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吸血鬼・ドラキュラのモデルになったヴラド3世!
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ブラム・ストーカの小説『ドラキュラ』のモデル1人とされるのが今回紹介する

『ヴラド3世』という人物です(
⊙_⊙')

ヴラド3世はドラキュラのモデルになるだけあって残虐な行為を平然と行っていました🥶

ヴラド3世の行った残酷極まりない行為とは一体!?そしてどのような生涯を送ったのか?



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串刺し公の異名もつヴラド3世!

ヴラド3世(wikipedia)

ヴラド3世は自らの仇名『ドラキュラ』を好んで使っていましたがドラキュラとは

ヴラド3世の父親ドラクルの息子という意味です🦇

そしてヴラド3世はヴラド・ツェペシュという名前で呼ばれる事もあるのですが

ツェペシュとは『串刺し公』『串刺しにする者』という意味でドラキュラ同様にニックネームとして

そう呼ばれていました
(⊙_⊙')

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ヴラド3世が串刺し公と呼ばれるようになった理由とは?

ヴラド3世による串刺しの様子(Wikipedia)

ヴラド3世はルーマニア南部のワラキアの領主でしたが、以前にオスマン帝国の人質になった事があるのです(⊙_⊙')

この時の事を非常に恨んでいて、領主になってからオスマン帝国の使者を生きたまま串刺しにしてしまうんですよ😱

これにオスマン帝国はブチギレてワラキアに攻め込むのですが、ヴラドはゲリラ戦や夜襲で応戦して一歩も引かなかったᕙ(⇀‸↼‶)ᕗ

そして1462年にオスマン軍に夜襲を仕掛けて勝利し、オスマン軍の2万人の兵士を捕虜にしちゃいます💦

その後オスマン帝国の皇帝メフメト2世が大軍を率いて攻め込んでくるのですが

そこには信じられないような光景が...

生きたまま串刺しにされた兵士達が林のように延々と突き立てられていたのです😱

串刺しの林は幅1キロ、長さ3キロにも及んでいて、それを見たメフメト2世と兵士達はあまりの残虐さに戦意喪失して退却した。

このようなエピソードからヴラド3世は串刺し公と呼ばれるようになりました〆(・∀・@)

ヴラド3世は貴族に対しても串刺し刑を行った!?

オスマン帝国の使者とヴラド公(19世紀、テオドール・アマン画)Wikipedia

串刺し刑自体はこの当時、キリスト教国やイスラム教国でも執行されていましたが

串刺し刑の対象は『重罪を犯した農民』に限られていました(⊙_⊙')

貴族が重罪を犯した場合は通常は斬首刑に処されるのですが

ヴラド3世は貴族に対しても容赦無く串刺し刑を処した
のです🥶

貴族に対して串刺し刑を行ったエピソード!

オスマン帝国とヴラド公の闘い(19世紀、テオドール・アマン画):Wikipedia

ヴラド3世は有力な貴族5000人を招き宴会を行った時のことです🍾

酒宴が盛り上がった頃にヴラド3世は貴族達に

ヴラド3世
『今まで何人の君主に仕えてきたのだ?』

このように貴族達に問いただしたのです。

すると酔った貴族達は『20人』『30人』という風に数を上げていったのですが

これに対してヴラド3世は...

ヴラド3世
『忠誠を誓った君主を次々に裏切る奴らめ!!!』

と激怒串刺しで全員処刑してしまいました(⊙_⊙')

ヴラド3世の父・『ドラクル』を裏切って死なせた貴族達に対するヴラド3世の報復であったと言われています〆(・∀・@)

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ドラキュラ城のモデルになった『ブラン城』

ドラキュラ城として知られる『ブラン城』はドイツ騎士団によって建設されヴラド3世の祖父にあたるミルチャ1世が14世紀に居城(きょじょう)していました(⊙_⊙')

しかしヴラド3世は一時期に『ブラン城』にとどまっていただけなので

ブラン城がドラキュラ城のモデルになるには少し弱い気がします
ねw

ブラン城は『世界の名城25選』に選ばれています👀

またドラキュラの城ということに因んで毎年イベントで10月31日にハロウィンパーティーが行われています🎃

ヴラド3世はハンガリーで幽閉されていた!

(Wikipedia)

ヴラド3世はハンガリーで幽閉されていた時代がありました(⊙_⊙')

ハンガリー王のマーチャーシュ1世は1462年にヴラド3世をオスマン帝国に協力していたという罪で捕らえ、幽閉しました🥶

ヴラド3世罪状を世間に受け入れさせる為に、マーチャーシュはヴラドの様々な悪行を誇張・捏造して書かせ、パンフレットにして各国に配布したのです👀

パンフレットには『ヴラドは人を無差別に殺し血肉を食らって晩餐を開いた』『ヴラドは田畑を燃やして農民を飢えさせた』などと書かれていました。

そしてこのパンフレットは当時、発明されたばかりの印刷技術によって作成されたのです〆(・∀・@)

ヴラド3世の死因とは!?

(Wikipedia)

1474年、ヴラド3世は12年間におよぶ幽閉からようやく釈放されたのですが

この間にカトリック教国からの支援を得ようとして正教会(キリスト教の教派の1つ)からカトリックに改宗しています(⊙_⊙')

ワラキアの民衆は正教徒中心であった為に民衆からの支持は駄々下がり状態になります👀

1476年、ヴラド3世はトランシルヴァニア軍を率いてワラキアに進軍し、ダネシュティ家のバサラブ・ライオタ公を追放して公位に返り咲きますが

同年(1477年の説もあり)現在のブカレスト近郊で『オスマン帝国と戦って戦死する...』

とされていますがヴラド3世の死は不明なところ多くハッキリした事は分かってはいないようです👀

(一説にはヴラドに敵対するワラキア貴族による暗殺ともいわれています)

オスマン帝国軍はヴラドの首を塩漬けにしてコンスタンティノープルに持ち帰り晒したようですね🥶

ヴラドの遺体はスナゴヴの修道院に葬られたとされています〆(・∀・@)

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