で2人のマルタはなんと手錠を外していましたᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ
(元隊員によると手錠は『比較的簡単に外れるシロモノだった』そうです。)
そして2人のロシア人マルタは看守からマスターキーを奪って逃走した...
マスターキーを奪ったマルタは次から次へと各独房の鉄扉を解放して『外へ出ろ!逃げるんだ!』と促した。
勇敢なロシア人マルタ!
『7棟でマルタの暴動が発生、警備要員の至急増援を乞う。完全武装の上、特別班まで出動せよ!』
このように召集をかけてロシア人マルタを制圧しようとしたのです。
廊下から階段へ至る通路は頑丈な鉄扉で閉塞されていて特別班が警戒に当たっていました。
仮にこの鉄扉が破られたとしてもマルタは中庭にしか出られず、中庭から外に出るのは不可能だったのです。
解放されたマルタ達が廊下を行ったり来たりしていて、マルタの動きに合わせて銃口が向けられていました(⊙_⊙')
すると1人のロシア人マルタが鉄格子を掴みながら731部隊の銃口の列に向かって大声で叫び始めた🔥
褐色の髪をした40歳前後の体格の良いロシア人マルタで銃口に怯むことなく堂々としていたので隊員達は気押されしたそうです。
しばらくするとロシア語が解る小川という通訳生がメガホンを持って駆けつけてきた...
731部隊はロシア人マルタに恐怖を抱く!
このロシア人マルタは看守からマスターキーを奪ったマルタだと思われます👀
ある隊員が『小川さん、奴は何と言っているのですか?』と訊く。
すると小川は『お前達は我々を騙してこんな所に監禁して非道な実験を繰り返し、多くの人間を殺している』と言ってますと答える。
それを聞いた隊員は小川に『悪あがきはやめて大人しく独房に戻れ』とロシア人マルタに言うように小川に指示をします。
小川はメガホンを口に当て、少し震えた声でロシア人マルタに語りかける。
小川が喋り終わる前にロシア人マルタは『お前らは銃を向けて脅しているが、そんな物は少しも恐くはない!日本人は卑怯だ!今すぐ我々を解放せよ!実験のモルモットにされるぐらいならひと思いに殺せ!』
と捲し立てるように言った。
このロシア人マルタに同調して他のマルタも気勢を上げたのです。
完全武装をしているのにも関わらず、731部隊は圧倒されていた。
ロシア人マルタは撃つなら撃てと言わんばかりに自らの胸辺りを指した。
次の瞬間、ロシア人マルタの正面に居た若い隊員が銃の引き金を引き、ロシア人マルタは即死...
これを見た他のマルタ達は勢いを失い鎮圧された。
しかし現場に居合わせた元隊員はこのように語っています。
あの時、正義が我々にないことを、皆が暗黙理に悟っていた。
あの時の光景を思い出すと、今でも夜眠れなくなる。』
石井四郎部隊長考案の『宇治式陶器爆弾』とは!?
第731部隊には石井四郎部隊長によって考案された『宇治式陶器爆弾』というモノがありました👀
宇治式陶器爆弾は金属ではなく陶器で作られた爆弾で外筒の導爆溝に埋め込んだ少量の火薬で、地上わずかの高さの所で爆発するように作られていました(⊙_⊙')
しかしこれだけでは731部隊っぽくないですよね😅
実はこの爆弾にはペスト菌で汚染したノミがぎっしりと詰め込まれていて、爆発と同時にノミを地上にばら撒くことが真の狙いだったんです💦
ばら撒かれたノミは人間の血を求め行動を開始し、ノミに咬まれた人間がペストに感染するという非常に恐ろしい爆弾です。
宇治式陶器爆弾が考案される以前はこの方法は上手くいかなかったんです。
爆発と同時にノミが死んだり、爆撃機の高度が高すぎると空気が薄くなりこれもまたノミが死んでしまう...
マルタを使って何度となく研究実験を繰り返して、ついにノミを生きたままばら撒くことが出来る宇治式陶器爆弾が発明されたのです。
石井四郎部隊長が宇治式陶器爆弾を思いついたのはある日の夜で、興奮した石井部隊長は731幹部に夜間呼集を命じたそうです(⊙_⊙')
731部隊が撤退の時にマルタは処分された!?
1945年8月10日の早朝に関東軍司令部から731部隊に『独断専行してよし』という命令が下されました。
独断専行とは逃亡退却を意味します(⊙_⊙')
そしてこの日の夜から731部隊の撤収作業が始まります。
この時点で収容されていたマルタは40名ほ足らずだったとされています👀
マルタを生かしておくと731部隊の数々の人体実験が明るみになるので
それを防ぐ為にマルタを全員処分したのです。
処分方法ですが『毒ガス』によって行われたようです😨
マルタの全員虐殺を目撃した隊員によると...
と述べています。
マルタの中の数人は毒ガスで死に切れずに鋼鉄製のドアを叩き、唸り声を上げて喉を掻きむしって苦しんでいたそうです。
そして特別班員がゆっくりと苦しんでいるマルタに近づき、マルタの胸に向けて銃の引き金を引いた...
そして殺したマルタを7棟横の大きな穴の中に次々と放り込み、ガソリンと重油をかけて火をつけた。
とも元隊員は述べています。
独房の壁に血で書かれていた言葉...
マルタは全員処分され、独房にはもう誰もいません。
しかし特別班員達は独房の壁を見て全員が驚愕したのです!!!
壁一面にどす黒い字で
『打倒日本帝国主義』
『中国共産主義万歳』
と書かれていました(⊙_⊙')
しかもこの字はマルタの血によって書かれていたんです💦
この血書をみた元隊員は次のように語っています。
共産党や主義思想のことなどまるで知らなかった私ですが、ちょっと形容できない衝撃を受けました。
あの極限状態でこれだけの信念を持ち続けた人間がいたということ。
彼らはマルタではない、勇敢な人間だと直感的に思いました。』